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菅首相の原稿読み飛ばしで首相周辺がオフレコで説明した「のり原因説」を垂れ流す政治報道の危うさ

菅義偉首相が8月6日に広島で開かれた平和記念式典であいさつの一部を読み飛ばした。これについて報道各社は首相周辺のオフレコ取材に基づいて「原稿を貼り合わせるのりがはみ出して紙同士がくっついて剥がれず、めくることができなかった」ことが原因と報じている。毎日新聞と東京新聞を以下に引用しよう。

菅義偉首相が6日の広島市で開かれた平和記念式典で事前に予定されたあいさつの一部を読み飛ばしたのは、「原稿がのりでくっついて剥がれなかった」ことが原因だったと複数の首相周辺が明らかにした。複数枚の原稿をのりで1枚につなぎ合わせ、蛇腹折りにしていたが、のりが一部はみ出して紙同士がくっつき、首相が開く際に剥がれなかったためにその箇所を読み上げられなかったとみられる。 首相はこの日のあいさつで、本来予定していた「核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします」との誓いや、「核兵器の非人道性」「唯一の戦争被爆国」などのキーワードを含む箇所を読み飛ばしていた。(毎日新聞)

政府関係者は6日、菅義偉首相が広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式でのあいさつの一部を読み飛ばした原因について、原稿を貼り合わせる際に使ったのりが予定外の場所に付着し、めくれない状態になっていたためだと明らかにした。「完全に事務方のミスだ」と釈明した。原稿は複数枚の紙をつなぎ合わせ、蛇腹状にしていた。つなぎ目にはのりを使用しており、蛇腹にして持ち運ぶ際に一部がくっついたとみられ、めくることができない状態になっていたという。(東京新聞)

はたして、のりの一部がはみ出して紙がめくれないほどくっついた原稿がそのまま首相に手渡されることなどあるのだろうか。

のりを扱う旧知の表具師に聞いてみると、「どんなのりを使ったのは知りませんが、公式の式典で使う蛇腹折りの原稿がのりがはみ出して剥がれなくなんて、職人の世界ではあり得ません。よほど不慣れな人が蛇腹折りを作ったとしても、ふつうは一度は開いて確認するでしょう。剥がれなくなるほどくっついていたら気付きますよ。そのまま首相に手渡されるなんて、にわかには信じられません」と絶句していた。たしかに、万が一剥がれなくなっていたとしても、首相に原稿を手渡した首相周辺や原稿を受け取った首相自身を含め、普通は誰かが事前に紙をめくって確認くらいするだろう。あまりにも不自然だ。

真偽はわからない。しかし、この「のり原因説」の信憑性は怪しいと私は疑っている。少なくとも首相周辺のオフレコの話を鵜呑みにして報道するのは極めて危険である。まっとうな政治記者なら、首相周辺が「のり原因説」を各社に一斉にオフレコで説明した時、まずは「本当か?」と疑わなければならない。報道各社が言われるがままに横並びで「事実」として報じたことに、現在の政治報道の劣化が映し出されていると思う。

菅首相の原稿読み飛ばしの原因が「のり」でなかったと仮定しよう。その場合、首相周辺(政治記事でこの表現を使う場合、その多くは首相秘書官である)は報道各社にあえてウソの説明をしたことになる。つまり、ウソをついてまで隠さなければならない「本当の原因」があったことになる。その場合、単なる「事務方のミス」ではなく、首相をめぐる重大な政治問題が潜んでいることになる。首相周辺がひた隠しにしなければならないほどの「異変」が起きているかもしれないのだ。

政治家や官僚の「ウソ」は「隠された事実」を暴く貴重なヒントである。だから政治記者は常に権力を疑い、ウソに敏感でなければならない。

実際、菅首相の挙動はこのところ不自然である。東京五輪の開会式で天皇が開会宣言する時に起立するのが遅れたことは、集中力の低下を物語っている。長崎の平和祈念式典に「トイレ」を理由に遅刻したことも異例のことだ。国会や記者会見でも原稿の棒読みが甚だしく、覇気がない。支持率が高かった首相就任当初はネット番組で「ガースーです」と冗談を飛ばす余裕があったが、支持率が急落した後は同じ答弁を何度も繰り返す無気力な姿勢が目立つようになり、視線も力なく彷徨う場面が増えた。

私は20年近く前から菅首相を取材で知っているが、このところの様子をみると、精神的にも体力的にも相当追い込まれるという印象を持っている。日常的に菅首相をウォッチしている官邸記者クラブの政治記者たちはそうした変化に気づいているはずだ。もし気づいていないのだとしたら官邸に常駐している意味はない。

