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こちらアイスランド(168)後世にゴミを残すな!京都の古家で、埃にまみれる今日この頃〜小倉悠加

京都に来ている。といっても前回の四国旅行のような優雅なおひとりさまの旅ではなく、ホコリとゴミにまみれるお掃除おばさん係。なんだそれ?という話だ。

京都で掃除婦の仕事をゲットしたということではなく、いや、そうだとも言える。端的に言えば、ごく身近な人物の実家をきれいにしたいのだが、ン十年溜め込まれた物品と埃で、どうにもしようがないのだーーーというような状態になりもう5年にもなるかと思う。埃はそれ以前から溜め込まれていた。実家とはいえ、実家の人物は誰一人存在せず、残るはひとりとなっている。

その主がモタモタ、ダラダラしているので片付けが進まない。が、主とはいえここに常駐している訳ではなく、ひとりで来るとどうしてもダラダラしてしまう。緊急性もないので、そうなるのは仕方がないのかもしれない。けど、だらだらすればするほどコストはかかり続ける。

そこで登場するのが、元妻の私だ。特に喧嘩別れした訳でもないので、仲は悪くない(それじゃ離婚しなくてよかったんじゃんという突っ込みは無し)。勝手知ったる仲なので、あまり何も言わなくてもわかることも多い。私なら掃除してくれるだろうーーーという考えは甘すぎるが、手伝ってはくれるだろうはアリだ。

特に観光はしなくても、気分転換として京都に滞在するのはアリだし、事情が事情なので、できる範囲で手伝いたいとも思っている。私がいれば彼を動かすことができるので、作業ははかどる。なんと都合がいい存在なんだろう。常に日本に居ない希少性も、悪くないのかもしれない。

ひとりでの作業は退屈だけど、テキトーに話をしながらであれば進む作業もある。大きな片付けであれば数人がチームで働いた方が効率がいい。つまり一人よりも二人の方がいい。

この家に関して私は根掘り葉掘り尋ねるような興味はない。とはいえ、全く何も知らないのでもなく、彼の話を総合すれば、ここは曽祖父ないし、その前の代から住んでいる場所である。一時期、道路に面した場所で商売を営んでいたこともあった。2階に最後に上がったのは50年以上前になる。多分現在はネズミのパーティ会場になっているだろう。私が居るこの下の階も、誰かがいなければネズミが徘徊するらしく、齧ったあとやらフンがあちこちにある。普通の女性なら驚愕するような場所だ。綺麗好きなら一歩も中に入れないことを保証する。

そんな場所に来て宿泊できる女は希少だろう。その上、私なら気兼ねも少ない。少ないというか、一応お互いに気は使うから、夫婦だった時のように容赦無く喧嘩をすることはない。全然ない。このくらいの距離感で夫婦をやっていたならと思わないでもない。

お宝が出てくればいいのだが、そのようなお家柄ではなく、前回(2年前)作業をした際に最も大量に出て来たのは、三角にキチンと形を整えて折られた使用済みビニール袋だった。

買い物に行く度にふえていくビニールの袋。戦中戦後世代には捨てるのがもったいないものだったのだろう。私の母もそうだが、やたら物を大切に使う。大切に使うのはいいのだが、無駄に溜め込むので困る。

この家の主もそうだったのだろう。一度使ったビニール袋をしわなく畳み、それを三角の形に整えた。そんなビニール袋が数百、いや、数千個出て来た。あまりにも大量で、笑ってしまったことを覚えている。この戸棚に何があるのだろうと開けると、そこにはきれに畳まれたビニール袋。あまりにも大量なので使い道がないだろうかと考えたが、一度使用したものなので、どこかへ寄付というものでもない。仕方がない、資源ゴミとして出すしかない。ありとあらゆる隙間にこの三角のビニールが詰まっていた。

