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こちらアイスランド(183)なぜ1000度以上あるマグマの上に氷が乗っかるのか?氷と地熱が共存する世界を行く 〜 小倉悠加

今回は8月の週末二日間を使った絶景アイスランドめぐり(?)をお届けしている。前回の話はこちら

前夜、ハイランド内のキャンプ場に宿泊。夜は冷えると思われたので、いつもの寝袋+羽布団に加え、もう一枚羽布団とウール毛布を持参した。これだけあると、さすがに明け方でも全く冷え知らずだ。

さて、この日はまずガソリン調達が必要だ。まだ200キロほど走れそうなので、このままハイランドを彷徨うことはできる。けれど、何が起こるかわからないし、ガソリンを補給する場所もないため、やはり安全を見てガソリンスタンドへ。

ネットがある場所までまず走り、天気を見て本日のルートを決める。せっかくハイランドの入口まで来ていることだし、天気もまずまずなので、さらに北部へ向かい、ヴァトナ氷河(ヴァトナヨークトル/Vatnajökull)の近くまで走ることにした。

ヴァトナ氷河はアイスランド最大の氷河で、面積8,100 km²、国土の8%を占める巨大な氷の塊だ。氷の厚みが400mから1キロと言われ、そんな厚い氷の下に火山があるというのが、どうも頭が硬い私にはよくわからない。なぜ1000度以上あるマグマの上に氷が乗っかるのか?いや、本当に、全然わかんないんです。

なぜ氷と地熱が共存するのか、理解できないというのは前回も書きましたね。すいません、熱いと冷たいというのが、どうも肌感覚として同居しないので困ってるんです。噛み砕いて説明できる方、よろしければぜひコメントお願いします。

今回走りたいのはF299のヨークルヘイマル(本当はユークルヘイマルの発音の方が近い:Jökulheimar)で、このヨークヘイマルとは山小屋の名前だ。この山小屋はヴァトナ氷河の舌(ぜつ)のひとつであるトゥグナアゥルヨークトル(Tungnaárjökull)から流れるトゥグナ川(Tungnaá)の下流に位置する。ここは気象観測所も兼ねている。

という訳で、この道は山小屋へと続くが、道中はほぼずっと砂漠だ。砂の道は心理的にとても不得意で、その発端は嵐で砂が道路標識を覆ってしまい、迷子になってしまった経験からきている。

その時のひや汗ものの話は以下でお裾分け済みだ。

四駆乗りになっての夏はこれで4回目になる。我々もずいぶんといろいろな経験を積んだ。今年は自分でもはっきりと、どの程度の水量であれば川を進んでも大丈夫か、水で道路の一部が流されていたり、欠けていたりということもあるけれど、だいたいどのコースを取れば進めるのかもわかってきた。

急な坂は低速ギアが便利だし、この車でできること、できないこともよくわかってきた。天候や道路コンディションさえ選べば、ほぼ何でもできる。車両が小さく軽いため、大きな川だけは物理的に苦手。

砂の道では苦い思い出があるけれど、あれから随分とあちこちを走ってきたので、砂も雪もある程度なら大丈夫なことも経験上わかってきた。

その判断力を総合して本日は走ろうということになった。実際はそれほど大袈裟ではなく、まぁ大丈夫そうだよね、程度のことだ。

F229号線はにかく砂の上をひたすら走った。F道の入り口から目的地までは50キロほどある。途中まではVeiðivötnへの道と重なる。

砂の怖いところは何点かある。第一は前述のように、砂が一方に吹き溜まり、目印の標識が埋もれて迷子になること。それは地形にも大きく依存し、今回の場合はほぼ当てはまらない感じだ。だだっ広く吹き抜けている場所なので。

それでも、砂が吹き溜まる場所はある。この道路は表面の砂をブルドーザーで慣らし、表面の砂を横に避けることで道としている。もっとわかりやすくは雪かき車は雪を道路沿いに寄せる。その砂ヴァージョンを思えば大きく外れてはいないはずだ。

なので、風の向きによっては砂が道路の表面を覆い、見えにくくなる。また、道路の片側だけに砂が大きく積み上がり、それが道幅全体にまで及ぶと、たぶん我が家の小型車ではスタックする。まっすぐの道よりもカーブや岡のふもと(?)のような場所が要注意に思えた。

