私は朝日新聞社で27年間、新聞記者をしてきました。幸か不幸か、政治史やジャーナリズム史に残る大事件の渦中に身を置くことになりました。
27歳で政治記者となり、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら多種多様な政治家を担当してきました。39歳の異例の若さで政治部デスクに抜擢され、民主党政権下で発生した2011年の福島原発事故の取材を陣頭指揮しました。そこで永田町を中心とした政治報道に限界を感じ、調査報道専門の特別報道部デスクに転じました。
2013年に除染作業で生じた廃棄物を不法投棄する現場を動画や写真でとらえた「手抜き除染」報道で新聞協会賞を受賞。このほか原発作業員が身につける線量計に鉛カバーをかぶせて被曝量を隠す実態を暴いた「被曝隠し」報道や、東京電力や関西電力の内情に迫る「原発利権を追う」キャンペーンなど数々の調査報道のデスクを担当しました。
検察や警察など当局の情報を端緒とする従来型調査報道とは一線を画し、記者が主体的に取材テーマを設定して「隠された事実」を掘り起こす「テーマ設定型調査報道」を主導しました。
2014年には、政府が非公開にしていた福島原発事故の「吉田調書」(福島第一原発所長が政府事故調に証言した記録文書)を独自入手して報じました。朝日新聞社は当初、この「歴史的スクープ」を大きく評価して新聞協会賞を申請したのですが、政府や東電の反撃を受け、第一報から4か月を経たのちに一転して記事を取り消し、デスクの私と取材記者二人を処分しました。私たちは世間から「捏造記者」とバッシングされましたが、朝日新聞社はそれを放置しました。
もちろん「捏造」などの不正は一切ありません。「吉田調書」報道が取り消しに追い込まれた最大の原因は、朝日新聞上層部の危機対応の失敗にあったと私は考えています。
政府が「隠していた事実」を暴いたはずの取材記者が処分されバッシングされるという、ジャーナリズム史に残る大事件によって、日本の新聞記者たちは大きく萎縮し、新聞ジャーナリズムは批判精神を失いました。その結果、疑惑まみれの安倍政権は憲政史上最長の政権となったのです。
福島原発事故の前、日本は「報道の自由度ランキング」で世界11位でした。安倍政権を経て菅政権となった2021年、日本のランキングは67位まで下落しました。この国は「報道後進国」に転落してしまいました。日本の新聞は劣化の一途をたどっています。いまや「国家権力の監視」に尻込みするばかりか、新聞社内で管理統制が強まり「記者の言論の自由」が脅かされています。
私は政治報道や調査報道の改革に新聞社の内側から全力を尽くしてきましたが、新聞社に限界を感じ、独立を決意しました。2021年2月に退職届を出すと同時に「新しいニュースのかたち」をめざして小さなメディア「SAMEJIMA TIMES」をひとりで開設しました。
新聞の凋落はデジタル化に乗り遅れたことが主な原因ですが、それ以上に深刻なのは、新聞記者たちが政治家や官僚ら「エスタブリッシュメント」(既得権益層)と同じ目線で報道を続けてきたことにあると思います。私は「弱い立場の側に立つ」という新聞記者の原点に立ち戻るため、新聞社を去ることにしました。
まずは何事も一人でやり切る「独立心」を大切にします。そのうえで単独の弱点を補って助け合う「緩やかなネットワーク」を構築します。ジャーナリズム界の先駆者として「新しいニュースのかたち」に挑戦する覚悟です。
ご支援をいただければ幸いです。
2021年6月1日 SAMEJIMA TIMES 主筆 鮫島浩