政治を斬る!

オーストラリアから日本を思って(30)東京15区補選「選挙妨害」報道を豪州から見た違和感~語らず逃げる政治家を黙認し、”問い抗議する人々”を叩く日本型民主主義への疑問~今滝美紀

5月3日は、“世界報道の自由の日”でした。冒頭の写真は、シドニーで“真実の報道”を擁護し、求める抗議です。今回は、世界や日本で統制の兆しを感じる“言論の自由”と“政治はケンカだ~”について、追っていきたいと思います。

東京15区「政治はケンカだ~」

衆院東京15区補選で、つばさの党が街頭で他候補へ質問し、候補者側は「選挙妨害だ」として答えず、“選挙妨害”が注目を集めました。その様子から、まさに“政治はケンカだ~”が思い浮かびました(Samejima Times “東京15区ルポ” はこちら)。

候補者はなぜ、有権者が知りたいことに答えず無視を続けるのか? 

マスコミはなぜ、言論の自由の問題を大きく取り上げないのか?

激しい政治論争が繰り広げられる豪州で暮らす私には、「選挙妨害」ばかりに視点をあてる日本の報道は、政治の重要な点を置き去りにしているように思えてなりません。

候補者への質問内容は、例えば、消費税とインボイス税制廃止・イスラエル支持への非難・統一協会問題・ストップ緊急事態条項・小池都知事学歴詐称疑惑など、候補者を選ぶうえで、重要な基準となる内容でした。

投票率約40%という東京15区補選は、 単純に選挙妨害なのか、“知る権利”や“言論の自由”の侵害なのかという捉え方の違いで全く違った風景となり、平行線をたどりました。本質的な論争に立ち入らず、無難で表面的な選挙運動だけが行われる悪しき風習が定着しているのではないかという疑問も浮かびました。

オーストラリアでは、政治家・候補者と主要メディアとの激しいやり取りを生放送で日常的に目にします。質問にはっきり答えるのは当たり前で、公開討論会に参加しない政治家は「信頼できない」「力がない」という印象を与え、メディアも厳しく批判します。

日本では多くの政治家やメディアが「都合が悪い事は報道しない」で歩調をあわせています。“知らせない権利” という全体主義のような言葉まで飛び交うようになりました。この風潮は民主主義の基本である国民の“知る権利”を守らず、選挙結果の歪みや慢性的な低投票率を招く一つの要因だと感じます。

世界の多くの国々がそうであるように、オーストラリアでは、政治に対してデモで声を上げることは、広く認められる権利です。激しく抗議する様子は珍しくありません。

しかし、日本では、マスメディアやSNSを通して“空気”をつくり、理不尽なことに抵抗する人間としての本能を抑圧しようとしている印象を受けます。   

変な空気に逆らうケンカ                      

神戸学院大准教授の鈴木洋仁さんは、プレジデントオンライン「なぜ“つばさの党”は逮捕ではなく、警告なのか…『選挙妨害は逮捕しろ』という主張に決定的に欠ける視点」で次のように指摘しました。

「多くの批判が殺到した。彼の『言論の自由』を認めよう、という“空気”は、どこにもない。不謹慎であり、不穏当であり、不適切だという“空気”が作られると、その流れには逆らえない」

「選挙をはじめとする民主主義の仕組みを守るためには暴力は絶対にあってはならない、そうした“空気”は揺るがない。だからこそ、『言論の自由』を最大限に守る必要があるのではないか」

鈴木准教授は「根本氏も、そして乙武氏も、みんなが自由に発言でき、政治に関われる。そのためには、言論には言論を、という近代社会の原則を粛々と、淡々と貫く。あくまでもその範囲で、『表現の自由』も『選挙の自由』も守られねばならない」そして「こうした教訓を与えてくれた点で、根本氏ら(つばさの党)の選挙活動は、大きな意味があったのではないか」とコラムを結んでいます。

ヤジで排除された人々のケンカ

鈴木准教授は、ドキュメンタリー映画「ヤジと民主主義」を紹介し、2019年7月19日に北海道での街宣中に「安倍やめろ」や「増税反対」などを訴え政権批判をしたら、突如大勢の警察官に排除され、プラカードを掲げるために現場に来たが、それさえもかなわなかった人々を取り上げていました。それでも、更にケンカを挑む市民の姿が印象的です。

いったい何が起きているのか?

