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ワクチン「副反応死」にようやく補償第一号〜ワクチン接種のリスクを黙殺して「国策」の旗を振ってきた政府・専門家・マスコミの共同正犯

政府が国策として旗を振ってきた新型コロナウイルスのワクチン接種。接種後に急性アレルギー反応と急性心筋梗塞を発症して亡くなった91歳の女性に対し、厚生労働省の審査会が初めて死亡一時金の請求を認定し、4420万円の支払いを認めた。

ノンフィクション作家の山岡淳一郎さんがこの問題についてニュースソクラに寄稿した記事「ワクチン副反応死に やっと補償第一号〜91歳死亡例が救済され、26歳が保留」が興味深いので紹介したい。

私は山岡さんとはデモクラシータイムスで何度かご一緒させていただいたが、厚労省べったりの医療報道を続けるテレビ新聞の記者とは一線を画し、医療の現場に精通しつつ医療行政を厳しく追及するジャーナリストだ。

山岡さんは記事冒頭で「新型コロナ感染症の第7波が猛烈な勢いで感染者数を増やしている。若い世代への3回目のワクチン接種の必要性が叫ばれる一方、予防接種につきものの副反応の重篤な被害も少しずつ増えてきた」と指摘したうえ、「いくら安全なワクチンとはいえ、人の免疫は多様だから必ず、重い副反応が生じる例がある。社会防衛のために起きた被害は救済されなくてはならないだろう」と訴えている。

人間の身体は千差万別だ。ある人には効果のある薬やワクチンでも、ある人には健康に重大な悪影響を及ぼすことがある。医療の世界において「どんな人にも絶対に安全な投薬」というものはあり得ない。だからこそ、医師は本来、一人ひとりの身体の状況を診断したうえで、投薬やワクチン接種のメリットとリスクを十分に説明し、最終的には個人が自分の判断で決めるしかない。

ところが、コロナワクチンに関して政府(厚労省)や政府お抱えの専門家(尾身茂会長ら)は接種のリスクを十分に説明せず、老若男女に対してとにかく接種を推奨しまくった。厚労省や専門家べったりのテレビ新聞の医療記者たち(その多くは厚労省記者クラブ所属)は、厚労省や専門家の「国策ワクチン」の旗をともに振り、メリットばかりを強調し、リスクはほとんど触れず、そればかりかリスクを指摘する意見を「陰謀論」としてひとくくりに片づけてきたのである。

ワクチン接種は感染拡大防止には効果が少ないことは、私たちの身の回りで接種済の人が次々に感染していることでいまや誰もが知る常識だ。重症化を防ぐという政府やマスコミの触れ込みもいまやどこまで正しいのか説得力に欠ける。接種回数が1〜2回の人は未接種者よりも感染や重症化のリスクが高いというデータや分析もあるくらいだ。

厚労省や専門家、マスコミは所詮、ひとりひとりの身体よりも、社会全体の利益のためならひとりひとりの多少の被害は止むを得ないという全体主義的な発想が強い。そしていったん前へ進むと、過ちを認めて責任追及されることを恐れ、不都合な事実をもみ消して推進し続けるのだ。だからこそリスクを十分に周知せず、横一列に接種させようとする。決して後戻りしようとしない。引き返せない。戦争と同じ論理である。

政府は接種後の死亡例や健康被害については十分な調査をせず、マスコミもほとんど追及してこなかった。接種後に死亡した事例が相次いでいるのに政府やマスコミは「因果関係が確認されていない」という理由(「因果関係がない」と明言しているわけではないところがポイント!)で国民に接種後の死亡リスクを周知せず、いわば接種後の死亡が相次いでいる事実を「隠蔽」してきた。彼らの話を鵜呑みにしていたら知らないうちに自分の健康が脅かされる危険があると私は思う。

プロ野球・中日の現役投手が練習中に急死した直前にワクチンを接種していた事実を知りながら報じなかったマスコミについては鮫島タイムスでも『練習中に倒れて死亡した中日・木下投手の「ワクチン接種」を報じない朝日新聞とNHK』で紹介したとおりである。

