手厚い子育て支援など「誰一人見捨てない行政」を強烈なリーダーシップで推進して全国から注目を集めていた兵庫県明石市の泉房穂市長が10月12日、自民党の市議会議長と公明党の市議に暴言を吐いた責任を取り、来年4月の任期満了をもって政治家を引退すると表明した。
報道によると、市役所には「辞めないでほしい」という電話やメールが殺到しているという。先駆的な行政が大きく後退することを市民の多くが恐れているのだろう。
自民党や公明党などの4会派は10月6日、泉市長が市内企業の具体名を挙げて法人市民税額をツイッターで公開したことを問題視して問責決議案を市議会に提出。泉市長は8日にあった市立小学校の創立記念式典の来賓席で自民党の市議会議長に「問責なんてだしやがって。ふざけているのか。選挙で落としてやる」と発言。公明党の市議にも「問責決議案に賛成したら許さない」と伝えたという。
市議会やマスコミからはこの発言を非難する声が挙がっていた。
問責決議案は12日の市議会本会議で可決。これを受けて泉市長は本会議で市議らに向かって頭を下げて謝罪する一方、「私としては精いっぱい明石の街のために頑張ってきたのに、(議会の)党利党略、私利私欲に怒りが積もりに積もり、怒りが爆発した」と語った。
泉市長は2011年に初当選。2期目途中に国道用地の買収遅れをめぐり、職員に「(建物に)火つけてこい」と暴言を吐いたとして辞職したが、出直し市長選で3選を果たし、任期満了に伴う19年4月の市長選で無投票で4選していた。
泉市長へのインタビューで感じたこと
私は今夏の参院選の最中、「誰一人見捨てない」という泉市長の政治信条に感銘し、その原点が障害を持って生まれてきた弟と過ごした少年時代にあることを知って感動し、インタビューを申し込んだ。とても情熱的で、弱い立場の人々に徹底して寄り添う、昨今の政界ではほとんど見かけなくなった政治家であると思った。
インタビューでは弱者切り捨てをはじめ不公正な政治・行政のあり方に強い言葉で怒りをぶつけた。世の中の理不尽に対する強烈な憤りがほとばしって抑えきれなくなる、純朴で不器用な政治家だと思った。
暴言は確かに非難されるべき行為である。
ただし、今回の相手は自民党の市議会議長や公明党の市議だ。相手が政治家なら暴言が許されるというわけではない。ただ、問責決議案をめぐる激しい政争の最中の出来事である。急進改革派の泉市長と、旧来的な地盤を持つ自公両党は、市政運営で衝突を繰り返してきた。そのなかで飛び出した暴言を、一般市民へのそれと同一視することはできないだろう。
私は永田町で激しい派閥闘争・権力闘争を長く取材してきたが、「選挙で落としてやる」「決議案に賛成したら許さない」という凄みを効かした脅し文句が飛び交うことは珍しくなかった。政治家同士の権力闘争の現場の実態に照らしても、今回の暴言を一般市民や弱い立場の人々へのそれと同一視して「パワハラ問題」として扱うマスコミ各社の報道ぶりには違和感がある。
ただ、泉市長の暴言は二度目だ。一度は反省して市長を辞職し、出直し市長選で再起を期した経緯がある。再び暴言を繰り返したことは政治家として自らの行動を抑制する能力に欠けていたというほかない。泉市長はその政治責任を政界引退というかたちで示したということだ。
政治家として「説明責任」の本来の意味で果たした
泉市長は「説明責任」という言葉を繰り返し使ってきた。
泉市長が使う「説明責任」は、権力私物化を重ねながら捜査当局に立件されていないという一点をもって「問題ない」という根拠とし「説明責任を果たした」と言い張ってた安倍晋三元首相や、「丁寧な説明」という言葉を繰り返すばかりで国民が納得のいく説明をまったく語らない岸田文雄首相とはぜんぜん違う。
国家権力が一般市民を裁く司法(刑事事件)の世界では「疑わしきは罰せず」が原則だ。個人の基本的人権を何よりも重視する日本国憲法にのっとり、公開の裁判で有罪が決するまでは「推定無罪」とする考え方である。
しかし、民主政治において、主権者たる国民に選ばれた政治家には「推定無罪」の考え方は成立しない。政治学で「説明責任」(アカウンタビリティー)とは、政治家は具体的な疑惑を向けられた時に、身の潔白を自ら立証して国民を納得させられなければ「説明責任を果たしていない」として政治責任を取らせる(=辞職させる)という意味である。本来なら安倍氏も岸田氏も辞職していなければおかしいのだ。
