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「新聞記者やめます」序章【私は会社の誘いに乗った】

新聞記者を辞めることにした。

ことし50歳。人生の節目に新たな一歩を踏みだす。そう言うと聞こえはいい。

新聞報道の劣化が進む。独立して新たなジャーナリズムを目指す。そう言うと格好は良い。

でも、実のところ背中を押したのは、会社が明治12年に創業して以来、最悪の赤字に転落したことだった。

給料は大きく下がる。会社が社員に追い討ちをかけるように提案したのが「希望退職制度」だった。

コロナ禍で広がる早期退職制度だ。対象は50歳以上の全員と45歳~49歳の管理職を除く社員。私は50歳目前の49歳である。幸か不幸か、平社員だ。

会社は、われわれ社員の間に年齢や役職で線を引いて、「必要」のカテゴリーからはみ出した者に辞めてほしいと願っている。退職金を積み増ししてまで会社を去ってほしいのである。その誘いに乗って手を上げるのはまことに癪である。

でも、私に辞めてほしい会社と、にらめっこしながらこのまま居座っても、はたして幸せだろうか。

新聞社に入社して27年。「ジャーナリスト」を名乗ってきたものの、実は会社員だった。さして成果がなくても毎月お給料は振り込まれる。ローンを組むのも簡単だった。まさに「サラリーマン記者」である。

会社の一角で行われる年2回健康診断で肌着姿のおじさんの行列に加わる時には「ああ、俺は雇われ人なんだ」と虚しい気分に襲われた。けれども、そうした現実を直視しなければ、それなりに暮らしていけた。

そこに安住して失ってきたものはたくさんあるはず。定年まで会社員として勤め上げたら、それに気付かぬまま人生を終えることになるかもしれない。そう考えると、会社の「誘い」に乗るのも、悪くはない。

実は7年前に会社を辞めようと真剣に考えたことがある。

当時は管理職だった。新聞編集のそこそこ中枢にいた。そこで会社全体を揺るがす大事件の渦中に身を置くことになった。事の詳細はおいおい書くとして、社長は引責辞任し、私も末端の管理職として責任を問われ、更迭され、懲戒処分も受け、2年近くの間、記者職から外される憂き目を見たのだった。

辛かった。納得できなかった。大いに不満だった。会社を辞める覚悟で抗おうかと考えた。その時はじめて、自分は会社員であることをひしひしと痛感したのだった。

会社が発行する新聞以外に自分の主張を発表する場を持っていなかった。社外の媒体で意見表明するには会社の許可が必要だった。大勢の新聞記者と同様、SNSの個人アカウントさえ持っていなかった。

会社を辞めたところで、私の声は多くの人に届くのか。誰が耳を傾けてくれるのか。第一、食べていけるのか。情けないが、勝負にならない。

私はどこまでも会社に依存していた。無力だった。会社に縛られていた。所詮はサラリーマン記者だった。懲戒処分と人事異動を受け入れるしかなかった。不甲斐なかった。

私は個人名でTwitterを始めた。社名を伏せ、会社の業務と切り離し、自分の氏名と「ジャーナリスト」の肩書きだけで、「民衆の目線」に徹することを意識して、発信を始めた。会社から自立する第一歩は、自分自身が「小さなメディア」になることだと考えた。

私のアカウントにはほどなくネトウヨの皆さんが殺到した。その大半は私の所属する新聞社に向けた批判だった。私は某大臣と違って、ブロックは一切しなかった。時に暴言を浴びせてくる彼らの「後押し」もあってフォロワーはぐんぐん伸び、5万人を超えた。

会社員でありながら個人名で政治やマスコミ報道を批判する私に対して(その批判は時に所属新聞社の記事にも向かった)社内外からさまざまな反応があった。その話はまたの機会としよう。

そして、2021年春。私は会社の「誘い」に乗ることにした。背中を押してくれて、どうもありがとう!

人生初めての「退職願」を書いた。希望退職の制度上、退職は5月31日付である。きょうから数えて、あと93日だ。

さて、そのあとはどうしよう。いまのところ、まったくの白紙である。

ジャーナリストとして生涯、発信を続けたい。でも、自由の身になるのだ。何か他にできることがあるかもしれない。もちろん食い扶持は必要だ。さて。

いま一度、自分の心の奥を見つめ直す。なぜ新聞記者になったのか、これから本当にしたいことは何か。「仕事探し」にあたり、基本方針は以下の3点である。

①ジャーナリストとして活動は続ける

②ジャーナリズム以外の領域に活動を広げる

③もう会社員にはならない

これから様々な方との出会いを通じて、軌道修正することはあるかもしれない。ポイントは「複数の顔」を持つことだ。「この会社一筋」的な生き方とは決別しよう。何よりもまずは会社員生活にどっぷり浸かってきた自分自身が変わらなければならない。

そのうえで、せっかくの機会なので、Twitterで5月末の退職を表明し、お仕事についてご提案・ご依頼を広く呼びかけさせていただくことにした。ネット上には知恵が溢れている。この数年間に学んだことだ。

このサイトの「お問い合わせや記事へのコメントを通じて、さまざまなアドバイスやご提案をいただければうれしい限りです。

この先の筋書きはない。色んな人の声に耳を澄まして、先入観なく、新しい進路を見つけよう。不安もあるが楽しみもある。

この連載では、「新たな仕事」を探し求める退職までの日々を同時進行で、できるだけ率直に綴りたい。私と同様、コロナ禍で新しい人生の一歩を踏みだすか迷っている人々に、すこしでもお役に立てれば幸いだ。

きょうから数えてあと93日。さあ、カウントダウンが始まった。

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