福島第一原発の敷地内に貯蔵されてきた「汚染水をALPS処理した水」(ALPS処理水)について、岸田政権がついに海洋放出を決定した。原子力の平和利用を進める国際原子力機関(IAEA)が海洋放出を認める報告書をまとめたことを受け、岸田文雄首相が現地を視察して漁業関係者と面会し、一定の理解を得たと判断したためだ。
ALPS処理水とは、福島第一原発事故後に原子炉を冷却するために使用した「汚染水」から「ALPS」とよばれる装置で放射性物質を除去した水のことである。しかし、ALPSではトリチウムという放射性物質は除去できないため、政府と東京電力は事故後、原発敷地内に大量のタンクを建設してALPS処理水を貯蔵してきた。
政府や東電は「タンクを設置する場所がもうない」として海洋放出の検討を進めてきた。この説明はミスリードだろう。原発周辺にはいくらでも土地が空いている。政府と東電の本音は、この先もタンクを増設して貯蔵を続けるとコストが際限なく膨れ上がるので、できるだけ早く海へ放出してしまいたいということだ。
要は「コスト」の問題である。
この問題をどう考えたらよいか。技術論と政治論にわけて考えてみよう。
技術論
海洋放出の賛成派が「安全」と根拠とするのは、「ALPS処理水の放出は、人及び環境に対し、無視できるほどの放射線影響になる」というIAEAの報告書だ。
これに対し、反対派はIAEAはそもそも原子力の平和利用を推進するために設立された国際組織であり、その報告書のみを根拠に海洋放出に踏み切ることに疑問を呈している。
賛成派はALPS処理水ではトリチウムが除去できないことは認めたうえ、世界各地でトリチウムは海洋放出されていると主張している。
反対派はこれに対し、①安全に運転されている原発から放出される水と、世界史上最悪水準の福島第一原発事故から放出される水は別物②トリチウム以外の放射性物質も含まれている恐れが拭えず、安全とは言い切れない③汚染水を海水で希釈して濃度を薄めて海洋放出しても海に撒き散らかされる汚染物質の総量は同じーーなどと反論している。
以上の対立からいえるのは、ALPS処理水は科学的に「完璧に安全」と断定できないものの、「完璧な安全」を追求するために膨大な維持管理コストをかけてタンクに貯蔵し続けるわけにもいかないため、「リスクをできるだけ下げて海洋放出に踏み切る」ことを許容するかどうかという判断が割れているということだ。
IAEAでさえ「無視できるほどの放射線影響」とし、「放射線影響がない」とは言い切っていない。これは「どのくらいまで放射線影響を無視するのか」というリスク評価の問題といえよう。
現在の科学で解明されていないことは数知れない。いったん海洋放出してしまえば、のちに重大な影響が判明しても、取り返しがつかない。わからないこと、断定できないことは、素直にそう認める。それこそ科学的な態度である。国際機関の「お墨付き」を振りかざして「科学的だ」と押し通すことほど、非科学的な態度はない。まずはこの点を確認すべきである。
ここから先は、「リスク評価」の問題を政治的にどうコントロールするかという民主主義の問題となる。
政治論
中国政府がALPS処理水の海洋放出について「安全なら海に放出する必要はないし、危険なら海に放出してはならない」と主張したのは、極めて明快な論理だった。
繰り返すが、ALPS処理水の問題が難しいのは、誰もが「絶対に安全」とは言い切れず、あくまでも「リスクをどのくらい見積もるのか」という評価の問題であることだ。まずは政府が「絶対に安全とは言い切れない」という厳然たる事実を認めなければ、それから先の話は嘘くさくなる。
その意味で、コロナ対策のワクチン接種と類似している。接種後の一時的な副作用にとどまらず、後遺症が長引いたり、さらには命を失うリスクも報告されている。それは限られた人にだけ生じる薬害かもしれないが、国家が国策としてすべての国民にワクチン接種を推進するなかで、ワクチンが体質にあわなかったり、不運にも接種した時の健康状態が悪かったりして、一定の人に生命や健康に重大な影響が出てしまうリスクをゼロにすることはできない。ワクチン接種も「リスク評価」の問題なのだ。
政府は本来、「接種にはメリットとリスクがある。ひとりひとりが自分自身にとってもメリットとリスクを自ら考え、接種するかしないかを慎重に判断してほしい」と言うべきなのだが、国民に対してリスクをほとんど伝えず、メリットばかりを強調して接種の旗を振ってきたところが「非科学的」だった。
最近ではマイナンバーカードをめぐる問題も似ている。河野太郎大臣は個人情報漏洩などのリスクを一切伝えず、「国民の利便性」と「マイナポイント」ばかりを強調し、マイナカードを普及させてきた。リスクを知らせずに国策を推し進めた姿勢が、政治不信を増大させたのだ。
ALPS処理水も同様だろう。
ALPS処理水は「完璧に安全」とは断言できないのに、政府がIAEAの報告書を金科玉条のように掲げて「安全」と言い張り、リスク評価の問題から目を背けていることに最大の問題がある。
ただでさえ、政府や東電は原発事故で数々の隠蔽を重ねてきた。そもそも信用を失っているのに、リスクを正直に認めない姿勢は、ますます不信感を募らせるだけだ。
もうひとつ気になるのは、「漁業関係者」の「理解」を、海洋放出に至る最大の政治プロセス(政治的関門)に掲げてきた政府の姿勢である。
地元の漁業関係者にとって海洋放出は生業を続けることができるか否かにかかわる重大問題である。ただ、海洋放出は漁業関係者だけの問題ではない。私たちの海が取り返しのつかないダメージを受けるリスクがあるという意味で日本にとどまらず世界共有の関心事である。
それを「漁業関係者の理解」を政治的ハードルに設定し、一定の理解を得られたとして海洋放出に踏み切る岸田政権の姿勢は、すべての政治的責任を「漁業関係者」のみに押し付けているともいえ、政治の合意形成の進め方として極めて問題だ。
岸田首相は漁業関係者との面会で「廃炉、及びALPS処理水の放出を安全に完遂すること、また、漁業者の皆様が安心して生業を継続できるように必要な対策を取り続けることを、たとえ今後、数十年の長期にわたろうとも、全責任を持って対応することをお約束致します」と伝えた。
岸田首相個人が「数十年」後も責任は担えない。これは日本政府としての「約束」なのだが、その日本政府は公文書の改竄や廃棄を繰り返し、国民にリスクを伝えず国策を推進する「信用できない組織」である。
「汚染水」の海洋放出が決定したら、次は除染した「汚染土」の処分問題がくる。こちらは「一定の処理」を経て日本列島各地のインフラ整備や宅地造成の現場に知らず知らずに使われる可能性もあるのだ。もはや他人事ではない。
ALPS処理水は「科学問題」ではなく「政治問題」である。私たちが自分の国の政治家をどこまで信用して託すことができるのか、そのうえで社会全体でどこまでリスクを許容するのかという合意形成をどう進めていくのかという民主主義のあり方の問題であることを再認識したい。
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