これに対し、泉市長の「説明責任」に対する姿勢は明確だ。前回の職員に対する暴言の責任をとって辞職し、出直し市長選で再信任を受けた身でありながら、再び暴言を吐いてしまったことは、もはや市民に説明して納得してもらうことができない失態であり、政界引退によって政治責任を果たすしかないということである。
これこそ政治家の取るべき態度であろう。
国家権力を握る安倍元首相や岸田首相が口先だけで繰り返す「説明責任」と、自治体の長にすぎない泉市長が果たす「説明責任」。この政治責任の軽重について何も触れず、泉市長の暴言を一般市民に対する「パワハラ」と同列の視点で報じるばかりのマスコミは、あまりにバランスを欠いているというほかない。
改革派市長に立ちはだかる守旧派の市議会
今回の問題で政治報道の視点で欠かせない視点は、強烈なリーダーシップで先駆的な行政を進めてきた泉市長が、自公など市議会の主要会派と小競り合いを重ねてきたということだ。
泉市長はツイッターで「市長就任後11年半にわたる積もりに積もった怒りが爆発してしまった」「市民と議会のどちらを大切にするのかの問題で、私は市民を大切にしたいとのスタンス」などと綴っている。これまで先駆的な行政を進めようとするたびに自公両党が牛耳る市議会に足を引っ張られてきたという苛立ちがにじむ。
市議会は市長と市議会議員との政争の場である。それぞれの主張をぶつけあって、法律的・道義的に許される範囲で「足を引っ張る」ことも辞さないのは当然のことだと私は思う。
その過程で相手を挑発して暴言を吐かせ、世論の反発に火をつけて辞任に追い込むーーそのような政争は、永田町では日常茶飯事だ。政治闘争に勝ち抜いて自らが目指す政策を実行するには、政敵による妨害を回避して抑え込む政治力が必要であり、あまりに純朴で不器用な泉市長はその点、脇が甘かったということであろう。
マスコミは改革派市長をもてはやす傾向があるが、実際に改革派をつづけるのは容易ではない。たいがいの場合は市議会の妨害にあって妥協を重ねるうちに改革機運が失せてくるものだ。
昨夏の東京都杉並区長選で野党各党や市民派の共闘が実現して現職を倒す衝撃的勝利を収めた岸本聡子区長も、政治経験は乏しく、今後、区議会対応に忙殺されて丸く収まってくる可能性は十分にある。市長選がそれなりに関心を集めて投票率があがり、改革派が勝利することがしばしばあるが、市議会議員選挙は関心が低く、一定の組織票を固めて当選を繰り返す重鎮の市議が市議会で幅を効かしている。
泉市長は市議会の抵抗を市民たちの直接支援やマスコミへの発信で抑え込んできたのだが、今回は政局的にみるとやはり市議会に反撃され仕留められたというほかない。やはり市議会で多数派をどう形成するかは、改革派市長にとって永遠の悩みの種だろう。
それを華麗にやってのけたのが、大阪府・大阪市における維新である。府議会・市議会の選挙で巨大勢力を手に入れたことが知事や市長の権力基盤を安定させ大きくした。東京都の小池百合子知事もこれにならって「都民ファースト」を結成したが、大阪における維新ほどの成果はあがったとはいいがたい。維新の政治理念・政策はさておき、地方議会の多数派を握る政党戦略は、大いに参考にすべきである。
明石から全国へ
泉市長の突然の政界引退表明は非常に残念であり、明石市にとっては大きな損失となろうが、悪いことばかりではないだろう。
泉市長はツイッターで「明石市長としてやれることは、ほぼやり切った」「『明石から始める』は市長として一定程度実現できたと思っている」「これからは『明石から広げる』に力を注ぎたい」と発信している。
明石市でやれることはやった。子育て行政などの改革は周辺の自治体が追従し、もはや後戻りはできない。これから明石市政を舞台に市議会と不毛な対立を繰り返すことにエネルギーを注ぐよりも、明石方式を全国に広げて日本の政治全体を変えていきたいーーという決意なのだろう。むしろ今回の暴言を契機に「明石から全国へ」活躍の舞台を広げようという思いがあるのではないか。
私にはこの感覚がすこしわかる。拙著『朝日新聞政治部』で詳しく紹介したが、私も朝日新聞社を退職する際に調査報道に専従する特別報道部の創設をはじめ「この会社でやれることはやり尽くした」という思いがあり、あまり未練を感じなかった。むしろこれから小さなメディアを立ち上げ、ジャーナリズムを変えていこうという前向きな心境になった。
泉市長も案外、そのような心境になっているのではないか。このあたりはまたの機会にご本人とじっくりお話ししてみたい。
泉市長の引退表明についてはユーチューブ動画でも私の考え方をまとめた。ぜひご覧ください。