砂嵐は車体を傷つける。アイスランドがどれほど強風なのか、体験した人はわかると思うが、まともに立っていられない、前へ普通に歩いて進めない、本当に飛べると思った等、体験した人ならわかると思うが、とにかく風の圧がすごい。台風並み、いや、台風以上だ。

砂は強風に乗って車体にぶち当たる。車は猛スピードで進んでいる。窓も車体も文字通りすりガラス状態になってしまう。

なので、主要道路が砂地の中を通っている場所は、ルピナスが植えられたのだ。砂嵐防止のために。ルピナスは繁殖力が強く、砂嵐防止にはよかったけれど、現在はその繁殖力が仇になり、あちこちの土地に飛び火して、地元の野生の植物を脅かす存在になっている。社会問題だ。やれやれ、あちらもこちらも万々歳にはならないものだ。

この道は本当にずっと砂の道つづきで、水の気配は全くなかった。アイスランドは水が豊富で美味しい国だ。基本的にどこへ行っても水は調達できる、という思い込みがある。でも、この道では水は調達できそうにない。砂漠という言葉の意味が重く感じられた。

と、不思議な場所が見えてきた。抉られた土地の真ん中だけが湿った色をしていた。たぶん冬の間は雪がつもり、地形的に見て春は雪解けの水がたまるのだろう。夏の終わりなので、水の気配のみが残っていたのではと思う。

この周辺はヴァトナ氷河の国立公園になっている。看板の写真を撮っただけで、矢印の方向へは進まなかった。先にはギャウ(近くの割れ目)が見えている場所がありそうだ。あとでどのような場所か調べて、探索したければ来年かなーーーという感じ。

この道はよく整備され、若干砂に足を取られる場所はあったけれど、割合スムーズに走行を続けられた。砂、砂、砂山、砂、砂、砂。本当にそれだけだった。砂ばかりではあるけれど、周囲に見える石の大きさが徐々に変化していったり、時には植物も生えていたりして、意外にも砂地の魅力を感じた。

水があれば植物も繁茂し、生命の流れを感じられる。砂はそれがとても希薄で、不毛、砂漠という言葉の持つ意味をひしひしと感じた。

水の気配が無いと書いたけれど、実は大嘘をついてる。ここはヨーロッパ最大の氷河がある場所だ。氷河は水の塊だ。ただ、川のように流れていないというだけで、目の前には実は氷河が迫っている。

自ずと氷河に近づけば近づくほど水に出会う率は高くなるはずだし、氷河からは大きな川ができている。

案の定、砂地を直走り、あと少しでゴールというところに小さな看板があった。砂の道は砂だけで何もない、興味を出してその小道を進んでみると、水があった!うゎ、青い水だ。

けれど、周囲に植物は生えていないので、オアシスというよりも、雪解け水が残ってますという程度なのかもしれない。どちらにしても水を見て心が和んだ。砂漠は心が殺伐とする、と、水は心が和むは表裏一体であることを実感した。

さて、ここらへんからあと数キロで道の終点へ到着する。ずっと砂地を走っていたのが、このあたりから川とも単に水浸しとも思えるような場所を通っていく。どこが道なのかよくわからない感じではあるけれど、近づけばそれなりにタイヤの跡はある。

そして到着したのがヨークルヘイマルという山小屋だ。小屋は何棟かあるが、人の気配がゼロ。従業員(?)も不在。このような山は、アイスランドの旅行組合(いくつかかる)が管理している。たぶん係員が定期的に見回りにきていると思うが、常駐はしていない。

目の前にだだっ広い川があり、その向こうが氷河だ。ワイルドというか、地の果てという言葉がしっくりくる。

水はあるが、そのまま飲める水ではない。氷河の水は火山灰等が混ざっているので、濾過しないと飲めない。きれいな川の水であればそのまま飲めるアイスランドだが、水が豊富といっても氷河の水はそのまま飲めない。見た目濁っているので、誰も飲もうとは思わないだろう。

