この充実感はなんだろう?空間の全てが愛に満たされてるーー危ない宗教に騙されたかのようなこの気持ち。2ヶ月間の日本滞在は嬉しい、楽しい、美味しいこと、幸せなことばかりが続いた。
2年ぶりの日本は、本当にしみじみとした。帰国できてよかった。鍵は外国人の彼抜きで、私だけで長期間滞在したことだった。思っていた通りのことでもあった。以前からそうしたいのはやまやまだった。
ここで少し衝撃の告白!(笑)←笑って大丈夫!
2ヶ月間アイスランドを離れたきっかけは、ネガティブな理由だった。常々アイスランド人の夫に対して不満に思っていたことがあり、それをどう表現しようと彼は理解を示さなかった。理解したくなかったのだろう。その状況にほとほと嫌気がさして、10月の末頃、私は彼に最後通知を突きつけた。最後通知というより、日本に戻ることを決めて、このままさよならになってもいいやと思うことにした。
なにせ50代後半での、それも国際結婚。二人の間には子供も不動産もないし、くっつくも別れるも実に簡単。気楽なものだ。それを不謹慎と見る向きもあろうが、この年齢なので人生楽しく生きればいいんじゃない?という程度。結婚という制度に考えを縛られる必要はない。
以前から、年末年始に日本に戻りたいと思っていた。けれど、私がその時期にいなくなると、彼はひとりでクリスマス、彼の誕生日、年末年始を過ごさなければならない。だから遠慮していたのだ。
けれど、そんなことを気にすることさえアホらしくなり、私は開き直って出ていくことにした。日本人女性であるからこそ、ここまで我慢したとも思う。彼のすることが嫌すぎて、心身に不調が出ることがあり、それは私の友人が気づくほどになっていた。なので、もーやめた!にしたのだ。実はね。
そして「私の気持ちを理解してください」のお願い口調から、「自分がやっていることを改めない限り、別れる以外の道がない」と、ガラスを割るしか方法がなくなった。
「つきましては、実家に帰らせていただきます」だよね。
彼はそれを飲まざるを得ない。飲むも飲まないも私がそう決めたので、そーなるのだ。結局彼は謝罪し、その後は実に見事に行動を改めた。最初からそうしろよ、やればできんじゃん!当たり前だ。幼稚園で学ぶべきレベルのことなのだから。
日本に少なくとも二ヶ月間滞在する。戻ってこない可能性もある。お互いに頭冷やした方がいいでしょ!の宣言をして、航空便を予約。日本帰国はその一ヶ月後。状況は私が日本に来る前に劇的に改善し、和解したけど、どちらにしても彼の側に次はない。
という訳で、ス〜ッキリして帰ってきたこともよかった。
日本に戻った最初の二週間は、どちらにしても家の片付けに当てようと思っていた。コロナがあってもなくても自主隔離のようにする予定だったので、特に都合が悪いことはなかった。けれど、アプリの呼び出しはうざかった!真面目に応答しなければいいだけとはいえ、律儀な日本人の感性も持ち合わせているため、呼び出されれば応答しないと気持ちが悪かった。
自主隔離明けはすぐに両親の元へ飛び込み、積もる話もありぃの、あそこやここを掃除してくれというリクエストもありぃの、一週間はすぐに消えた。ぼちぼち人に会えるようになったのはその後だけど、もう年末ギリギリ。連絡を入れても、タイミングが合わないことがほとんどで、「年始でどうだろう」ということになった。それがサメタイの鮫島さんお宅訪問であり、ン10年ぶりの湯川れい子さんとの会食であり、仕事関係も友人関係も含めて、会う人が全員漏れなく私に美味しいものを食べさせてくれた!
