岸田文雄首相が10月3日に国会で行なった所信表明演説は、世論から批判されるどころか、ほとんど見向きもされなかった。旧統一教会、安倍国葬、物価高の3点セットで内閣支持率は続落し、岸田首相が何をしたところでもう期待しないというムードが世論を覆っている。
このように世論に見放されると、岸田政権が衆参選挙に連勝した勢いを取り戻すのは難しい。「何も決められない政権」としてジリ貧となっていく可能性が高いだろう。
そのような首相の所信表明をまじめに取り上げたところでどれほどの意味があるのか悩ましいところなのだが、やはり演説内容をみると見逃せない点がいくつかあったので、以下の3ヶ所だけは指摘しておきたい。
国民の皆様の声を正面から受け止め、説明責任を果たしながら、信頼回復のために各般の取組を進めてまいります。
岸田首相は就任以来、「説明責任を果たす」という言葉を繰り返し使っている。安倍元首相や菅前首相が支離滅裂な国会答弁を繰り返したことを踏まえ、「自分は安倍氏や菅氏とは異なる」とアピールする狙いがあったのだろう。
たしかに岸田首相の語り口は、虚偽答弁を重ねた安倍氏や口下手の菅氏と違って滑らかだ。本人は案外、「自分はスピーチが上手だ」と勘違いしているのかもしれない。
だが、政治家の言葉というものは、国民を納得させてはじめて意味がある。どんなに滑らかでも上滑りして説得力を持たなければ無意味だ。
岸田首相をはじめ日本の政治家やマスコミは「説明責任を果たす」という言葉を理解していない。そもそも「説明責任」は政治学の「アカウンタビリティー」という言葉の日本語訳として使用されてきた。
アカウンタビリティーというのは、政治家は疑念を持たれた場合、身の潔白を自ら立証する責任があり、立証できない場合(あるいは立証を放棄した場合)は「推定有罪」として政治責任を問われる(一般的には役職を辞任する)という考え方である。
裁判には「疑わしきは罰せず」という「推定無罪」の大原則があるが、民主政治における政治家は「疑わしきは罰する(=辞任させる)」が大原則なのだ。
つまり疑惑を晴らす「立証責任」は政治家の側にあり、国民を納得させられない場合(=説明責任を果たせない場合)は役職を退いて辞任せよーーということだ。
その意味では、安倍氏も、菅氏も、そして岸田氏も、自らの主張を一方的に繰り返しているだけで、国民の多くを納得させた(=説明責任を果たした)とは言い難く、首相の座にとどまっていてはいけない、ということになる。
岸田首相もマスコミも「説明責任を果たす」という意味をいちから理解して正しく使用すべきだ。
悪質商法や悪質な寄附による被害者の救済に万全を尽くすとともに、消費者契約に関する法令等について、見直しの検討をいたします。
統一教会問題をめぐるこの発言も見逃せない。自民党と統一教会の歪んだ関係を「消費者問題」にすり替えて誤魔化そうとする魂胆がありありだ。
霊感商法や高額寄附には「消費者問題」の側面はたしかにある。
しかし、いま問題視されているのは、①自民党という政権与党が長年にわたり、社会的トラブルを多数抱える統一教会の広告塔として使われてきたこと、②選挙活動などを通じてズブズブの関係を続け、名称変更などで便宜を図った疑いがあること、③ジェンダー問題をはじめさまざまな政策が歪められてきたこと、である。
さらには韓国を本拠として日本を敵視する統一教会と「愛国心」を唱える自民党が水面化で濃密な関係を築いていたという衝撃的な事実がもたらした「政治不信」の問題も見逃せない。
統一教会と自民党の関係は「消費者問題」で片付けられない根深い問題だ。それを矮小化する岸田首相の所信表明演説は、この問題に怒る国民を愚弄するものであり、「丁寧な説明」とはかけ離れた、極めて不誠実な政治姿勢というほかない。
「厳しい意見を聞く」姿勢にこそ、政治家岸田文雄の原点があるとの初心を、改めて肝に銘じながら、内閣総理大臣の職責を果たすべく、全力で取り組んでまいります。
報道によると、岸田首相がこれまで強調してきた「聞く力」を「厳しい意見を聞く」に変更したのは、首相本人の強い意向があったからだという。首相周辺には「あまりに自虐的」として慎重論もあったが、岸田首相が振り切ってこの言葉を盛り込んだそうだ。
だが、為政者として肝心なことは、「厳しい意見を聞く」ことではない。「聞いたうえで的確に実行する」ことである。
就任当初の言葉であればまだよい。しかし岸田首相はすでに国民の多数の反対を振り切って安倍国葬を強行実施してしまった。「厳しい意見を聞いた」というよりは「聞き流して強行実施」したのだ。国民はそれに落胆して国葬実施後、内閣支持率はさらに下落した。
今となってはどれだけ「厳しい意見を聞く」と強調したところで、国民が「聞き流すだけでしょ」と受け止めるのは自然な反応だ。岸田首相にその自覚はないのだろう。国葬を強行実施したことによる国民の怒りと落胆を理解していないのだ。
この「厳しい意見を聞く」ほど、上滑りした言葉はない。岸田首相本人がこだわったこのフレーズにこそ、彼の言葉が国民に響かない要因が凝縮されている。