一週間ほど前の10月初旬、レイキャビクの街中に新しいベーカリーが開店した。
店名は「280」。どうやらパンを焼く適温が280度というところからきているらしい。おまけに、この数字を囲む色も280にちなんで、パントン(世界基準色見本)280番の紺色が使われている。
レイキャビクの首都圏、数年に一軒ほど新しいパン屋が現れる。
パン屋は開店時が最も美味しい。なので早速覗きに行ってみた。

場所はKlappastigur 37で、2023年までレンタルビデオ屋があった場所だ。ここは名物レンタルビデオ店で、ディスプレイがいつも凝っていて素敵だったことを覚えている。地元民に愛され、惜しまれて去っていた店だった。
その後に何が登場するのか?ずっと音沙汰なしのままだったのが、今年に入りにわかに動きが始まった。
なんでもこの近所にレストラン「Skal!」がフレンムルのフードコートから引っ越してきたことで常連になったデザイナー夫婦が、近所に他にも飲食店ができれば地域活性にもなるのではという発想だったらしい。このデザイナー夫妻はいろいろな飲食店のデザインを手がけてきたという。
構想はいいけれど料理は本職ではない。そこで「Braud og co.」や「BakaBaka」などレイキャビクのニューウエイブ・パン屋として君臨する各店に勤務した若手職人に白羽の矢を立てて、この店を実現したらしい。
レイキャビクにありがちなストーリーだ。

一般住宅がまだ残る裏道に店舗はあり、凛としたシックな佇まいがいい。
置いてあるパンの種類は少ないけれど、しっかりした面持ちが感じられる。お値段は日本円に換算すると仰天だし、アイスランド現地的にも決して安くはないし、アッパーミドル御用達店ということになる。
店舗のノーブルな佇まいも、パンの端正さを盛り上げる。さすが店舗のデザインは素晴らしい。
我が家の経済状態にはそぐわないとはいえ、美味しいものは食べたいので、早速パトロールへと出向いた。まずは基本中の基本のクロワッサンを味わうべきとは知りつつ、それだけに1000円を出すのは辛い。なので菓子パンとなった。
購入したのはパン半分(味わったところサワー種だと思う)500isk(700円)、おかずパン(トマト、オリーブ、チーズ)950isk(1200円)、パンオショコラ800isk(1000円)、クリームの入ったクロワッサン800isk(1000円)。註:isk=アイスランド・クローナ。
美味しいニューウエイブ・パン屋はどこも値段はこんなものなので仕方がない。ただ、奇妙というかアレだなぁと思うのは、ここのところ毎日価格が変化しているらしい。オープン日はクロワッサンが700
iskだったけれど、三日後に行った時は750iskになっていたとか。
オープン日のサービス価格だったのか、他の店に合わせたのかは不明。アイスランドの物事なので、テキトーなのだろうと思うしかない。この国はいろんなことがテキトーだし、それで済むことが多い。
サワードーのパンはまずまずの価格だけど、菓子パンはどこも高いなぁ。おかずパンを2個食べることはできない。
肝心の味は非常にいい!クロワッサン地はサクッ、パリッとしているし、クリームはきちんと牛乳やクリームで作った正しい味がしている。たっぷり入ってたしね。
ここまで書いて、以前ご紹介したパン屋のコラムを思い出した。これ!
これを書いた後に出てきたのがマイクロ・ベーカリーとしてアート人界隈御用達として君臨してきた「Hygge」だった。ここは支店を出す前からクリームの量が減り、パンが気持ち小さくなり、なのに価格は上がり、なんだかぁと思っていたので、当初はこの280にドドっと流れてくるのではと思う。ただし「Hygge」本店のカフェの居心地の良さは捨てがたい。
「Braud og co.」は観光客に大人気なので、それでいいのかと思う。やはりここも当初のパンの大きさや中身の充実度は低下した。開店当初数年のあのシナモン・ロールを知ってる者にとって、現在のシナモン・ロールは別物でしかない。
子連れに人気だった「Brikk」は、そこそこの値段でゆっくりできたし私も好きだった。けれど、どうもやはり質や量に疑問を持つようになり、その頃から店舗数も少なくなっていった。
パン屋の栄枯盛衰は確実にある。それは提供される商品の質や量の変化に伴うので、栄枯盛衰というより、当然の成り行きのように私には映る。
最近あまり行っていないとはいえ、20年前から御用達にしている「Sandholt」はきっと、今でもしっかりとあのクオリティを保ってくれていると思う。一番信頼できるパン屋として、私の中で君臨し続けるのは「Sandholt」だ。
その変化をまじまじと感じてきたため、今回彼は「280」で購入してきたパンの重さを図り、すべて写真に納めていた。数年後、はてさてどのようになっているやら。





パンはどれも香ばしくいい香りがして、化学薬品や何かで誤魔化した印象は一切ない。アイスランドのこういったパン屋の長所は、誤魔化していないこと。ごく当たり前の、品質のいい素材を、丁寧に扱い製品に仕立てる。これは本当に素晴らしいと毎回思っている。
ただ、ただ、それでも、菓子パン一個千円には涙せざるを得ない。数ヶ月に一度、ありがたかって食べる程度が我が家は精一杯だ。
それでも、こういったパンがお金を出せば入手できることはありがたいと思っている。安いだけが正義では決してないし、為替レートが悪すぎることも高値の一因だ。それでも、それでも、菓子パン一個千円は私の金銭感覚には合わないし、カンベンしてほしい。
生活費全般が非常に高い国に住むと、日本の日常のありがたさが身に沁みる。
年末年始からまた数ヶ月を日本で過ごす予定だ。その時はまた、たっぷりと日本の美味しいご飯を楽しみたい。
小倉悠加(おぐらゆうか)
東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド在住。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。高校生の時から音楽業界に身を置き、音楽サイト制作を縁に2003年からアイスランドに関わる。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、社会の自由な空気に魅了され、子育て後に拠点を移す。休日は夫との秘境ドライブが楽しみ。愛車はジムニー。趣味は音楽(ピアノ)、食べ歩き、編み物。
