日銀の植田和男総裁が10月9日で就任半年を迎える。
アベノミクスに基づいて異次元金融緩和を進めた黒田東彦・前総裁の路線を踏襲するのか、修正するのか。植田総裁の姿勢はつねに前任者との対比で分析されてきた。
当初は急激な政策変更を警戒する市場の声を受けて「踏襲」の姿勢をみせていたが、7月には長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、YCC)の運用を柔軟化し、黒田氏が決して触れなかった金融緩和の出口にも言及し始めた。
ところが、9月の日銀政策決定会合では金融緩和の修正を進めるという市場の予想に反してサプライズはなく現状維持にとどまった。
金融アナリストら専門家の分析をみると、「植田総裁は市場の反応を見ながら慎重に対応を決めている」という受け止めが多いように思う。もちろんそうした見方も成り立つだろう。
だが、政治ジャーナリストの私からみると、植田総裁は市場だけではなく政局の動向も気にしているように思えてならない。
植田総裁が就任した4月以降、内閣支持率は岸田首相のキーウ訪問や広島サミットで急上昇し、自民党内では6月解散論が台頭した。植田総裁としては解散風が吹く中で、総選挙に逆風になりかねない「金利引き上げ」による金融引き締めには慎重にならざるを得なかったはずだ。
その後、内閣支持率が首相長男のスキャンダルなどで急落し、岸田首相が6月解散を見送って国会と閉じた後、解散風は急速に止まった。植田総裁はここで金融緩和の修正に舵を切る。7月にイールドカーブ・コントロールの運用を柔軟化し、金融緩和の出口についても語り始めたのだ。
解散・総選挙は当面ないという見方が政財官界に広まった時期と重なることに注目すべきであろう。
ところが、9月に内閣改造・自民党役員人事が終わって経済対策の策定が始まると、岸田首相が「減税」を掲げて年内解散に踏み切るとの観測が自民党から出始めた。
発信源は6月解散と同様、森山裕総務会長(前選挙対策委員長)である。森山氏は6月は「内閣不信任案の提出が解散の大義となる」と公言したが、今回は「減税は解散の大義となる」と発信している。内閣支持率の下落を受けて岸田首相の求心力を回復させるには解散風を吹かせるのが得策だという政局判断によるものだろう。
私は年内解散の可能性は低いとみているが、植田総裁はそうではないらしい。やはり解散風が吹くと、総選挙に影響を与えかねない金融引き締めは躊躇せざるを得ないと判断し、9月には一転して現状維持にとどまったというのが私の見立てである。
植田総裁がそこまで解散総選挙を重視し、岸田首相に配慮しなければならないのは、ひとえに植田総裁が岸田首相に起用されたからだ。
日銀総裁は、日銀プロパーと財務省OBがたすき掛けで務めてきた。黒田氏は財務省OBだったため、今回は日銀OBが有力視されたが、岸田首相が最側近の木原誠二氏(当時は官房副長官)と一緒に選んだのは、学者の植田氏だった。
これには日銀内部だけではなく、財務省内部にも不満がくすぶった。たすき掛け人事が崩れて次の総裁が日銀し内部から起用されれば、財務省OBの起用はさらに遠のくからである。
植田総裁としては日銀にも財務省にも歓迎されない孤立感のなかで、日銀に単身乗り込んでいく思いであっただろう。かつて日銀審議委員を務めた時代に歓楽街で遊興した過去が週刊誌に報道されたのだから、なおさら孤立感を抱いたに違いない。
そんな植田総裁にとって唯一最大の後ろ盾は、自らを起用した岸田首相なのである。岸田政権の継続を心より望み、岸田首相が解散を断行する場合は総選挙にマイナスにならないように最大限の配慮をするのは、いわば当然の成り行きではなかろうか。
一方、岸田首相としては自民党幹部にも解散時期については本心を明かさず、いつ解散があるのかと政界を疑心暗鬼にさせることで求心力を維持しているわけだから、植田総裁に解散を巡る本音を漏らすわけにはいかない。植田総裁は日銀幹部や財務省幹部、財界要人らの見立てに耳を寄せながら、岸田首相の本音を推し量るしかないのである。
その結果、解散を巡る憶測報道が飛び交うたびに日銀の金融政策は微妙に揺れ続け、金融緩和を維持するのか、修正するのか、腰が定まらないことになるのだ。
日銀の金融政策を見通すには、金融政策の分析力だけでは足りない。政局情勢を見通す分析力が不可欠である。
ここにきて岸田首相は10月20日召集の臨時国会に補正予算案を提出して成立させる方針を明言した。補正予算の成立は11月下旬以降になるとみられ、年内解散は困難だとの見方が強まっている。年明けの通常国会でも解散権を封印し、総選挙を経ることなく来年秋の自民党総裁選での再選を目指すとの観測も出始めた。
しばらく解散が遠のくとなれば、植田総裁は再び金融緩和の修正へ踏み出すかもしれない。