大阪にやってまいりました。大阪駅を降りると、とにかく、暑い。関西は、暑い。
だが、道ゆく人々の服装は東京より色とりどりで、街は活気があるような気がしました。もしかしたら東京がモノトーンで元気がないのかも。やはり大阪はノリがいいです。
私は神戸市生まれ。小学生時代は兵庫県尼崎市で育ちました(尼崎は兵庫県でありながら電話の市外局番は大阪市と同じ06)。中高時代は高松市で過ごしましたが、大学は京都へ。就職活動ではじめて東京を訪れたという、根っからの関西人です。
ところが、朝日新聞社に入社した後は茨城県のつくば支局→水戸支局、そして埼玉県の浦和支局(現さいたま総局)を経て27歳で東京の政治部へ。それ以来、昨年5月末に49歳で退社するまで一度も東京を離れることはありませんでした。
新聞記者は一般的に転勤が非常に多い仕事です。入社以来ずっと関東地方で勤務し、東京本社に異動してきた後22年間一度も転勤がなかったのは、朝日新聞記者としては極めて異例です。政治部の記者でも私が知る限りほとんど例がありません。
私は就職活動ではじめて上京した西日本の人間(ちなみに「鮫島」姓は鹿児島由来です。鹿児島には「鮫島さん」がたくさんいます。鹿児島では「さめしま」と濁らず、鹿児島を離れたら「さめじま」と濁る場合は多いそうです。鹿児島を取材に訪れた際に地元の人が「薩摩を離れると心が濁るから名前も濁るのよ」と笑って教えてくれました。私はもちろん「さめじま」です)。その私が27年間の新聞記者生活をずっと関東で送り、そのうち22年間を東京で過ごしたのは、ほんとうに不思議なものです。
海外勤務経験がなく地方勤務からも久しく遠ざかっていることは、記者の経歴としては偏っているというデメリットもありますが、一方で政治記者としては永田町の政界流転を継続的に身近で接してきたというメリットもありました。政治の世界は政治家の息遣いを肌で感じ取らなければどうしても理解できない場合があり、そのような取材を途切れることなく続けることができた点では私は恵まれていたといえるかもしれません。
話がそれましたが、何を言いたかったかというと、長い東京暮らしを経て、私はすっかり東京弁を話す人になってしまいました。とくに新聞記者になってからはずっと東京弁なので、スーツを着て取材をするときは関西弁が出なくなりました。
新聞記者をやめ、久々に訪れた大阪。今回の出張の目的のひとつは『朝日新聞政治部』の刊行を記念して梅田ラテラルが企画してくれたトークイベント&販売サイン会です。
大阪出張の直前に、大阪を地盤とするれいわ新選組の大石あきこ衆院議員と東京で対談し、サメジマタイムスのユーチューブで3回にわたって連載しました。その編集作業をつうじてずっと大石さんの大阪弁を聞いていたので、少しは地ならしをして大阪へ乗り込んだのです。
東梅田の歓楽街の一角で、少しアルコールを入れながらの講演&質疑&販売サイン会。ついつい口が滑らかになり、けっこうしゃべってしまいました。ご参加いただいたみなさま、楽しかったです。ありがとうございました。
自己分析では、パソコンに向かってキーボードをたたくよりも、カメラに向かって話すよりも、やはり講演で話す内容が一番本音&過激だと思います。けっこう評判がいいので、次の機会にはぜひご参加ください。
その後、講談社の編集者と東梅田でお好み焼きとビール。私が大阪に訪れた時はできるだけ立ち寄るお好み焼き店が講演会場のすぐ近くにあり、思わず駆け込んでしまいました。
その後、宿泊先に帰って大石あきこさんとの対談動画の最終回を公開。以下、3回連載を埋め込みます。こちらも異色のYouTube動画になったと思いますので、ぜひ。
維新ぎらいより、立憲ぎらい⁉ 参院選「無風」は野党の責任ちゃうんかい! 大石あきこ×鮫島浩(1)
国会も新聞も、茶番はいらんねん! 言いたいこと言って、中から変えられる人が必要です 大石あきこ×鮫島浩(2)
れいわ新選組の山本太郎を「総理」にするために必要なこと 大石あきこ×鮫島浩(3)
2〜3日関西で参院選の様子を取材し、帰京します。29日には明治大学で学生限定の講演。これまた楽しみです。