新年度予算案が参院で可決され、成立した。1か月にわたる参院予算審議は高市早苗・経済安保担当大臣の追及一色だった。
高市氏が安倍政権の総務大臣時代に放送法の政治的公平の解釈変更を国会答弁するまでの経緯を記した総務省の内部文書を、立憲民主党の小西洋之参院議員が入手。高市氏が「捏造文書だ」と反論し、捏造でなければ議員辞職すると啖呵を切ったことで、高市氏の進退問題に関心が集中した。
結局、総務省は捏造か否かをのらりくらりとごまかし、高市氏は「捏造」発言を撤回せず大臣職にとどまり、岸田文雄首相は高市氏を更迭しなかった。参院予算審議はこの一点に費やされ、岸田政権は他の問題追及を回避して予算成立にこぎつけた格好である。
岸田首相は高市氏の更迭を皮切りに昨秋の「閣僚辞任ドミノ」の悪夢が再来することを恐れた。高市氏を熱狂的に支持する右派言論人やネトウヨなど安倍支持層を敵に回したくはないという思いもあっただろう。高市氏を切らないほうが政権運営は安定するという損得勘定が働いたといっていい。高市氏が野党追及の矢面に立つことで首相自身の風除けになるという打算もあったに違いない。
それでも岸田内閣に対する世論の批判が高まり、内閣支持率が下落したならば、立憲の国会戦略は奏功したといえるだろう。
結果は逆だった。参院での予算審議で高市氏が集中砲火を浴びている最中、内閣支持率はじわじわと上昇に転じたのである。そのなかで岸田首相はキーウ訪問を決行し、4月の統一地方選・衆参5補選と5月のG7広島サミットに向けて政権運営に自信を深め、サミット後の衆院解散・総選挙に踏み切るのではないかという観測まで広がる結果になった。
高市氏が野党の集中砲火を浴びている最中、岸田首相の後ろ盾である麻生太郎副総裁は派閥会合で「参院ではお陰様で新年度の予算の審議はそこそこ順調に行われていると思っております。まあ、言い方はいろいろありますけど」と会場の笑いを誘う場面もあった。高市氏を弾除けに他の問題の国会追及をかわすという政権防衛策は自民党内で共有されていたとみていい。
高市氏の国会答弁はたしかに酷かった。更迭に値するだろう。放送法の解釈変更もテレビ報道に対する国家権力の介入という重大な問題である。立憲民主党がこの問題を徹底追及したのは野党として当然である。
けれども政治は結果がすべてだ。内閣支持率が上昇したということは、立憲の国会戦略は岸田政権を弱体化させて4月の統一地方選・衆参5補選で与党を追い込むという政治闘争の視点からは裏目に出たというほかない。
正しい行動は必ずしも結果を伴わない。ここが国会戦略の難しいところだ。立憲は政権追及の照準を高市氏一点に絞らず、岸田首相という本丸を攻め立てるべきだった。野党にとって最大の標的はやはり総理大臣なのだ。
ではなぜ立憲は高市氏に集中砲火を浴びせたのか。裏を返せば、なぜ岸田首相を「最大の標的」にしなかったのか。今日の本題はそこである。
高市氏は2021年秋の自民党総裁選に安倍晋三元首相に担がれ出馬して以来、安倍支持層の熱狂的な支持を獲得した。しかし、安倍氏が無派閥の高市氏を全面支援したことは最大派閥・安倍派内に「なぜ高市氏なのか」という不満を生んだ。安倍氏が急逝し、安倍派内部で後継争いが勃発したものの、高市氏と連携する動きはまったく見られない。安倍亡き今、高市氏をポスト岸田に担ぎ上げる勢力は自民党内に見当たらず、高市氏は孤立感を深めていた。
岸田首相が孤立無縁の高市氏を閣内に取り込んだのは、安倍支持層を敵に回して政権批判を浴びることを避けるのが最大の理由である。高市氏はそれを承知で、昨年末の防衛増税政局では「更迭やむなし」という強気の姿勢をみせて異論を唱えた。岸田首相の意向を忖度するよりは安倍支持層の共感をつなぎとめることのほうが自らの政治基盤を守ることになると腹をくくっているのだろう。
