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学校を撮り続けて(2)集合写真よりも大切なもの〜飯塚尚子

さて、『学校を撮り続けて(1)その校長は「卒業アルバムに合成写真は必要ない」といった。』のつづき、体育館舞台袖の暗がりに、互いに面識のない6年生二人とカメラマン一人が取り残されたその後の話である。

登校拒否を続けてきた児童にとって卒業式は非常にハードルの高いものであり、逃避と克己心がせめぎあう事を経験上知っている。

登校拒否に絡む要素は大きく分けて二つある。
一つは小学校生活で学ばなければならないとされる知識や技能の教科学習。もう一つは集団生活に必要なコミュニケーション能力とルールやマナーを身に着ける事。
児童の中にはこれらの学習の発達に凸凹があったり、環境になじめず適応障害を起こしたり、コミュニケーションが上手くできずに孤立する子どもが少なくない。

魚に空を飛べと言われても魚は困りはしないのか、速く走るサラブレッドに重い荷物をたくさん運ぶ牛の如くあれ、といってもそれは気の毒ではあるまいか。

振り返って日本の教育現場では往々にして公平平等にこだわるあまり、子どもたち全員に、社会生活の中で何でもこなせる「白物家電」になれ、と言ってはいないだろうか?
それは大人からすれば、子どもが大人になろうとするときに、深く傷つき過ぎぬよう、また理不尽な思いをしなくても済むようにそっと授ける見えないプロテクターでもあるのだが。

今、目の前にいる6年生は、そんな白物家電になれずにきてしまった子どもたちなのではあるまいか。

以前、他校の4年生の宿泊教室であったことを急に思い出していた。

二日目の最終日、4年生全員が集会室に集まり課題をこなす中、片隅で一人の児童だけが床にはいつくばっていたのだ。この二日間ひとところにいる事が出来ず、常にあちこち動き回っていた子どもだった。撮影をどうするべきか考えながら近寄ると、そこへ校長がやってきて皆で作った宿泊学習のしおりをポンと与え、こう言い放ったのだ。
「これでも破っていなさい」

一瞬理解出来なかった。
のど元まで出かかった言葉を飲み込みながらワシはその場から離れた。
遠くから見たその子は顔を真っ赤にして、泣き怒りしたような表情でしおりを細かく破っている。
ワシが知っている校長や現場の教師たちの多くは、文科省から降りてくる現場を知らぬ理不尽な要求の中、人手も足りず、私生活を削り、子どもへの対応に心を砕きながら学校運営や学級運営をこなしている。

だから学校経営をゆだねられた学校のトップである校長の「これでも破っていなさい」は衝撃的だった。
弱者である子どもへの言葉として、あまりではないのか? それが最適解なのか?
多くの教師たちが積み重ねてきた努力や信頼を一発で損ねる言葉ではなかったのか。教育現場は一般の人間が見ることの出来ない不可触領域だ。それを都合良しとして見なかったことになど到底できない事だった。
学年主任に伝えると男性教師が二人やってきた。事情を説明したところ、教師たちは苦いような酸っぱいような顔になった。

組織の中ではトップと現場の間には時として温度差があり、それは教育現場にも言える事なのである。更に言えば教育現場は社会の歪みと弱者をストレートに映しだす鏡でもある。社会が歪めばその歪みはすべからく弱者に集中する事となり、その弱者は子どもなのだ。

大人たちが口角泡を飛ばし、ののしりあい、責任の擦り付けあいをし、まき散らした悪口雑言の飛沫は、大人の視線に入らなくなったその下にいる子供たちの頭に降り注ぐ。
あるいは無かった事にし、互いに背を向けてしまえば、子どもたちが落ちないように支えていたセーフティーネットさえ、もはや存在しなくなる。

卒業式に話を戻す。

暗がりの中、二人の子どもにむけてぽつりぽつりとやり取りを試みる。
「初めまして。ワシはイーカメさんって言うの。子どもたちがつけてくれた名前だよ」
扉一枚隔てた会場では、卒業証書の授与が進んでいく。
怒られるかもしれないとおびえる事が無い様に、自分の心を隠さなくても良い様に、子どもの答えがあやふやにならないよう、一つ一つを問いかける。

