米国から巡航ミサイル・トマホークを購入して敵基地攻撃能力を保有することを柱とする「安保三文書」について、立憲民主党の泉健太代表は「容認できない」とする声明を発表した。
憲法の専守防衛を逸脱する敵基地攻撃能力の保有に反対の立場を示したようにみえるが、よく読むとそうでもないことが見えてくる(岸田政権は「敵基地攻撃能力」ではなく「反撃能力」という言葉を使用し「先制攻撃可能な巡航ミサイルなどを保有する現実から目を背ける世論操作」と批判を受けている。それでも泉代表の声明は岸田政権に同調して「反撃能力」という言葉を使用している)。
泉代表の声明は次のような言葉で始まる。以下、読み解いてみよう。
政府は本日、「国家安全保障戦略」をはじめとする「政府三文書」を取りまとめた。しかし政府から一切の具体的説明も、国会での議論も、国民的合意もないままに、政府がこれまでの防衛政策を大きく転換させる「反撃能力の保有」「防衛費GDP比2%」を記載したことは、大きな問題であり、立憲民主党は容認できません。
最初のポイントは「容認できない」とする理由だ。敵基地攻撃能力の保有そのものではなく、「政府から一切の具体的説明も、国会での議論もなく、国民的合意もないままに」、これまでの防衛政策を大きく転換させることに反対しているのである。
「中身ではなく決定手続きに問題があった」として反対に回る姿勢は、安倍国葬について「国会の関与がない」という理由で執行部は反対・欠席したものの、個々の議員の参列は容認したのと瓜二つだ(この結果、最高顧問の野田佳彦元首相らは参列した)。「悪いのは決定に至る手続きであって、内容そのものには反対しない(容認する)」と受け取れる態度といえる。
敵基地攻撃能力の保有そのものについては「断固反対」と表明せず、「容認」あるいは「賛成」に転じる含みを持たせているのだ。
なぜ明確に反対しないのか。その理由を探っていこう。
声明は続いて「まず政府与党の反撃能力については以下の懸念を持っています」と指摘し、3つの懸念を示している。ひとつずつ吟味していくが、その前に重要なのは、ここでも「反撃能力(=敵基地攻撃能力)」について明確に反対の意思を示さず「懸念」にとどめていることだ。「懸念」が払拭されればいつでも賛成に転じることができるようにしているといっていい(立憲は旧統一教会の被害者救済法案も同様のレトリックで最終的には賛成に転じた)。
それでは3つの懸念をみてみよう。
(1) 政府見解では、「我が国に対する攻撃の着手」があれば、先制攻撃にあたらないとされているが、正確な着手判断は現実的には困難であり、先制攻撃とみなされるリスクが大きい。
この懸念は正鵠を得ている。相手国が「攻撃に着手」したことをどう確認するのか。軍事的緊張が高まると軍隊の配備・移動などの動きは急になって当たり前だ。それをもって「攻撃に着手」したと判断するならば、いくらでも「先制攻撃」の口実はできてしまう。世界の戦争史における先制攻撃の多くは「相手国が攻撃に着手した」という判断のもとで決定されたに違いない。
つまり「敵基地攻撃能力の保有」とは「先制攻撃できる軍事力を持つ」ことそのものであり、それを容認することは専守防衛からの逸脱を意味する。専守防衛を守るというのなら「敵基地攻撃能力の保有」自体を認めてはならないはずだ。「敵基地攻撃能力の保有」に断固反対すれば済む話である。
ところが、立憲は「敵基地攻撃能力の保有」を全面否定せず、「専守防衛」を守りながら「敵基地攻撃能力を保有」するという、論理空間上の「狭い領域」を無理やり作り出そうとしている。これは「言葉遊び」というほかない。要は「敵基地攻撃能力の保有」に反対したくないのだ。
(2) いわゆる存立危機事態において、我が国による相手国領域内への攻撃を否定していない。