声を出して政権に訴えることに対して、どういう法的根拠で警察は「排除」する行動を取ったのか?

そんな 謎を4年間追い続けています。

排除された人々は、北海道に賠償を求める裁判を起こしました。昨年、2審の札幌高等裁判所で、道に賠償を命じる判決が出て、「“ヤジ”という表現の自由が侵害された」と認められたそうです。

自分の思いを伝えたいけれど、“変な空気”に覆われて、排除・非難されると葛藤する人々の言葉にスポットが当てられます。

「どうやって言葉を届けるかって話ですよね。(聴いてもらえない、答えてもらえないと)ヤジという方法を取らざるを得ない面があるでしょう、ということですよね」

「今後この日を思い出した時に、ここで声を上げなかったこと絶対自分が後悔するなっていうふうに思って」

元北海道警察幹部である故・原田宏二さんは「警察が法的根拠がないのに好き勝手なことをやっている。今回はマスコミの前で平然とやった。あんたたち(マスコミ)は無視されたんですよ」と言います。

鈴木准教授は、乙武さんがXへ投稿した新たな公約「公職選挙法の改正」案のうち、「候補者であったとしても、他の候補者とその陣営スタッフの選挙運動に対して、または選挙の演説を聞いている有権者に対して、“一定以上の妨害”を行ったり、威圧したり暴力をふるった場合、“現行犯逮捕”を含む適正かつ迅速なる刑法の適用ができるようにします」という部分を問題視しました。

現場の警察による言論統制を許す可能性がり、“一定以上”という曖昧な基準で、権力が勝手に使える余白を残す法律に頼ってはならない、と訴えています。

言論の自由を巡る世界で起こるケンカ

世界で増々イスラエルに対するパレスチナ終戦とイスラエルとの関係を断つことを訴える抗議が広がっていいますが、特にアメリカ各地の大学で起こっている、非暴力的抗議に対する、武装した数百人の警察の乱暴な取り締まりや次々と逮捕される学生や教授の様子に大きな非難が上がっています(こちら参照)。

パレスチナで、日々失っている数々の命に対する抗議活動を力で粉砕する権力に愕然とする強い非難が上がっています。

これに対して、バイデン大統領やトランプ前大統領は共に、地域や大学の秩序を守るために、このような警察の取り締まりを積極的に肯定しました。

抗議する学生と警察が激しく衝突する米国コロンビア大学のベテラン教授は、キャンパス内での警察による逮捕に対し、言論で抗議し注目を集めました。まさにガチのケンカでした。次のような内容です。

「1968、1969、1970年ベトナム戦争に多くが反対した、だから戦勝が止まった。1960年代から学生たちは、ずっと歴史の正しい側にいる。恥ずかしい違法戦争による大量虐殺に反対した学生たちを誇りに思う。今日抗議している学生たちも将来、表彰されるだろう。多くのアメリカ人も、パレスチナでの戦争に反対している。この抗議が、臆病な政治家たちを停戦に向かわせることになる。アメリカはこの戦争に参加している。アメリカの戦闘機がアメリカ製の爆弾をガザに落としている。私たちの税金で、私たちのものとして使われている。学生たちがこの国の歩む道を変えるだろう。大勢の警察は、学生を包囲し、封鎖し、引きずり出し、多数の学生が負傷した。警察のキャンパスへの侵入を許したのは、外部の嘘つきと扇動者だ。大学の外圧への卑屈な屈服だ。大学で起きている真実を伝えることに、恥ずかしいほど失敗している政治家とメディアが起こしている。全体像を無視して、この抗議を大袈裟に騒ぎ立てている。これは大学内の安全や平穏の問題ではない。モラルの問題だ。56年も占領下にあるパレスチナの人々への大量虐殺の問題だ。パレスチナへの正義のためだ。大学の職員は全ての学生の安全を訴える。言論・抗議・学問の自由は侵害されている。1968年から続くこの大学の平和のための抗議の慣習は、一掃された。これは大学の問題ではない。この国の人々の目を覚まさせるために、停学・退学・逮捕のリスクを冒している若者たちを通して話すことは、絶対に必要なことだ。人々は私たちに賛同している。学生たちからの道徳的な要請に対して、目をつむり、口をつむり、耳をふさいでいるのは、政治家、マスコミ、大学の理事だ」