政治記者たちにまして「首相周辺」に日々密着している首相秘書官たちは、首相の精神面・体力面の変化をより強く感じているだろう。コロナ危機対応に加え、秋の自民党総裁選や衆院解散・総選挙にむけて正念場を迎えている今、菅首相の気力・体力に疑問符がつくような報道が展開されれば求心力は一挙に低下しかねない。

菅首相の「原稿読み飛ばし」事件は、そのような中で起きた。首相自身や首相周辺が求心力低下を恐れ、「事務方の失敗」を装い「のり原因説」をでっちあげたかもしれないーー政治記者ならそのような想像力を働かせ、首相周辺が「のり原因説」を説明したときに「それは本当なのか」とその場で厳しく追及し、他の首相周辺にも取材を重ね、納得できるまでは「のり原因説」をそのまま垂れ流してはいけないのである。

まして安倍・菅政権は虚偽答弁や公文書の改竄・廃棄による隠蔽工作を繰り返してきたのである。よりいっそう、すべてを疑ってかかる取材姿勢が不可欠だ。決して権力の情報操作に利用されることなく、権力監視を徹底する政治報道とはそういうものだ。

いくら「首相周辺が〜明らかにした」「政府関係者が〜明らかにした」という形式の記事でも、読者はそのまま受け止める。「記事では断定していない。首相周辺の説明を伝えただけだ」という言い訳は通用しない。当局者の情報操作に加担していることに変わりはないからだ。

政治家や官僚の言い分を垂れ流すばかりの昨今の政治報道は目に余る。明確な説明を迫り、矛盾をついてさらなる説明を求める政治取材の基本ができていないのだ。次の首相記者会見で、読み飛ばしの真相について真正面から問いただしてほしい。オフレコ取材ではなく、オンレコ取材で説明を迫り、公の場で言質を取っておくことが重要だ。

政治記者は政治家や官僚の言葉をまずは疑わなければならない。たとえ悪意はないとしても、それを信じてウソをそのまま報じた場合、無自覚のまま権力者の情報操作に加担してしまうことになる。政治記者は政治家や官僚に騙されてはいけないのだ。

政治家や官僚が国会や記者会見という公の場のオンレコ発言でウソをついた場合、それがバレたらあとで公に批判して「ウソ」の責任を追及できる。政治家や官僚はだからこそウソをつくことを躊躇する(もっとも安倍政権以降は平然とウソをつく政治家や閣僚が増えてモラルが崩壊しているのだが)。

しかし、政治取材の現場で日々繰り返されている「オフレコ取材」は、出所を明かさないことが条件となっているため、たとえウソであることが発覚しても、公に責任追及することが難しい。だからこそ、政治家や官僚は国会や会見といったオンレコ発言よりも、記者とのオフレコ取材のほうがウソがつきやすい。オフレコ取材は情報操作にうってつけの場なのだ。

政治記者は政治家や官僚に食い込むために昼夜奔走している。少人数あるいはサシでオフレコ取材ができたり電話やSNSで直接話ができたりしたら「信用された」と勘違いする。その結果、国会答弁や記者会見はあくまでも「建前」であり、オフレコ取材で得られる「本音」を信じて重視するようになる。こうして政治記者は記者会見を軽視し、オフレコ取材による権力の情報操作に利用されていく。

私は政治部デスク時代、後輩たちに繰り返し言ったのは「どんなに政治家と仲良くなったと思っても勘違いするな。政治家は権力闘争のためなら平気でウソをつく。一般の人間関係ではウソをついたほうが悪いが、記者は騙されたほうが悪い。絶対に騙されるな」ということだった。そのうえで「オフレコ取材より記者会見を信用しなければならない。オフレコ取材はウソをつかれても責任追及できないが、公の記者会見は責任追及できる。だからこそ、記者会見で厳しく追及したほうが真実に迫れるのだ」とも言ってきた。オフレコ取材は「ウソを見抜くためのとっかかり」程度に考えておいたほうがよい。

今回の「のり原因説」はオフレコ取材による情報操作の危険を再認識させられる事例だ。政治記者たちは首相周辺の説明を垂れ流して終わりにせず、菅首相が原稿を読み飛ばした真相をしっかり掘り下げてほしい。「隠された事実」に行き着く可能性は十分にある。当局からリークをもらう「自称特ダネ」とは違う「本当のスクープ」は、ウソを暴くことからはじまるのだ。

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