政治を斬る!

学校を撮り続けて(1)その校長は「卒業アルバムに合成写真は必要ない」といった。〜飯塚尚子

筆者同盟の二人目は、教育現場専門のカメラマンである飯塚尚子さんです。連載「学校を撮り続けて」のはじまりです。


  • 5年生個人
    A 「さわやかな」 
    B 「春の光に」
    C 「わかくさもえる今日」
  • 5年生全員
    「卒業なさる お兄さん おねえさん方 おめでとうございます」
  • 6年生全員
    「ありがとう ありがとうございます 私たちはうれしさで ムネがいっぱいです」
  • 4・5年全員
    「そつぎょうなさる お兄さん おねえさん方 きよく正しく すすんでください!」

上記の唱和文は、実は今から50年も前、夫が6年生の時のものである。
あまりにも刷り込みが激しかったせいで半世紀たった今でも覚えていると言う。
もしかしたら多くの人にも同じような記憶があるのではないだろうか。

最初に夫から件の唱和を再現された時、大爆笑となった。
同時に大いに戸惑った。
それは、直立不動で胸を張り、いわゆる棒読みだったからだ。
でも、待てよ…そう言えば…ワシ自身にもほぼ似たような記憶が淡く残っているではないか!
気付けば、どの学校でもこの唱和スタイルは、形を変えながら連綿と受け継がれているではないか!

ワシは関東一円の教育現場をフィールドとする、教育現場専門のカメラマン。
広範囲に様々な教育現場を訪れる。
だからその変化の無さや変化にも気づく。

唱和は少子化の現在、1年時のイベントから学年を追いながら、子供たち一人一人に原稿が割り当てられたスタイルへと変化してきている。
あちらこちらから嗚咽とズビビと鼻をすする音が聞こえ、先生方も泣いている。
『お~い、動画撮ってるとうちゃんかぁちゃん、それ全部録音されてるがなぁ』などと思いつつ、ワシも結構泣いちゃったりしているのだが、何だろう。
それでも何かが引っかかる。
感動的なシーンなのに、いつだってちぐはぐな違和感が付きまとってきたのだ。

冒頭の唱和は、考えてみれば太平洋戦争の戦火を切り抜けた中堅どころの教師が書いたのではあるまいか。
去る者と残る者各々が持たなければならない夢と希望と感謝が強烈に込められている。
そして、戦後輸入された公平や平等という共通概念のもと、原稿は去る者と残る者に「公平平等」に振り分けられている。
同時にそれは「強制的」に覚えさせられ、しかも本番は「直立不動」である。

これはもしかすると、戦前から継承されてきた日本文化のピース群に、戦後導入された米国のピース群が、無理くりに一つの画を成すジグソーパズルだったのではあるまいか。
片や厚めのメンコ紙に渋めの色調のピース群。
他方はあくまでも明るいディズニー調の発色のピース群。
それが半世紀経った今でも日本というフレームにはめようと四苦八苦している。
これが違和感の正体なのではあるまいか。

そんな違和感の中、新しい時代の潮流が押し寄せてきているが、さらに正体の知れぬ違和感がそこここから首を出す。社会には「不登校」「長欠」「発達障害」といった言葉が定着し、教育現場では「LGBT」「第二卒業式」などという言葉も徐々に聞くようになってきた。

卒業式は教師や親たちにとっても極めて特別なものである。
だから出席を拒む児童生徒を何とか出席させたいと考える。
よって卒業式のかなり前から当日の朝まで、大人と子供の「神経戦」は続くことになる。
やがて出席拒否の児童生徒の為に「第二卒業式」という概念が形成されて来るのである。

デジタル時代の集合写真は、あらかじめ参加できない児童の為のスペースを開けて撮影される。
第二卒業式で彼らを撮影し、先の集合写真にあたかもその場にいたかのように合成するのだ。

かつて公立小学校の卒業式当日にこんな事があった。

現場に到着すると担任達と短時間の打ち合わせが始まる。
その際、長欠や不登校児童について情報共有がなされる。
長期の不登校であれば修学旅行や運動会などの一大イベントにも参加していない事も多い。
当然卒業アルバムの該当ページにも写っていないことになる。
だからせめて卒業式ぐらいは何とかしてやりたい、と担任達は考えるのだ。