その後、米国内での大学では、増々大学内で抗議する学生数は増え、抗議を許し、学生たちと交渉する、という大学が出てきました(こちら参照)。

オーストラリアでは、国民目線からの“言論の自由”について敏感に反応しました。豪州各地でも大学内で、パレスチナでの戦争反対などの抗議活動が広がっていますが、大学の対応は米国のそれとは、違いました。

例えばメルボルン大学はABC(NHK相当)の声明では、学生グループが「何の問題もなく、平和的に抗議する権利を行使」していることが次のように発表されました。

「メルボルン大学では言論の自由が尊重され、支持されており、私たちの価値観とアイデンティティの中心となっています。大学は、暴力、脅迫に及ばない限り、キャンパス内での討論や平和的な抗議行動を歓迎します。また、反ユダヤ主義やイスラム嫌悪を含むあらゆる形の人種差別を遺憾に思い、積極的に反対します」

大学から抗議者への注意は「芝生に水をまく時間なので、注意してください」ということだけだったようです。

シドニー大学の学生は、米国における学生デモ参加者に対する“過剰な警察の暴力”を“忌まわしいもの”とし、大学と州警察に対し、米国のような措置を自制するよう求めたそうです。

言論の自由の略奪は、何のため?

米国では上院で“反ユダヤ禁止法案” が可決されました。

反ユダヤは、人種差別を意味するものでしたが、今ではイスラエル政府やシオニズム批判までもが反ユダヤだと解釈されるようになりました。この法案では、イスラエル政府を批判することや、ナチスの行為とイスラエルの行為を比較することも禁止するようです。

これら米国での出来事に関して、第18回で紹介した、ユダヤ系豪州人でABCでもインタビューを取り上げられているジャーナリスト、ローウェンスタインさんが、主要メディアが報道しない、知っておくべき事実として「アメリカ警察のイスラエル化、アメリカ人のパレスチナ人化」という記事を紹介していました。米国の警察はイスラエルの警察と訓練や武器を共有し、国民を守るという本来の使命から、政権・支配層への抵抗勢力を封じ込めるという準軍隊化へ進んでいることを詳細に説明しています。

実際5月始め、米国コットン上院議員(共和党)は、大学での反イスラエル抗議を「米国にある小さなガザだ」とし、反イスラエルデモに参加した学生に、学生ローンの免除を受けることを禁止できる法案を提出し、大きな波紋を呼んでいます(こちら参照)。

ローウェンスタインさんの著書「パレスチナ実験室・The Palestine laboratory」には、イスラエルの最新のテクノロジーを使った、パレスチナの人々の管理、最新兵器を開発し、軍事大国としてその存在を確立してきたこと。それらは全体主義、民主主義と呼ばれることに関わらず、世界の国々へ輸出されていることが伝えられています。開発された殺傷力のある高性能ドローンやAIマシーンは、パレスチナ・中東で使われる様子が報道されました。

私たちが絶対に止めなければいけないことは、この“実験”や“応用”をこれ以上、他の国々での戦争、または人々を管理するために使わせないことでしょう。

ヨーロッパでも、イスラエル非難、ワクチン非難、ロシア擁護の言論を取り締まったり、禁止したりする動きが見られます。

オーストラリアでは、日に日に窮地に立つウクライナの様子が、現地の人々の声と共に伝えられます。5月2日SBS(NHK相当で無料)は、ウクライナ兵士が「兵士を失い、闘うことが難しい、残った兵士たちは、疲れ果て、病気や健康問題で苦しんでいる。闘う武器も以前のように届かない」とむせびなが語る様子が伝えられました。

