自民党総裁選が9月17日告示ー29日投開票の日程で予定通り実施され、菅義偉首相が国民的不人気をもろともせず再選を目指して出馬した場合、対抗馬の一番手になるとみられるのは、岸田派(宏池会)会長の岸田文雄・前政調会長である。菅首相が惨敗した横浜市長選を受けて、岸田氏が総裁選に出馬する見通しを伝える報道が出始めた。きょうは岸田氏の人物像について書く。
私は小泉政権下の2003年に宏池会の番記者を務めた。当時の宏池会は古賀誠元幹事長が大きな力をふるっていた。岸田氏は当選3回の若手有望株という位置付けだったが、目ぼしい政治的言動はなく「お行儀の良い世襲議員」の典型であった。
当時の宏池会には菅首相も在籍していた。すでに50代半ばだったが、当選2回で「若手」に分類される政治家であった。しかし、政治家秘書出身の叩き上げである菅氏の立ち振る舞いは岸田氏とは対照的で、強面の親分である古賀氏を突き上げることもしばしばだった。
古賀氏は当時、野中広務元幹事長と並んで小泉改革に対抗する「抵抗勢力のドン」と言われ、同年総裁選で小泉首相への対抗馬擁立を探っていた。菅氏は小泉支持の立場を鮮明にして古賀氏と緊張関係を維持しつつ、古賀氏から「扱いにくいが使える子分」と評価されていた。その後、清和会(現・細田派)が支配する自民党内で頭角を表していったのは、岸田氏ではなく菅氏だった。
古賀氏が宏池会を継承するリーダーとして指名したのは、岸田氏だった。岸田氏が会長に就任すると、古賀氏は名誉会長となり、政界引退後も派閥内に隠然たる影響力を残した。岸田派は古賀氏の傀儡派閥といえた。決して歯向かうことのない「お行儀の良い世襲議員」だからこそ、古賀氏が岸田氏に「禅譲」したことは明らかだった。
その岸田氏は昨年の自民党総裁選で、安倍晋三首相と麻生太郎副総理の支持を得るため、「古賀離れ」を進めた。最終的には安倍・麻生両氏の支持を得られず、梯子を外され、菅氏に次ぐ2位に甘んじたが、それでも巨大派閥を率いる2人に逆らっては首相の座をつかむ可能性はないと思い定めているようである。
岸田氏は麻生氏の要求を受け入れて古賀氏に名誉会長の退任を求めた。麻生氏に言われるがまま、麻生派と岸田派の合流も視野に入れている。安倍・麻生両氏にひらすら頭を下げ、自らは両氏にとって「一枚の政局カード」に過ぎない存在であると理解しつつ、梯子を外されてもなお付き従うことで首相の座を目指す政治姿勢は、二階俊博幹事長や菅首相ら政界工作を尽くしてあらゆる選択肢を天秤にかける叩き上げの政治家とは正反対だ。
政治学者の中島岳志・東工大教授は、自民党の首相候補の著書を徹底的に読み込んで政治家像を分析した『自民党〜価値とリスクのマトリクス』のなかで、岸田氏を「当たり障りのないことを言う天才」と酷評している。中島教授が同著を執筆した2019年当時、岸田氏の政治理念や政策ヴィジョンを分析しようにも、岸田氏は首相を目指す政治家としては異例なことに一冊も著書を出していなかった。そこで中島教授は岸田氏の過去のインタビューや発言をかき集めて政治家像を分析した。その結果は以下の評価であった。
岸田さんはその時どきの権力者に合わせ、巧みに衝突を避けてきた政治家です。はっきりとしたヴィジョンを示さないことによって敵をつくらず、有力な地位を獲得してきた順応型で、よく言えば堅実、冷静。しかし、この国をどのような方向に導きたいのかよくわからず、何をしたいのか極めて不明瞭な政治家です(中略)岸田さんに必要なのは、権力者の顔色を見ず、自らの考えを示す勇気と知性です。
政治学者として数多くの文献を読み込んだ中島教授の分析は、宏池会担当の政治記者として岸田氏をウオッチしてきた私の肌感覚とぴったり合う。まさに「その時どきの権力者に合わせ、何をしたいのか極めて不明瞭な政治家」なのだ。
今回の自民党総裁選でも、岸田氏が安倍・麻生両氏の支援を得られる保証はない。岸田氏は安倍・麻生両氏にとって、菅首相との交渉を優位に進めるための「政局カード」であり続ける。安倍・麻生両氏が菅首相再選を支持する見返りとして要求するのは、二階幹事長の交代だ。その水面下の交渉が決裂し、「安倍・麻生vs二階・菅」が双方譲らず激突する場合に限り、岸田氏勝利の可能性が浮上してくる。
仮に岸田氏が勝利したらどうなるか。安倍・麻生両氏の傀儡政権になるのは間違いない。もちろん岸田氏は「その時どきの権力者に合わせ、巧みに衝突を避けてきた政治家」である。首相になってもその本質が変わることはなく、古賀氏から麻生氏へじわじわと庇護者を移していったように、安倍・麻生両氏の政治力が低下すれば新たな庇護者のもとへにじり寄ることはあるだろう。しかしそれは極めて遅々とした歩みであることが予想され、岸田氏自身が強力なリーダーシップを発揮してコロナ危機からの脱出を主導することはありえないと私は断言できる。
このような政治指導者がコロナ危機下の日本に求められているのか。権力掌握に明け暮れて医療崩壊を招いた菅政権よりマシなのか、今よりさらに混迷を深める結果となるのか。その選択はまずは自民党に委ねられる。その自民党の選択の是非に対して私たち有権者が審判を下すのが、自民党総裁選直後の衆院選挙である。