岸田文雄首相が1月4日に官邸で開いた年頭の記者会見で、国民が最も知りたかったのは、①1月1日に起きた能登半島地震で被害が出た志賀原発の状況②羽田空港で起きたJAL機と海保機の衝突事故の真相ーーだったと思う。
ところが、岸田首相はいずれも一切言及せず、そして官邸記者クラブに所属するマスコミ各社の政治部記者も誰一人質問しなかった。私は唖然とするしかなかった。
なぜこんなことが起きたのか?
首相の年頭記者会見は、伊勢神宮参拝後に現地で行うのが慣例だ。今年は能登半島地震が発生して伊勢参拝が延期され、首相官邸で開かれることになった。
岸田首相としては、能登半島地震の被災者支援と自民党安倍派などの裏金事件への対応をアピールし、1割台に低迷する内閣支持率を回復させ、政権与党内で強まる「3月訪米・予算成立を花道に退陣論」を押し戻す反転攻勢の起点となるはずだった。
岸田首相は地震発生後、対策本部会合が終わった後、連日、記者団の取材に応じている。このため、4日の年頭会見は地震よりも政治改革に軸足をおくことは、あらかじめ予想できた。
だが、①来週に自民党に「政治刷新本部」を立ち上げ、自らが本部長となる②1月中には政治改革の中間的とりまとめを発表し、必要なら通行国会に関連法案(政治資金規正法改正案など)を提出するーーことを淡々と表明するだけで、具体的な中身はほとんどなかった。
能登半島地震についても目新しい発信はなく、被災者らの心に響く訴えもまったくなかったのである。
率直に言って、精彩を欠く記者会見だった。国民に向かって何かをアピールしようとする意気込みがまったく感じられなかったのである。
年明け早々、大地震と航空機事故というショッキングな出来事が相次ぎ、岸田首相は社会不安の高まりを痛感して、政権運営への自信を失ったのだろうかーー私はまずはそう感じた。
実際、日本テレビは元旦に「岸田首相が周辺に『自分がやめて何か解決するのか。やめて解決するならいつでもやめてやる』と話した」との内容を報じていた。かなり投げやりになってきたかもしれないと思ったのだ。
しかし、退陣論がささやかれる3月は、まだ先だ。岸田首相が一時的に投げやり気分になることはあっても、心は揺れ動き、結局のところ、支持率を何とか回復させることでギリギリまで続投の芽を残そうとするはずだと思い直した。
それにしても、せっかくの反転攻勢の好機である年頭記者会見に、これほど熱が入っていないのはなぜなのか。
実は記者から突っ込まれたくないテーマがあるため、簡潔に会見を打ち切ることを優先したのではないか。
そうだとすれば、そのテーマは、志賀原発か、羽田事故か。
志賀原発について、政府や北陸電力は地震発生直後に「異常なし」と発表していたが、その後、①外部電源を取り込む電気系統の一部が壊れた②水位が3メートル上昇し、防潮壁も傾いていたーーなどの被害が発生していたことを五月雨式に発表。まだ「伏せている事実」があるのではないかと疑念を招く事態に陥っている。
羽田事故は海保機の機長が管制の指示を取り違えた可能性がマスコミ報道で指摘されているが、それは国交省が公表した交信記録や国交省側のリークに基づくものだろう。海保機の機長の証言は食い違っているという。ここも未解明が部分が残る。
志賀原発にしろ、羽田事故にしろ、岸田首相にもとには国民が知らない情報があがっているはずだ。この日の記者会見で質問されたくない何かしらかの事情があり、その結果、岸田首相の発言は全体として勢いを欠き、記者会見も40分ほどで打ち切ることになったのではないかと想像したのである。
首相記者会見の最大の問題点は、質問者を官邸側の司会者が指名することにある。
官邸側は各記者にどんな質問をするのか事前に聞き取っている(これに応じない記者もいる)。官邸と記者クラブの馴れ合いだ。その聞き取りを踏まえ、今回は志賀原発と羽田事故を質問しそうな記者をあえて指名しなかったのだろう。
会見終了が告げられた後、フリーの犬飼淳記者が、原発関連の質問があると訴え、「再稼働をあきらめるべきではないか」と岸田首相に向かって叫んだが、首相は無言のまま立ち去った。
志賀原発に何の懸念もないのなら、首相の言葉ではっきりと国民に向かって語るべきだった。無言で立ち去る姿をみると、やはり志賀原発について触れられたくなかったのかと勘繰ってしまう。
いずれにせよ、情けないのは、官邸記者クラブ所属のマスコミ各社の政治記者たちだ。無言で立ち去る岸田首相に対し、なぜ、フリーの犬飼記者と一緒に抗議しなかったのか。
志賀原発や羽田事故について首相が一言も語らない年頭記者会見を容認した時点で、記者クラブの存在意義は失われたといっていい。