緊急事態下に置かれたウクライナは、戦争に反対する声は全く受け入れられず、戦地に赴く年齢が25歳に引き下げられ、女性や高齢者も戦争に参加しています。母子家庭の母親が「一人しかいない息子を育ててきて、なぜ戦地に行かなければいけないのか」と怒りの声も放映されました(下の写真は、状況を伝えるウクライナ兵です)。

                           

3月にはローマ教皇が「狂気を克服する恵みを求める祈り」を呼び掛け「最も強いのは国民のことを考え白旗をあげる勇気を持って交渉する人だ。多くの若者が死に向かっている」と、ロシアの呼びかけを拒否し、ウクライナが交渉のテーブに着かず、言論での和解ではなく、暴力・戦争を選択していることを暗に非難したようです。

日本は?

4月5日には、世界の報道の自由度ランキングが発表され日本は、前年の68位から70位となり、G7中最下位となりました。政治や経済の利権関係が報道を委縮させているのではないか、と「国境なき記者団」からコメントがありました。

“報道の自由”が抑圧され、情報が得られないことは、結果的に“表現の自由”を制限されることにります。

Samejima Timesでは「朝日新聞『社内言論統制』強まる~会社の意に沿わない記者個人の出版・執筆・講演活動を『事前検閲』で封じ込めるガイドラインを策定」が昨年10月に報道されました。

また、5月3日には、次のパンデミック体制「新型インフルエンザ等政府行動計画案」で「偽情報・誤情報対策」と項目が設定され、例えば薬やワクチンに関する言論が監視され、政府と違う見解は偽・誤情報と扱われる可能性があり、SNS事業者とも連携して行われるようです。これが、“言論統制”に繋がるのでは、と心配が広がっています。6月に閣議決定されるそうです。 

科学の世界は、日進月歩で情報が更新し、専門家でも意見が割れ、見極めが難しいことをどうやって、政府が見極めるのか、という信ぴょう性が心配されています。

上司にケンカを挑むジャーナリストたち

オーストラリアのジャーナリストたちは、去年10月に始まったパレスチナ・イスラエル紛争後、報道の自由度が前例に無いほど封鎖されていることに危機感を募らせ、所属するメディアの枠を超えて連帯し、上司たちに「報道の誠実・透明・厳格さを求める意見書」を提出しました。そこには①ジャーナリストと家族の安全性、②政府の広告機関となりプロパガンダではなく、情報の事実確認や文脈を確認し正しい情報を伝えること、③歴史や事件の経緯も報道すること、④反戦運動の報道、⑤イスラエルとの利権関係がないか、⑥戦争犯罪・大量虐殺・民族浄化・アパルトヘイトに関する信頼できる報道をすること、などが要求されました。

ここ最近の出来事で、国とその政治によって、報道と“言論の自由”の在り方が違うことが見えてきます。

おわりに

ケンカは、ネガティブに捉えられがちですが、雨降って地固まる、と言われるように、本音をぶつけ合って「ケンカしてよかった」ということもあります。ケンカにはいろいろあり、意味のある言論でのケンカを取り上げました。

当たり前にあるはずだと思っていた“言論の自由”は、空気のように人間らしく生きるために欠かせないもので、守らなければならないものだと痛感させられます。

Samejima Times によると自公政権は、10月に新しい体制で解散総選挙する可能性が高いようです。もう、自民党内で新しい首相と体制になれば、国民みんなのための政治に変わる、というのは幻想としか思えません…。

国民のため野党チームは連帯し、アピールできるリーダーを立て、国民みんなのための共通政策で、立ち位置を鮮明にしたチームを組織し、“変な空気”を吹き飛ばし、言論を駆使して、闘ってほしいと思います。

そして…ケンカは巻き起こるのか!?


今滝 美紀(Miki Imataki) オーストラリア在住。 シドニー大学教育学修士、シドニー工科大学外国語教授過程終了。中学校保健体育教員、小学校教員、日本語教師等を経て早期退職。ジェネレーションX. 誰もがもっと楽しく生きやすい社会になるはず。オーストラリアから政治やあれこれを雑多にお届けします。写真は、ホストファミリーとグレートオーストラリアン湾の沖合で釣りをした思い出です。

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