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東京五輪スポンサー問題は、記者クラブ問題と同根である〜メディアは「横並び」で支配される

新聞社は今からでも東京五輪スポンサーを降りるべきかーー。投票数はついに1700を超えました。まだ伸びる勢いです。ありがとうございます。

新聞社は今からでも東京五輪スポンサーを降りるべきだと思いますか?

コメント欄のディスカッションはスポンサー問題からメディア論全般に広がり、実に興味深いご意見・ご提言が並んでいます。ぜひご覧ください。

 
鮫島
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さすがはSAMEJIMA TIMES政治倶楽部の皆さん、私への励ましのお言葉だけではなく、厳しいお言葉もいただいています。もちろん反論・異論・ご批判も大歓迎です。なかには実に痛いところを突いてくるご質問もあります。たとえばーー。

コメント

六条さん
個人ができることには限界があると考えています。かといって、既存のメディアはあまり期待できません。NHKは受信料・予算で政府に首根っこを押さえられていますし、新聞社・出版社も収益構造の変化でかつてはあった理念や矜持がありません。(中略)鮫島さんも寄付を募っていますよね。少々意地悪な質問をします。もし大口の寄付があり、その寄付者が社会悪に加担していたとして、寄付者に都合の悪いことを記事に書けますか?

もちろんです! 大口の寄付者が社会悪に加担していたら都合の悪いことを容赦なく書きます!……と威勢よく明言したいところですが、さて、ほんとうにそうできるか。その大口寄付にサイト運営が強く依存していたら、それを振り切れるか。

もちろん、振り切るべきです。それがジャーナリズム精神です。私もそうありたい。でも……。

特定の大口寄付者に依存しない経営基盤をつくることは大切です。でもどうしてもそうならない場合もあるでしょう。

私はひとつのメディアに全幅の信頼を置くこと自体に無理があると思っています。完璧なメディアなどありません。それぞれのメディアに長所もあれば短所もある。強みもあれば弱みもある。どのメディアも常に「自由な報道」や「公正な言論」から逸脱するリスクをはらんでいるのです。まずはそれを認めましょう。

そのうえで、社会全体として「自由な報道」や「公正な報道」をどうやって守っていくのか。そこを考えなくてはなりません。

もうおわかりですよね。いちばん大事なのは「唯一絶対のメディア」を作り育てることではなく「メディアの多様性」を維持し、「メディア同士が相互監視しながら報道・言論の健全性を保つ」ことにある。私はそう考えます。メディアが一色に染まってしまうことがいちばん恐ろしいのです。

その認識を共有したうえで、本題である「東京五輪スポンサーとマスコミ」のテーマに戻りましょう。

私は新聞社が巨大国家プロジェクトの東京五輪のスポンサーになること自体に反対です。権力監視の責務を果たせなくなると思うからです。しかし、それ以上に重大な問題は、ひとつの新聞社ではなく、大手新聞社がこぞって東京五輪スポンサーになっていることだと思うのです。朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞、産経新聞という全国紙5紙が横並びで国家プロジェクトにスポンサーとして加担していることが極めて危険だと思うのです。

スポンサーがひとつの新聞社だけなら、ライバル社はスポンサー社の東京五輪ヨイショ報道を批判できる。そこでメディア界に緊張感が生まれます。でも、全国紙が横並びでスポンサーなら、みんなでヨイショしても批判する勢力がいないーー国家権力が狙うメディア支配の構図はここにあります。先の大戦の「大政翼賛会」を思い起こすのは私だけではないでしょう。

この点をKaoruさんは以下のようなコメントで指摘してくれました。

コメント

Kaoruさん

朝日新聞がスポンサーになった(ならざるを得なかった)経緯のひとつが、読売新聞の影響だと考えられます。
失敗した2016東京五輪招致時から招致オフィシャルパートナーとなっていた読売新聞は、2020年東京五輪招致時も引き続き招致オフィシャルパートナーでした。この経緯からも、2020年東京五輪開催が決定したとき、読売新聞が2020年東京五輪のオフィシャルパートナーとなることが実質的に決まっていました。
メディアで、他企業が一社もオフィシャルパートナーとならなければ、全紙がある程度平等に報道することができますが、オフィシャルパートナーとなるメディアが出てきたとき、明らかにメディア間で格差ができてしまいます(中略)
IOCなどが新聞業界を「一業種一社」の原則からはずしたことで、朝日新聞はライバル紙である読売新聞に対して、2020年東京五輪において劣位になることをも懸念したのではないでしょうか。加えて、他毎日や日経がオフィシャルパートナーとなっていることからも、(報道の優位性という観点からも)他紙と歩調を合わせざるを得ないという側面があったと思います。

この指摘を読んで、何かを思い起こしませんか? そうです。記者クラブです。

国家権力がすべての報道機関を加盟させることでメディアコントロールをはかる記者クラブ。その延長線上に、すべての全国紙がスポンサーに加わる東京五輪があると感じませんか?

私は「記者クラブ問題」と「東京五輪スポンサー問題」の核心は同じだと思います。新聞社が国家権力に「横並び」にされて「支配」されているのです。

朝日新聞が5月26日朝刊の社説で東京五輪中止を主張したのに対し、新聞社内で強く反発したのは、五輪報道を担う社会部を中心とした編集局でした。ベテラン記者が集まる「論説委員室」に対して強く抗議したのは、社長ら経営陣ではなく、日々の紙面をつくっている編集局の部長やデスクたちだったのです。

これは恐ろしい事態です。各社と「横並び」で「取材させられる」ことに慣れた記者たちにとって、「横並び」からはじかれることはとても抵抗感があるのでしょう。

なぜ「スポンサーなのに五輪中止を訴えるのはおかしい」という発想になるのか。なぜ「東京五輪のスポンサーである」という歪んだ現実を受け入れてしまうのか。「上から与えられた環境」のなかで仕事をして記者といえるのか。

私は朝日新聞の編集局内から社説への反発が噴出したという話をかつての同僚たちから聞いて、もはやこの会社がジャーナリズム精神を取り戻すことはイバラの道であることを再認識しました。そこには「現状への批判精神」というものがまったく感じられないのです。

私は思います。朝日新聞は全国紙の「横並び」から離脱し、スポンサーを降りるべきなのです。そして東京五輪反対を強く訴え、メディアの多様性・健全性を示すべきなのです。それこそ、日本のジャーナリズム界のリーダーとして取るべき道なのです。

けれども、朝日新聞編集局の部長やデスクたちの意識はまったく逆のようです。これに対して、最前線の記者たちは何も声をあげないのでしょうか? 

新聞社を去って「小さなメディア」をめざす決断は正しかった。もはや新しいジャーナリズムの担い手をつくるしかないーー私は改めてそう思いました。

みなさんは、どうお考えになりますか? コメントをお待ちしています。

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