さて、せっかくここまで来たので、F229は終点となったが、その先、道がないわけではない。ジープ道なので、道がどうなっているかはわからないけれど、少しだけ氷河に近づいてみようか、ということになった。

まずは長めのいい高台へ出ることができた。目の前に見える大きな川を渡ると、Lnagsjór(ランギショゥル)の道へ出られることはわかっている。誰かこの川を渡らないかな〜と見ていたが、誰も渡らなかったし、第一車は対岸には一台も来なかった。

氷河への道はある気配だった。気配というか、道はあった。けれど、石ゴロゴロの川を渡り、堤防へと乗り上げ、また川まで降りて渡り、また堤防を登りということを4-5回繰り返しただろうか。先は長そうだし、どこかでスタックしたらまず誰とも出会わない場所なので、適宜車を止め少し休んでから引き返した。

周囲は不毛ではなく、それなりに苔は生えていた。

今回の写真、砂だらけの場所なので殺風景ですね。ごめんなさい(笑)。

おっと、山小屋の写真を出し忘れてましたね。赤い屋根が可愛かった。帰り際に2台ほど車が到着、すぐに去って行った。

トゥグナ川を渡って向こう岸まで行けば、ランギショゥルの道を辿って戻れるけれど・・・と川の前でたたずむ我が家のジムニーは記念に写真を撮っただけで、渡ろうとは夢にも思ってない。川幅は写真に写っている10倍以上ある。

F229はこの小屋が終点だ。あとは引き返すだけになる。

この道を走りました!という程度ではあるけれど、これで砂の道に対するトラウマはずいぶん解消できた。往路は随分とドキドキしながら走った。彼はすぐに慣れて、なるほどと思いながら走ったらしいが、私は随分と長い間、大丈夫か大丈夫かと気が気ではなかった。復路でそのドキドキは払拭されたから、経験値は大切だなぁとつくづく。

復路は単純往復ではつまらないからと、途中、別れている道があったので、少しそこを通ることにした。お粗末ながら標識があった。

この標識、私は全然読めなくて、停車して読みに行きたかった。けれど彼は一発で理解したようで、停車せず方向転換をしてビュンと走り去っていった。

そうして走り続けると、青い水が見えてきた。水は美しい・・・。

「へぇ、こんな場所にでてくるんだ。きれいだね。こんな場所だとは知らなかった」と彼は普通に言う。

私はといえば、どうもここ、既視感ないか?彼はVeiðivötnの手前、川を渡る前の道路に出るという。そうなの?

そして進めば進むほど、どうもここは彼が思っている場所ではない。

「ここさ、どう見てもVeiðivötnなんだけど・・・」

さすがに彼も去年見た景色が続くと、確かにここはVeiðivötnだと気づく。でっしょ〜。

種明かしはこうだ。このVeiðivötn(高級釣り場)はF228号線を使う。素直にこの道を使うと、少し大きめの川を渡る必要がある。小型車だと場合によっては通行できない。その生死は水量で左右される。

この川を迂回してVeiðivötnまでやってくる道があるとは聞いていた。それはきっとF229を使い、途中、あのわかりにくい看板のところで曲がれば川を渡らずに来られるのか!ということになった。

文章で書いてもわかりにくいけれど、一歩手前で曲がれば釣り場の大きな川の手前の道に出ることになっていた。確かに曲がる場所はあったけど、看板もなかったので、私たちは道なりに走ってきた。するとなんだかVeiðivötnまで来てしまったのだ。

ゲ〜、今更砂漠の道へ戻りたくないから、このまま川を渡れればいいけど、渡れないと砂漠へと引き返してぇ・・・と大回りになる。結論から言えば無事に渡って戻ってきた。水位はまずまずだったし、小型車から見ると水位は低くはないけれど、車内に水が入るギリギリ程度なので大丈夫と判断した。以前の私たちであれば怯んでいたことだろう。

今年は天候が悪く、夏のレイキャビクの最高気温が17.4度だったという話がニュースになっていた。私自身、夏を楽しんだという記憶が薄い。気温は上がらなかったけれど、こうして思い出すと、そこそこアイスランドの夏を楽しめたのかな、と思わせてくれる貴重な週末だった。

小倉悠加(おぐらゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。

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