新型コロナ対策のマスク着用について「3月13日から個人の判断に委ねる」という政府方針について、案の定、日本社会に大混乱が生じている。
そもそもマスク着用は「国民の義務」ではなかったのに、政府も専門家もマスコミも「国民の義務」として扱い、国民もそう思い込んでいたところに最大の原因があると私は思っている。
私の見解は『行動自粛、マスク着用、ワクチン接種…「法律による国民の義務」と「国家による協力のお願い」を3年間もあいまいにしてきた政府のコロナ対策とマスコミ報道の罪』ですでに述べたとおり、政府の発表の仕方とマスコミの報道の仕方に大きな問題があったと考えている。
今回の政府方針を伝える報道をもとに、改めて指摘したい。「題材」は以下のNHK報道だ(太字は筆者)。
新型コロナ対策としてのマスクの着用について、政府は、来月13日から屋内・屋外を問わず個人の判断に委ねる方針を決定しました(中略)。医療機関を受診する際や通勤ラッシュ時といった混雑した電車やバスに乗る際などには、マスクの着用を推奨するなどとした方針を決定しました。また新型コロナの流行期に、重症化リスクの高い人が混雑した場所に行く際には、感染対策としてマスクの着用が効果的であると周知するとしたほか、症状がある人や同居家族に陽性者がいる人などは、外出を控え、通院などでやむをえず外出する際には、人混みを避けマスクを着用するよう求めています。さらに学校教育の現場では、新学期となる4月1日から着用を求めないことを基本とするほか、それに先立って行われる卒業式は、その教育的意義を考慮し、児童・生徒などは着用せずに出席することを基本とするとしています。
一読して新方針とこれまでの方針のどこが違うのか、私にはよく理解できない。これまでもマスク着用は「国民の義務」ではなかった。国民に義務を課すには法律を制定しなければならない。それが基本的人権を尊重する法治国家の大原則である。しかし今の日本に「マスク着用」を義務付ける法律はない。日本政府はこれまでも国民にマスク着用を強要することは避け、あくまでも「協力要請」してきただけなのだ。
政府はなぜ法律を制定してマスク着用を義務付けず、同調圧力を利用して「事実上の強制」をしてきたのか。コロナ発生当初なら「緊急措置」という理屈が成り立つが、コロナ発生から3年以上たつ今、そんな言い訳は通用しない。「国民の自由と権利を侵害することをできるだけ避ける人権尊重の立場から義務付けを見送った」というのが想定問答なのだろうが、「事実上の強制」は「法律による強制」よりも責任の所在があいまいになる分、実はタチが悪い。
本当の理由は、政府の政治家、官僚、御用学者たちがマスク着用の義務化で生じる様々な問題で責任を問われることを回避するためだ。
国民に強制する以上、それによって国民に被害が生じた場合は当然のこととして補償や賠償の責任が生じる。
マスクが肌に合わず炎症が起きる人、息苦しさから心身に異常をきたす人、マスクを購入できない人への対応、マスク未着用が原因で感染が広がった場合の対処…このような問題から生じる「法的責任」から逃れるためには、法律を制定してマスク着用を義務化することは避けて協力要請にとどめ、日本社会の同調圧力を利用して「あくまでも国民が率先して着用した」として責任を国民に転嫁するのがもっとも都合が良いのである(マイナンバーカードの取得を法律で義務付けず、利便性を強調して自発的な取得を促すのも同じ理由である)。
さらに深刻な問題は、政府の姑息な姿勢にマスコミが加担していることだ。「国民の義務」と「協力要請」をない混ぜにして報道し、あたかも義務かのように国民に思い込ませ、政治家や官僚、御用学者らの責任逃れに一役買っているのである。
以上の視点から、先述したNHK報道をチェックしてみよう。
・個人の判断に委ねる方針を決定しました → これまでは「個人の判断」に委ねていなかったのか? 法律を制定してマスク着用を義務化することを避け、「協力要請」や「推奨」にとどめてきたのだから、これまでも最終的には「個人の判断」に委ねてきたというのが的確な認定のはず。にもかかわらず、「個人の判断に委ねる方針を決定した」と報じるのは、NHKがこれまで「国民の義務」かのように報じてきたこととの整合性をとるためだろう。その結果、国民の混乱を広げているという意味で、NHKの責任は重大だ。
・マスクの着用を推奨するなどとした方針を決定しました → これまでもマスク着用を「推奨」してきたのではないのか? これも同じで、これまで「義務」かのようにミスリードしてきたことと整合性をとるため、今後は「推奨」に改めるということにしたと思い込ませる悪質な偏向報道である。
・マスクの着用が効果的であると周知する → これまでも「効果的であると周知」してきたのではないのか?
