最近はテレビをほとんど観なくなった。ユーチューブ動画に見慣れると、テレビ番組は時間あたりに得られる情報があまりに少なく、つまらない。かつてテレビをみていた時代はいかに時間を無駄に使ってきたのかと思うばかりだ。
そんな折、たまたま外出時に民放のバラエティー番組の夏休み特集を観る機会があった。バブル期に日本列島の各地につくられたモニュメントなどを紹介するクイズ形式の番組だった。上空から見下ろした時に日本列島の形になっている人工島などが次々に紹介され、出演者たちが「現地を訪れてもそれが何なのか全然分からない」と笑いネタにしていた。
飛行機で訪れる観光客が上空から見下ろす際に発見する瞬間の話題作りのために巨額の税金を投入し、巨大なモニュメントをつくるほど財政力があり余っていた時代ーーそれがいまから30年前のバブル期だった。いったいなんのためにつくったのか首を傾げたくなるような巨大構造物があちこちに誕生し、私たちの社会は浮かれていたのだ。当時の「あぶく金」は建設業界へ流れ、そこから政界へ還流したのである。
平成に入ってまもなくバブルが崩壊し、日本は「低迷の30年」に入り、デフレ不況が長引き、就職氷河期が続き、労働市場の規制緩和で非正規労働が急増して雇用が不安定化し、一般労働者の賃金は上がらず、貧富の格差は拡大していく。金融の異次元緩和(アベノミクス)による円安株高で潤ったのは大企業や株主・経営者ら既得権層ばかりで、一般庶民の暮らしは苦しくなる一方の30年だったのだ。
30年前、日本列島はバブル経済にわいていた。各地には巨大なハコモノが相次いで建設され、ゼネコンはおおいに潤った。それらの巨大構造物はその後の30年間に維持管理費がかさみ、いまでは各地に老朽化が進んだ姿をさらけ出している。
各地につくられたテーマパークは雑草が生い茂り、お化け屋敷のようになっているところも少なくない。そこへ向かう橋やトンネル、道路の損傷は進み、維持管理費はかさみ、各地で陥落などの事故が相次ぐ。公道は絶対に安全という時代は終わった。日本に列島全体のインフラ整備を維持する体力はもはやない。
私たちは経済が調子のよい時に実に無駄な出費をかさねてしまった。老朽化して錆びついたハコモノをみるたびに、当時、教育無償化や子ども手当など「人への投資」へもっとお金を優先的に回し、国民生活を底上げしていたら、日本の人口減はこれほどまで深刻ではなく、日本社会はまだ活力を維持できたのではないかと思う。ずいぶんと無駄な投資だった。その責任は政治にある。
私たちはバブル期の投資の無駄をしっかり検証せずにきた。本来は無用の長物に巨額の税金を投じた当時の閣僚、知事、市長ら政治家はその判断を徹底検証され、膨大な維持管理費というコストを若い世代につけ残した責任を断罪されなければならない。
だが、そのような責任追及を受けたという実例を私は知らない。汚職など刑事事件にさえ問われなければ、やるべきことをやらず、やる必要のないことに巨額の税金を投じた政治責任を問われることは、この国ではほとんどない。それでは政治や民主主義が成熟することはあるまい。やはり過去の検証と断罪なくして政治は前へ進まないのだ。
冒頭に紹介したテレビ番組は「無用の長物」をクイズ形式で紹介するだけで、それらを後世に残した政治家たちの責任追及にはもちろん踏み込まず、笑い飛ばして終わった。テレビ番組のレベルはこの30年、何も変わっていないのだろう(出演する芸能人たちの顔ぶれも30年前とさほど変わっていないことに驚く。同じ顔ぶれによる同じようなテレビ番組を私たち日本人は30年も繰り返し観ているうちに、世界はどんどん先へ進んでしまったのだ)。
政治や経済の低迷と代わり映えしないテレビの実態は密接にかかわっているに違いない。社会が成熟するには情報を伝える側の成熟が不可欠である。
テレビや新聞の既存メディアに成熟が期待できない今、新興のネットメディアが台頭し、国民の大多数がネット中心の生活に移行してテレビや新聞を相手にしなくなるというかたちで進化するのが現実的だろう。私はそのような展開をたどる可能性は極めて高いと思っている。