感染後の死亡リスクが高い高齢者らと死亡リスクが低い若者では、ワクチン接種のメリットとリスクはまったく違う。一人ひとりの身体の特徴にあわせて接種の有無を決めるのが医療・治療行為だ。国民を横一列に扱って片っ端から接種を勧めるのは科学的姿勢ではない。前代未聞の新型コロナが登場して得体が知れない時点ならまだしも、日本上陸から2年半以上たった今も「とにかく片っ端から接種を」と呼びかける政府やマスコミの姿勢は非科学的姿勢の極みといえ、医療・製薬利権が背景にあると疑われても仕方がないだろう。

このような科学・医療記者たちの振る舞いは、戦後日本において政府や原子力専門家とともに原発神話の旗を振ってきた新聞社の姿をほうふつさせる。福島原発事故で原発神話が崩れたのに、政府と一緒になって原発推進報道を展開してきた新聞社の責任を自己検証し、総括していないからこそ、コロナでも同じ過ちを繰り返すのだ。

日本の科学・医療報道は国家や御用専門家に寄り添う傾向が極めて強く、その報道水準は国際的にも相当低いと断言できる。戦中に新聞社の社会部が軍部と一体化して「日本は勝っている」と大本営発表を垂れ流したのとまったく同じ構図である。

話を山岡さんの記事に戻そう。

政府が接種後の死亡例を「封印」してきたなか、7月25日にようやく「予防接種健康被害救済制度」に基づいて接種後に急性アレルギー反応と急性心筋梗塞を発症して亡くなった91歳の女性に死亡一時金4420万円などの支払いが認められた。女性には、脳虚血発作、高血圧症、心肥大の基礎疾患があり、ワクチン接種と死亡との因果関係が初めて認定されたのだ。

記事によると、新型コロナワクチン接種後に死亡したとして、これまでに200件以上の死亡一時金の申請が出されているが、国が審査しているのはわずか9件にとどまっている。そのうち今回の1件が認定され、残り8件は保留のまま。山岡さんは「被害救済の光がさしたと言っても、まだほのかな灯にすぎない」と指摘している。

死亡例だけでなく、副反応の後遺症を抱えて生きている人たちからの医療費・医療手当の請求などを含めると、これまでに約3700件の救済申請が政府に届いているという。このなかには26歳女性が保留されているケースも含まれている。

山岡さんは「一見すると、91歳への死亡一時金の支払いが認められ、26歳は保留というのはわかりにくい。働きざかりの若い世代への補償こそ、急がれるのではないか」と主張している。私もまったく同感だ。

私は、国策ワクチンの接種を推奨するばかりで、リスクを十分に伝えてこなかった政府・厚労省・専門家・マスコミをまったく信用していない。もちろん彼らのなかには良心的な人もいるだろうが、大勢は「これまでの国策推進は間違っていなかった」というために、ワクチン接種の死亡例を「極めて特殊な事情」として覆い隠そうとするだろう。

薬害に真実の光が注がれるのは長い歳月を経た後になることは、薬害をめぐる数多くの歴史が物語っている。その歴史を振り返ると、いまよりはマスコミ各社は薬害を訴える人々の声を「因果関係が確認できない」として切り捨てるのではなく、むしろ「政府は因果関係を検証し、あいまいな場合は広く認定すべきだ」と主張してきたように思う。

ところが、昨今のマスコミは薬害を訴える人々に寄り添うのではなく、薬害の範囲を極力限定したい官僚や専門家と一体化する風潮が強い。それはジャーナリズムのとるべき立場ではない。国策として推進したワクチン接種による被害者の救済は徹底的に手厚く実施して当然だ。

いったい誰のための報道なのか。厚労省や専門家の御用記者たちにワクチン報道を任せていたら、いつまでたっても被害の回復は進まない。それほどまでに今のテレビ新聞の医療報道は地に堕ちている。コロナ禍は医療報道の薄っぺらさを露呈させた。医療記者たちは自分たちが政府とともに国策ワクチンの旗を振った責任を問われたくないだけだ。所詮は自己保身なのである。

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