いや、ほんとに、今回は本当に美味しいものを食べるために帰ってきたと錯覚するほど、事前にみなさんが「何が食べたい?」と尋ねてくださり、遠慮なく「美味しいもの!」とか「日本食!」とリクエストを出した。
実家の両親には、私が食事を作りたいと思っていたけれど、結局、88歳の母が私の食事は全部作ってくれた(汗)。手が込んだものではなく、冷凍焼きそばをアレンジするとか、そういうごく日常的な感じだ。それは母の心遣いとして、甘受させてもらうことにした。「こうして娘にご飯を作ってあげられるのもあと何度あるやら・・・」という気配を背中に感じたし、ありがたく、美味しくいただいた。
外国人の彼の日本観光の計画に時間を割くこともなければ、実際に観光地へ足を運ぶ必要もない。時間は自由に使える。元夫(日本人)の実家の片付けも手伝うことができたし、日本でこなすべきことを、自分のスケジュールに照らし合わせてこなすことができて、本当に助かった。
かたや彼は私が居ない間に凍りついた道で転倒し、骨折した。手術の前後はティーンの息子さえもアイスランド国内におらず、彼には本当に辛い時間となった。急いでアイスランドに戻ることも考えたが、私が戻ったところで特にプラスになることはないため、肝を据えて日本にいることにした。
日本に来た私は私で、修理修繕が多かった。まずは時計。30年間愛用の腕時計を時計屋に二ヶ月預けて直してもらった。MacBook Proも不調だった。それはアップル銀座がすぐに対応してくれた(日本のアップル優秀!)。そして歯医者だ・・・。
そんなこんなの修理修繕の支払いで定期預金をおろすことになったけど、まぁ仕方がない。全部毎日使うし、特に歯はアイスランドでゴタゴタしたくなかったので(保険もきかないし)、しっかりやっておくことが肝心と自分に言い聞かせた。支払えただけよかった。
そんな感じで、ある意味、彼も私も、どこかがぶっ壊れて、直す羽目に陥った。私が修理に出したものは以前から改修が必要であることが分かっていて、彼の骨折は突然にやってきた。私のは懐が痛くて、彼のは肉体的に苦痛だった。
なんとなく、どことなく、それは今回の私の一時帰国をシンボリックに体現しているような気がしている。私は壊れたものを抱えて、修復を日本に委ねた。彼は壊れることを知らず、突然にそれはやってきた。そして私がいないところで、じぶんひとりで、どうにかせざるを得なくなったーーー。
日本の家族は、私がひとりで来たことを大いに喜んだ(彼が嫌いだという訳ではなく、外国人なので気を遣うというだけのこと)。たぶん彼もクリスマス等の兄弟の集まりで、私がいないからこそリラックスできたのではと思う。彼の兄弟もアイスランド語がわからない私がいると、何かと気を使ったことと思う。全部英語で話をさせるのも申し訳ないしね。
結果的に互いに息抜きになったことと思う。不具合の修復に、この時間が必要だったということではないかと思ってる。気持ちは本当にスッキリしている。
日本に滞在していた時間の一瞬一瞬を味わいながら過ごすことができた。風の音や空気の感じ。漂う雑音や人の気配。不思議なマスク集団ではあったけど、それもまた思い出として残ることだろう。
自販機や店舗でスイカが使えるようになっていたり、検温機やスーパーの現金支払い機のところで訳がわからず立ち尽くしてしまったり・・・。2年ぶりの日本を、コロナ渦がどのうようなものだったのかを体験し、アップデートできてよかった。彼のことを気にせず、日本人100%の自分でいられたことはとても大きかった。
改めて日本は大好きだし、居心地がいいし、やはり帰る場所はここであり、既に半分老後には入っているとはいえ、本格的な老後は絶対に日本だ!と確信した。
夏だけアイスランドに行って、そのほかの時期は日本で過ごす。美味しいとこどりがいいな!
名残惜しいけど、そろそろアイスランドに戻ります。アイスランド雑記に戻りますね。
今回のアイキャッチのたい焼き。サメタイの親分こと鮫島さんのご自宅でいただいた思い出のたい焼きです。家でカリっと焼き直してくださり、香りのいいお茶といっしょに、本当にごちそうさまでした。
日本滞在中、思いのほか時間に追われて、アイスランドに居た時のようにこのサメタイに時間を割くことができず、殴り書きばかりになって失礼しました。それでも、毎週楽しみにしてくださっている方がいるようで、本当に嬉しい限りです。ありがとう!引き続き、どぞよろで〜す!
小倉悠加(おぐら・ゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド政府外郭団体UTON公認アイスランド音楽大使。一言で表せる肩書きがなく、メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、カーペンターズ研究家等を仕事に応じて使い分けている。アイスランドとの出会いは2003年。アイスランド専門音楽レーベル・ショップを設立。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。自己紹介コラムはこちら。