政治を斬る!

政治闘争(民主主義)と法廷闘争(立憲主義)の違いから考える脱原発運動〜講演『マイノリティたちの多数派をつくる〜原発事故の被害者たちが孤立しないために』

原発被害者訴訟の原告団全国連絡会が東京・日比谷で4月30日に開いた総会に私が招かれて行った講演『マイノリティたちの多数派をつくる〜原発事故の被害者たちが孤立しないために』が、季刊誌『紙の爆弾 季節 2023夏号』に14ページにわたって掲載された。

私の講演を紙媒体にここまで詳細に掲載していただいたのははじめてである。このたび自宅に届いたのでページをめくると、私が語ったとおり、極めて忠実にまとめてもらった印象だ。

講演の中でも触れたが、私の記者人生は福島原発事故を抜きには語れない。

2011年の事故発生当時は朝日新聞政治部デスクとして菅直人政権の取材の陣頭指揮をとっていた。その後、政権の動きを追うばかりの政治部に限界を感じて調査報道専門の特別報道部デスクに転じ、2013年には「手抜き除染」取材班を代表して新聞協会賞を受賞した。

それからも福島原発事故の調査報道に取り組む複数の取材班を率い、政府が隠蔽してきた福島第一原発所長の証言録「吉田調書」を独自入手して特報した。朝日新聞社は当初、「吉田調書報道」を新聞協会賞に申請したものの、当時の安倍政権に反撃され、3ヶ月余の攻防を経て当時の経営陣は追い込まれ、一転して記事を取り消して東京電力などに謝罪し、取材記者を含む関係者を処分したのである。

2014年の政界とマスコミ界を揺るがす大事件だった。これを機に朝日新聞に限らずマスコミ各社は急速に政権すり寄りの報道姿勢を強めたのである。

私もデスクを更迭され、週刊誌やネット上で激しくバッシングされ、朝日新聞社から懲戒処分を受けて記者職を解かれた。社内でも四面楚歌で辛い思いをしたが、今思えば、この事件が新聞社を見切り、2021年に独立して小さなメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊する道を切り開いてくれたのだった(一連の経緯は拙著『朝日新聞政治部』に詳細に記している)。

福島原発事故がなければ私の記者人生はまったく違ったものになっていただろう。そして、被害者訴訟の原告9645人の方々も、私以上に、原発事故によって人生が大きく変わったに違いない。それだけに、私としては相当な思いを込めて臨んだ講演だった。

講演直後にSAMEJIMA TIMESに執筆した記事が『国家はつねに分断して統治する〜原発被害者訴訟原告団の総会記念講演で語ったこと』である。私自身がこの講演に込めた思いを吐露する内容だったが、今回の季刊誌の記事を読むと、やはり第三者の記者が客観的にまとめていただくと読みやすいと実感するばかりだ。

講演の全内容はぜひ『季刊誌『紙の爆弾 季節 2023夏号』をお手に取ってお読みいただきたいが、概略を紹介すると、「私の記者人生と原発事故」を具体的なエピソードを交えて振り返ったうえで、以下のような論点を具体例を示しながら丁寧に解説している。

① 民主主義と立憲主義は本質的に対立概念である。民主主義は多数決で物事を決めること、立憲主義は民主主義からこぼれた少数者の人権を守ることに本質がある。この両方がバランスよく機能しなければ、社会は健全さを維持できない。

② 民主主義に基づいて多数の支持獲得を目指すのが政治闘争であり、立憲主義に基づいて多数決に敗れた少数者ひとりひとりの個別具体的な人権を救済するのが法廷闘争である。

③原発被害者訴訟はまさに立憲主義に基づく法廷闘争であり、ここに多大な努力を傾注している原告団には敬意を称したい。裁判所が原発回帰を進める現政権におもねり、ひとりひとりの原発被害者の人権を救済できないようでは存在意義が揺らぐ。

④一方で、原発被害者運動を俯瞰すると、法廷闘争に偏り、民主主義に基づく政治闘争では広がりを欠いていると言わざるを得ない。つまり、多数の支持獲得という意味では成功しているとは言い難いのである。

⑤最大の理由は、政権側の「分断して統治する」という常套手段に翻弄されているからだ。避難区域とそれ以外を線引きして補償に差をつけるというのは「分断統治」の典型事例だ。これによって政権側は被害者側の内部対立を煽り、連帯して政権に立ち向かってくることを阻んでいる。

⑥「分断統治」は福島原発事故に限ったことではない。権力者たち(政治家や官僚)は常に大衆を分断して支配することに腐心している。沖縄米軍基地問題も受け入れた自治体だけに手厚い振興策を実施し分断を図る。児童手当も所得制限をつけて対立を煽る。子育て支援の財源を社会保険料の引き上げで捻出するという発想は、まさに世代間対立を煽って政権批判をかわす典型だ。

⑦政権が「分断して統治する」のは、民主主義において数の上では圧倒的な多数である大衆(民衆)が連帯して歯向かってくることを最も恐れているからである。フランス革命や江戸時代の打ち壊しのように、大衆(民衆)が束になって迫ってきたら、どんなに軍隊や警察が治安を強化しても太刀打ちできない。だから日頃から大衆を分断することに腐心するのだ。

⑧分断統治の鉄則は、庶民に「私は多数派」であり「少数者(マイノリティ)は私とは別の存在だ」「私は少数者(マイノリティ)になりたくはない」と思い込ませることである。政権はこうして庶民を徐々に切り捨てていく。しかし考えてほしい。誰しも何かのテーマで少数者(マイノリティ)の部分を抱えているはずだ。私はシングルマザー家庭で育ち高校生から奨学金をもらって通学していたという意味ではマイノリティだ(私が中高生時代の高松市ではシングルマザー家庭はまだ少なかった)。誰しも、ある分野では多数派でも、何かの分野ではマイノリティであるはずだ。

⑨大衆(民衆)が国家権力に立ち向かうのに必要なのは、自分とは別の分野のマイノリティの立場に思いをはせて尊重し、テーマの壁を乗り越え、「あなたはこの分野でマイノリティですね、私はこの分野でマイノリティなんです」というように連帯することである。原発被害者運動にあてはめると、原発問題にとどまらず、人種、民族、ジェンダー、障がい者、貧困などあらゆる問題で横の連携を強め、あらゆるマイノリティたちと「少数者の人権を守る」ことで連帯することだ。おのずからそれは多数派になる。これが政治闘争の勝つ鉄則である。

詳細はぜひ『季刊誌『紙の爆弾 季節 2023夏号』で。

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