それは★いくつ?という簡単な質問であるが的確に相手の気持ちを数値化できるものだ。

「今始まっている授与、もしかしたら誰か緊張して右手右足が一緒に出ているかもしれないよ? 扉を少し開ければ見られるよ。見たい気持ちをMAX★10個のうち★いくつなのか、両手の指で表して?」
暗がりになれてきた目に見えたその手はまだ小さく幼かった。
★6と★7だった。
「見たくない気持ちは★いくつ?」
★2と★1だった。

「じゃぁ、扉を10㎝開けてもいいかな?」
★3と★4だった。
最終的に決まったのは微妙な数字、7.5㎝だった。

「式が終わったらクラスの集合写真だけど一緒に撮る?」
結果は★2と★3だった。

これは発達障害を持つ夫との暮らしの中でみつけた方法だ。

「わかった。じゃぁ、集合写真は撮らないことにしよう。もう少しで式が終わる。みんなは集合写真を撮り終わったら最後の授業を受けに10分ぐらい教室に戻るんだ。マジで10分ぐらいだよ? その教室には1年の時から一緒に遊んで、給食を食べて時には喧嘩した友達もたくさんいるよね。自分の中で教室に戻りたい気持ちが★いくつなのか、戻りたくない気持ちが★いくつなのか考えて。イーカメさんにはもう答えなくても良いよ。もうちょっとで中学生の兄貴になるんだから自分の事は自分で決めて自分で動いていいんだよ」

式終わり直後、子どもたちと一緒に教室に戻るはずの担任達が体育館の外に通じる扉から顔をのぞかせた。振り向いたワシは「集合は…」と言いかけて首を横に振った。
背後に子どもたちがいたから。
「でもその後はきっと大丈夫!」と伝えて子どもたちを担任の元へ戻した。

集合写真を撮り終えて、三脚からカメラを外し、ストロボやら外部電源やら、メーターやら様々なものをカメラバッグに乱暴に放り込んで、埃っぽい床の上をズルズルと移動していた時、何の前触れもなく子どもたちが教室から戻ってきた。
拍手のトンネルの中、頬を紅潮させて戻ってきた。
さっきの子たちはどこだ。
あたふたと必要最低限のカメラをもちながら目を皿のようにして探すと一人見つけた。そこにいたのは他の子どもと同じようにキラキラしている小学校6年生の男の子だった。友達と賑やかに話ながら近づいてきた。右手のひらを中空に掲げたら、その子はパン!とハイタッチしてきた。
当然スナップ撮影などのことは忘れてしまっていた。
もう一人はどこにいる…あ…友達と何かぼそぼそ話しているではないか…話しながら体育館の壁伝いに近づいてきた。
ワシは右ひじをそっと突き出した。すると伏し目がちの目が合って優しい肘コッツンが返ってきた。

子どもたちを送り出した後、体育館の外で荷物を片付けていた時、担任3人がやってきた。「ありがとうございました…」そのまま言葉にならずに大人4人で泣いた。
それはつぼみが膨らみはじめた小さな桜の樹の下だった。

飯塚尚子(いいづか・たかこ)
東京都大田区大森の江戸前産。子供の頃から父親の一眼レフを借り、中学の卒業アルバムのクラス写真は自ら手を挙げて撮影している。広告スタジオ勤務を経て現在フリーランスの教育現場専門カメラマン。フィールドは関東圏の保育園から大学まで。教育現場を通じて、社会の階層化・貧困化、発達障害やLGBTを取り巻く日常、また、議員よりも忙しいと思われる現場教員たちに集中していく社会の歪みを見続けている。教育現場は社会の鏡であり、必然的に行政や政治にもフォーカス。夫は高機能広汎性発達障害であり障害者手帳を持っている。教育現場から要請があれば、発達障がい児への対応などについて大人になった発達障がい者と直接質疑応答を交わす懇談会や講演も開催。基本、ドキュメンタリーが得意であるが、時折舞い込む入社式や冠婚葬祭ブツ撮り等も。人様にはごった煮カメラマンや幕の内弁当カメラマン、子供たちには人間界を卒業した妖怪学校1年のカメラマンと称している。