・マスクを着用するよう求めています → 「求めています」というのは「法律に基づいて義務を課している」のか「協力要請している、あるいは、推奨している」のか定かではない。あいまいな表現の典型である。国民の自由や権利を制約することの是非が政治争点となっているなかで、このようなあいまいな言葉を使うと論点がぼやけてしまう。絶対に使ってはならない表現だ。
・新学期となる4月1日から着用を求めないことを基本とする → これも同様。これまでは「着用を求めてきた」ということだろうが、これは「着用を義務化して強要」してきたのか、「着用への協力を要請してきた」のか、はっきりしない。前者であれば「今後は着用を義務化しない」と表現すべきだし、後者とすれば「これまでどおり着用への協力を要請する」と表現すべきである。この一文は何を伝えたいのか意味不明だ。
・児童・生徒などは着用せずに出席することを基本 → これまでは「着用することが基本」だったが、今後は「着用せずに出席することが基本」ということだろうか。この「基本」がごまかしキーワードだ。「文部科学省はこれまで全国の教育委員会に対し、卒業式では学校の施設管理権に基づいて参加者にマスク着用を義務付けるように指導してきましたが、今後はこの指導をとりやめ、各学校の判断に委ねることにしました」ということなのか、「文部科学省はこれまで国民に対し、卒業式に参加する際はマスクを着用するよう協力を要請してきましたが、今後は協力要請をやめ、個人の判断に委ねることにしました」ということなのか、それともまた違う意味なのか、さっぱりわからない。
このNHK報道は論旨不明である。これまでのマスク着用報道が意味不明だったからだ。「国民に義務を課すこと」と「協力要請すること」を一緒くたにし、政治家や官僚、専門家の責任をあいまいにしながら国民を「事実上の強制」に誘導してきたからだ。まさに国策に加担したのである。その結果、今回の報道も「何がどう変わるのか」がよくわからない報道になってしまっている。フェイクニュースというのか、虚構報道というのか、いずれにしろ、レベルの低い悪質な報道としかいいようがない。このような論旨不明の報道が日本社会を混乱させているのである。
これはNHKに限ったことではない。すべてのマスコミが同様だ。さらに深刻なのは、デスクや記者のほとんどが国家権力に加担するという「悪意」から報じているのではなく、「国民への義務化」と「協力要請」を区別するという習性がなく、無意識のうちに政府発表を垂れ流し、結果として国家権力の責任逃れに加担してしまっているということだ(朝日新聞に長く在籍した立場からこれは断言できる)。端的にいえば、デスクや記者に「国家権力が国民の基本的人権を制約する」ことへの問題意識がない。すなわち人権感覚が鈍いのである。ジャーナリストとして最も重要な資質を欠いているのだ。
マスク着用問題以上に深刻なのは、コロナワクチン接種問題である。
政府は国策としてワクチン接種を推進したが、法律を制定して接種を義務化するのではなく、あくまでも協力要請や推奨にとどめた(全国旅行支援などで接種者を優遇して推進することもあった)。日本社会の同調圧力を利用して、接種による死亡や健康被害が生じた場合の政治家、官僚、御用学者の法的責任を回避し、接種者の自己責任に転嫁したのである。
この結果、日本は世界有数のワクチン接種大国となった。しかし、ワクチンによる感染予防効果は極めて低いことがわかってきた。重症化を抑える効果にも疑念が相次いでいる。さらに接種したほうが感染リスクが高まると指摘する専門家も出ている。国際社会ではいまや「薬害」に関心が高まっている。
ところが日本の政府やマスコミはいまだに死亡・健康被害の実態から目を背け、ろくな調査もせず、ひたすらワクチン接種の旗を振っている。これまで「国民の義務」かのように接種を推奨してきたことがよほどバツが悪いのだろう。自分たちへの責任追及から逃れることに必死なのだ。
しかし日本国内でもようやく死亡・健康被害の問題が報道され始めた。もはや黙殺できるレベルではなくなってきたということだ。この「薬害」問題は国際社会の動きに引っ張られるかたちで日本でもますます大きくなっていくのではないか。水俣病をはじめ過去の薬害をはるかに超える巨大な政治問題・社会問題に発展する可能性がある。
未知のウイルスに対処する未知のワクチンの接種については、メリットとデメリットをしっかりと説明したうえで、あくまでも自発的判断に委ねるという姿勢を、政府も専門家もマスコミも徹底すべきだった。それを義務のように国民に思い込ませ、国策として接種を事実上強要した法的・政治的責任は極めて重い。死亡・健康被害の責任をどう取るつもりなのか。謝罪するだけでは済まされないだろう。巨額の賠償問題に発展して国民の税負担として重くのしかかる可能性も十分にある。
これも「義務」と「協力要請」をあいまいにし、責任の所在をごまかしてきた日本の行政とマスコミ報道がもたらした大失態といっていい。マスク以上に多くの国民の生命・健康に直結する問題だ。繰り返すが、国策として旗を振った政治家、官僚、御用学者、それを「国民の義務」かのように垂れ流したマスコミの法的・政治的・倫理的責任を絶対に許してはならない。責任追及なくして政治の刷新はない。
政府が「右向け右」と言えば、マスコミがそれを垂れ流し、国民が一斉に右を向く社会は、極めて脆弱だ。愚かな政治指導者やマスコミが戦争の旗を振って国民の多くの命を犠牲にし国土を壊滅させた大日本帝国時代の大失態がそれを証明している。
政府の主張やマスコミ報道をうのみにせず、個々の国民が自分の頭で情報の真偽を見極め、同調圧力に流されることなく、よくよく考えて行動する社会に生まれ変わる契機としたい。政府やマスコミを信用して身を委ねていたら自分の身を守れないほど、この国の政府やマスコミは壊れてしまったのだ。世界第二位の経済大国というのは今や昔、二流国へ転落したのである。