逆に管理職にあっては「逆平等逆公平」を気にし、限られた職員というリソースを特定少数の児童ばかりに充てることは出来ない、と考えるようだ。
よって、このように児童の対応について、式当日になっても担任たちと管理職の意見が食い違っていることさえある。
これはカメラマンとしては大変困るのであった。

その校長は言った。「集合写真はありのままで結構です。合成も必要ありません」
ワシにはこれがガラガラガラビシャーン!と店のシャッターが下りたかのように見えたのである。
多くの校長は子供のことを最後まで真剣に考えているものである。ここまで拒否感の強い校長はあまりお目にかかったことがなかった。だから久しぶりに正直ムカついた。
教育現場なのに子供という弱者の中の更に弱者を切るかのような言葉に、反骨精神と反発心がムクムクと沸き上がる。
『なんだよ、育ててきた子供の未来を諦めるのかよ、無視かよ。最後までやるのがプロじゃないのかよ!』と心の中で叫んだ。

この学校のアルバムは卒業式ページもある卒後納品と言われるタイプだった。
校長の意向を伝えると担任たちは食い下がった。

「頑張ってきた証を最後の記録として残してやりたいのです。何とかなりませんか?」
「う~ん…私の夫は発達障害を持っているので子どもたちへの対応など、少しはお役に立てるかもかもしれません。もし登校できたのであれば体育館の舞台袖で待機しておりますので、そこに連れてきていただくことは可能ですか? ダメもとでもやってみますか?」
「ぜひお願いします!このままではこの子たちは<学籍だけが卒業してしまいます>」

この言葉にワシの脳みその抑制機能は切れてしまった。
プルプル震えながら上ずりそうになるのをなんとか抑え、低い声で言った。
「校長先生のお考えに反する事になりますが、良いのですね?」
幼い正義感が暴走した。本当の敵は眼前の隣人ではないのに。

やがて卒業式が始まる直前、暗く沈んだ体育館舞台袖の扉が少し開き、一筋の太陽光が漏れてきた。
重たい扉を開けると逆光の中、そこには担任たちの前に二人の男児がうつむきながら立っていた。
児童の後ろから担任たちはワシに無言の視線を送ってくる。
扉は静かに閉まり、二人の子どもとワシは暗闇の中に取り残された。
遠くの赤い光は非常灯だろうか。積み上げられた椅子や机がうすぼんやりと浮かび上がる。

後先を考えず、教師でもないのに管理職の意向を無視するという禁を犯し、専門職でもないのに、出しゃばってしまったワシ。ワシを含めて大人の身勝手な気持ちや都合が押しつけられた子どもたち。
素人のワシにいったい何が出来るというのだろう。余計に傷けたら何とする?
担任達が叱責されたらなんとする?
また震えが来て生ツバを飲み込んだ。
この企てが失敗したらスタジオにも迷惑をかける。首になるかもしれない。

まぶしい日差しの降り注ぐ体育館脇の桜からだろうか。
春を謳歌するヒヨドリの叫び声が、やけにけたたましく聞こえてくる。

この続きは次回お話ししたいと思います。


飯塚尚子(いいづか・たかこ)
東京都大田区大森の江戸前産。子供の頃から父親の一眼レフを借り、中学の卒業アルバムのクラス写真は自ら手を挙げて撮影している。広告スタジオ勤務を経て現在フリーランスの教育現場専門カメラマン。フィールドは関東圏の保育園から大学まで。教育現場を通じて、社会の階層化・貧困化、発達障害やLGBTを取り巻く日常、また、議員よりも忙しいと思われる現場教員たちに集中していく社会の歪みを見続けている。教育現場は社会の鏡であり、必然的に行政や政治にもフォーカス。夫は高機能広汎性発達障害であり障害者手帳を持っている。教育現場から要請があれば、発達障がい児への対応などについて大人になった発達障がい者と直接質疑応答を交わす懇談会や講演も開催。基本、ドキュメンタリーが得意であるが、時折舞い込む入社式や冠婚葬祭ブツ撮り等も。人様にはごった煮カメラマンや幕の内弁当カメラマン、子供たちには人間界を卒業した妖怪学校1年のカメラマンと称している。


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