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原爆の悲惨さばかりを教え「なぜ原爆を落とされてしまったのか」をあいまいにした戦後日本のツケ

8月6日は広島に原爆が投下された日である。

1971年生まれの私の世代は学校で「原爆の悲惨さ」を繰り返し教えられた。子どもたちの脳裏にそれを焼き付けることが「反戦教育」の基本であると信じられていた時代であった。

一方で、なぜ原爆を落とされることになったのか、原爆投下を防ぐことはできなかったのか、原爆を投下された責任は誰にあるのかという政治的な問題についてはほとんど教えられなかった。原爆投下に至る経緯や責任の所在を深く掘り下げることなく「原爆の悲惨さ」ばかりを一方的に押し付ける授業に違和感を覚えた同世代は少なくない。そうした学校教育への反発が現在の「反リベラル」の土壌を醸成した要因の一つではなかろうか。

原爆の悲惨さばかりを強調する「反戦教育」は、「日本は原爆を落とされた被害国」という印象だけを子どもたちに残し、日本がアジア諸国に侵攻して植民地政策を進めた「加害国」であるという自覚を希薄にさせた。さらには開戦を決断し、敗戦濃厚になっても敗北を認めず戦争を継続し、多くの国民の命を無駄に犠牲にした当時の為政者たち(昭和天皇を含む)の政治責任(戦争責任)をあいまいにすることにも一役買ったと私は思っている。

A級戦犯だった岸信介(安倍晋三前首相の祖父)らが敗戦後に米国に接近してその庇護のもとに旗揚げした自民党と、反戦教育を主導した日教組を強力な支持基盤としながら決して政権を獲得しようとせず万年野党に甘んじた社会党が、「自社体制」と呼ばれる国会で裏取引を重ね、政治の安定と経済の成長を最優先にして戦争責任の追及を棚上げしたのが戦後日本である。原爆の悲惨さばかりを教え、日本国民に多大な犠牲を強いた為政者たちの政治責任やアジア諸国に対する加害責任を真正面から取り上げない学校教育は、戦後日本を高度経済成長に導いた「自社体制」の欺瞞を象徴しているといえるだろう。

原爆の日にあえてこのような問題提起をするのは、「原爆投下は防げなかったのか」「その政治責任は誰にあるのか」を深く掘り下げようとしない日本の政治文化の限界が、目下のコロナ危機であらわになったと思うからである。

中国・武漢で「新型肺炎」が爆発的に広がった昨年初め以降、振り返れば、この国のコロナ対策は失態続きだった。政府やマスコミが当初喧伝した「PCR検査抑制論」は感染実態を覆い隠し、あるべきコロナ対策をめぐる議論を混迷させた。

政府はこの一年半、感染拡大を防ぐため国民に自粛と行動変容を求めることに終始し、国民の命を守るために医療供給体制を拡充するという国家としての最低限の責務を放棄してきた。その結果、感染者は欧米より桁違いに少ないのに受け入れ病床が不足するという摩訶不思議な「医療崩壊」が何度か発生したのだが、それでも医療供給体制を拡充しなかったのである。挙げ句の果てに、東京五輪の強行開催にあわせて拡大したデルタ株によって「治療の必要な患者(=需要)」が急増し、「患者を受け入れる医療リソース(=供給)」が追いつかなくなる大規模な「医療崩壊」に陥ったのが、現時点のこの国の姿である。

しかも「切り札」に掲げるワクチンの独自開発に失敗し、国際的調達にも大きく出遅れ、先進国でワクチン接種率最下位という汚名をさらしたのだった。そればかりではない。アベノマスクや接触確認アプリの混乱など「行政崩壊」を事例は枚挙にいとまがない。そのような日本行政の無能ぶりは、コロナ禍での東京五輪の大会運営をめぐる数々の不手際で世界中が知ることになった。

驚くべきは、ここに至るまで「コロナ対策の失政」の政治責任を誰もとっていないことである。先代の安倍首相も現在の菅首相も、医療を担当する厚生労働大臣も、コロナ対策の担当大臣も、ワクチン担当大臣も、東京都知事も、大阪府知事も、そして尾身茂会長ら専門家たちも、誰一人、責任をとっていないのである。いつのまにか現状を追認し、自分たちの政治責任をうやむやにしてその地位に居座っているのである。

そんなことだから、いつまでも同じ過ちを繰り返すのだ。

与党ばかりではない。東京五輪中止を主張していた野党第一党の党首が大会開幕後に「中止は現実的ではない」に転じる姿は、かつての「自社体制」の現状追認政治の再来のようだ。「なぜ原爆を落とされたのか」「その政治責任は誰にあるのか」を深く掘り下げてこなかった戦後日本の政治文化そのものではないか。

これから日本社会に「コロナの悲惨さ」が拡大しないことを願いたい。しかし、犠牲者が急増するような現実に見舞われてもなお「コロナの悲惨さ」ばかりが強調され、それを招いた政治責任がうやむやにされたら、私たちは多大な犠牲を払った先の大戦から何も学ばなかった愚かな国民として歴史に刻まれるであろう。

「コロナ失政」を直視し、その政治責任を徹底的に問うことは、今を生きる私たちが、後世に向けて果たさなければならない責任である。

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