岸田政権が安保法制上の「存立危機事態」での攻撃(事実上の先制攻撃)を否定していないことを問題視しているのだが、それならば(1)と同様、そもそも敵基地攻撃能力の保有に反対すればいいだけのこと。わざわざ論点を細分化し、なんとか「賛成できるすき間」を作り出そうとしているとしか思えない。
(3) 「反撃能力の行使は、専守防衛の枠内」と述べているが、その態様が日米同盟の盾と矛の関係を変えるものであるならば、それは専守防衛を逸脱する可能性がある。我が国は、日米同盟の基本的役割分担を維持し、自衛隊の装備体系および運用は「必要最小限度」でなければならない。
敵基地攻撃能力(反撃能力)の行使は専守防衛の逸脱そのものだ。
ところが、声明は「逸脱する可能性がある」と述べるにとどめ、「専守防衛を逸脱する敵基地攻撃能力の行使」と「専守防衛を逸脱しない敵基地攻撃能力の行使」があるという、岸田政権がつくった概念世界の空論と同じ土俵に乗って議論している。要するに「相手が攻撃に着手した後なら、それに対する『反撃』としてミサイルを発射して敵基地を攻撃してもいい」という論理なのだ。「専守防衛を逸脱しない敵基地攻撃能力の行使」を容認する余地を残しているといえる。
声明は「以上のことから、立憲民主党は、自公合意に基づく政府三文書の「反撃能力」には賛同できません」と結論づけているが、これはあくまでも岸田政権が安保三文書で打ち出した「反撃能力(=敵基地攻撃能力)の保有」には賛成しないものの、米国から敵基地攻撃能力を持つミサイルを購入すること自体には反対していないと読み取れる。
つまり、専守防衛を重視する党内の護憲派の顔を立てて「安保三文書」には反対の姿勢を示しつつ、日本にミサイル購入を迫る米国には逆らわないという落とし所が、泉代表の声明だったのだ。
その真意は、声明内の「立憲民主党は、『真に必要な予算を積み上げた結果としての防衛費の一定の増額』は有り得ると考えています」という一文に凝縮されている。米国からミサイルを購入する巨額の費用は「真に必要な予算」ということなのだろう。
泉代表を担当する政治記者たちは「政府の安保三文書に賛成するか反対するか」ではなく、「米国から敵基地攻撃能力を持つ巡航ミサイル・トマホークを購入することに賛成するか反対するか」と質問しなければならない。政府の安保三文書への賛否だけならいくらでも誤魔化せる。「対米追従か否か」という核心を突くのが政治記者のあるべき仕事なのだが、そのような厳しい質問を浴びせる政治記者は残念ながら見当たらない。
もうひとつの懸念は、泉代表が「防衛増税」には慎重な姿勢を示しながら、「真に必要な予算」を確保するために「歳出改革」の必要性を訴えていることだ。
歳出改革とは要するに「予算削減」である。具体的には社会保障や教育など他の予算を削って防衛費に回すということである。さらにいえば、米国が要求する巡航ミサイル・トマホークを購入する費用を捻出するために他の予算を削って国民生活の水準を落とすということだ。
国民生活に直結する予算を削ってでも、米国からミサイルを購入する予算を確保する。そのために敵基地攻撃能力の保有そのものには反対しない(容認する)ーーこのような「対米追従」こそ泉代表の政治姿勢であるというところまで読み解いて、はじめてまともな政治記事なのである。
このような立憲民主党が政権を取っても沖縄の米軍基地問題は解決しないし、防衛予算は米国の要求に応じて膨らむ一方だろう。外交・安保政策では自民党政権と何も変わりはない。野党第一党がそれで良いのだろうか。
泉代表は次の衆院選で政権交代するのは難しいとし、次の次の衆院選が勝負だという考えを表明している。野党第一党が衆院選がはじまる前から政権交代を放棄しては存在価値はない。次の衆院選で自民党政権を倒す覚悟がないのなら一刻も早く代表から退くべきだ。