立憲はこうした政局状況のなかで高市氏に集中砲火を浴びせたのだ。自民党内で孤立無縁の高市氏を攻め立てることが岸田政権に打撃につながるのか、政局的分析を十分にしたのだろうか。
高市氏にすれば、自民党内で埋没感を深めていた時期に立憲が攻撃を仕掛けてくれたおかげで、久しぶりに表舞台に立ち、安倍支持層の声援を呼び覚ますことができた。岸田首相は高市氏を風除けにして自らが追及の矢面に立つことなく参院予算審議を楽々スルーできたのである。その間にキーウ訪問まで決行できた。高市氏がひとり追及される状況が1ヶ月も続いたことは、双方にとって都合が良かったのである。
国会戦略は難しい。「相手をどう追及するか」という戦術レベルの力量も重要だが、それ以上に成否を分けるのは「どのテーマで誰を追及するのか」という戦略レベルの大局的な視点だ。政局の全体像を的確に分析していないと国会戦略を見誤り、敵に塩を送ることになりかねないのである。
では、立憲はどうすれば良かったのか。やはり岸田首相を第一の攻撃目標として追及すべきだったのである。
高市問題ならば、高市氏を更迭しない岸田首相の思惑をあぶりだし、高市氏をかばうことで安倍支持層を味方につけようとする岸田首相の政治姿勢を可視化するべきだった。
ほかにも岸田首相を攻め立てる材料はたくさんあった。最たるものは、長男翔太郎氏を首相秘書官に抜擢した縁故人事と、その翔太郎氏が首相外遊に同行してパリやロンドンで公用車に乗って観光地や高級デパートを巡った公私混同疑惑である。長男の言動を「公務だ」とかばう岸田首相に、なぜ集中砲火を浴びせなかったのか。
ここに焦点を当てれば、衆院山口2区補選に出馬する岸信千世氏(岸信夫前防衛省の長男、安倍元首相の甥)にもからめて「世襲政治」への批判を高め、衆参補選にむけて勢いをつけることもできたはずだ。
岸信千世氏がホームページに岸・安倍一族の家系図を掲載して自慢しているとして批判を浴びる「敵失」もあっただけに、岸田首相の長男に照準をあわせて攻め立て政権を揺さぶらなかったことは悔やまれるところだ(この論点は『立憲民主党はなぜ、コネ人事の岸田翔太郎氏、家系図自慢の岸信千世氏を徹底追及しないのか?「世襲批判」を手控えるようになった野党第一党の変節の理由』に示したところである)。
こうして考えると、立憲はそもそも岸田首相と全面対決を避けたいのではないかという疑念が浮かんでくる。だからこそ「政権ど真ん中」の岸田首相や翔太郎秘書官ではなく「ハジパイ」の高市氏に集中砲火を浴びせたのではないか。
立憲は安倍政権(清和会)とは激しく対峙してきたものの、岸田政権(宏池会)とは財政規律重視(財務省寄りの増税志向)で重なる部分も多く、岸田政権誕生を機に「提案型野党」の立場を強め、政権追及よりも与野党の合意点を探る傾向が強まった。さらに昨夏の参院選後は「自公の補完勢力」と揶揄してきた維新と連携し、共産党やれいわ新選組とは一線を画して、敵基地攻撃能力の保有や旧統一教会の被害者救済法案でも自民党に接近してきた経緯がある。
岸田首相ではなく高市氏を標的にする国会戦術は「やってる感」を演出しながら岸田政権との全面激突を避けたい立憲にとって、もっともバランスの取れた無難な対応だったのではなかろうか。
高市追及の「空回り」は結局のところ、岸田政権を本気で倒す覚悟のない中途半端な立憲の姿勢が招いた自業自得だったというのが私の見立てである。
与党を倒して政権を奪い取る本気の覚悟を持った野党第一党をつくりあげる。それこそ、閉塞感漂う日本の政治を再建するための第一歩であることを再認識させられる高市騒動であったといえるだろう。