もうひとつ大量にあったのは、割り箸だ。何かを買うとついてくる割り箸。必要なくても、以前は弁当を買えば袋に入れてくれたし、「ご入用ですか?」と尋ねられると、一応もらっておこうかという心理が働くこともある。これも、ゴマンと出てきた。

大切に保存されていたのはそれだけではない。来客があった際にでも出そうかと保存して、そのままになったと思われる高級菓子、地元の銀行からの食用油や調味料のセット、カップや皿などの食器類。粗品のビニール袋やタオル等はまだ使えるが、賞味期限切れ数年の食品は破棄せざるをえない。

その他、もらったものは保存し、何かの時のためにと溜め込んだものが、あちこちに山積されている。

使えそうなものを保管・保存するのは理解するが、地方のお菓子の空き箱や、箸袋に時間と場所が書いて保存されていることもある。観光で行った食事の記念なのだろうか。今はスマホで写真を撮って終わるものも(写真も永久に増え続けるけど)、かつてはその手軽な代表格が箸袋だったのかもしれない。思い出なのでアリかとは思うが・・・。

想像を絶する量を溜め込めたのは、ひとえにこの場所が広いせいもある。平米数はわからないが、一階だけで150平米はあるような気がする。2階は足を踏み入れたこともないので大きさがわからないが、そこを入れるともっと広い。当たり前か・・・。

ド古い家の作りで収納も多い。京都にありがちな間口の狭いうなぎの寝床で、開かずの押し入れも数箇所ある。彼によれば、この押し入れが家全体を支えている気配なので、開けると家が崩れるかもしれないとも。

埃だらけで、家の中に入ると部屋によって埃の臭いの質が違う。これを最初私は取り払いたかったのだが、払おうとすればするほど埃が舞うのでやらないで欲しいと言われた。

なので、家の中に少しでも風が吹くと、土埃の匂いが激しくなる。埃の前に住居するために必要な場所を開けることが先決だった時代はそれを優先せざるを得ない。けれど、今回はそこまで優先順位が高い物事がないため、埃を取り除きたいと申し出たところ、彼からのオッケーがやっと出た。けれど、今日は玄関横の箱の山をどうにか潰したいので、埃取りはまた後になりそうだ。

この埃は少なくとも半世紀、実際は100年近く溜まりに溜まっているのではと思ったりする。その根拠は、彼がごく小さな時、お爺さんがハシゴに上に登っていた時に自分も登らせてもらい、そこに大きな火鉢を見た気がするという怪しい記憶からの推測だ。

どうやったら家の中で、これほど土埃が厚くなるまで放置できるのか?という疑問はさておき、先人の心遣いは感じる。後日、または後世の人々が、必要な時に気持ちよく使えるようにと、きちんと保存した結果が負の置き土産となってしまったのだ。痛し痒しというか、心遣いが仇になったのだ。

これがお宝の山であればいいのだが、二束三文どころか、廃品センターにお願いして引き取ってもらうようなブツでしかない。業者に処理を頼むとえらく高くつきそうだしーーだから私が駆り出されるのだ。

日本にこのような家がどれだけあるのだろうか。溜め込まれた不用品は、本当に厄介だ。その時代の、その人にとってはどんなに素晴らしい物でも、その素晴らしさはその人が、その時代の人間が勝手に決めた評価でしかない。

大量の鍋釜が出て来て、確かに第二次戦争直後の物資のない時代は、そういったものを持ってるが勝ちである時代はあったことと思う。でも、今はアルミ鍋などアルツハイマーの原因となるとさえ言われ、敬遠される存在なのだ。

それが例えば何千万円もするダイアモンドの指輪であっても、見る人によっては何の価値もない。何だか知らないが指で光るものとしては、千円のガラス玉の指輪との差はさほど大きくないことだろう。もちろんそれが本当に数千万するダイアモンドであれば、数百万での下取りが可能で、マンションの頭金になるかもしれないが。

という訳で、終わりがよくわからないお掃除のお付き合いを現在している。私がいれば何となく作業が進むという実質的なこともあるし、誰かが手伝ってくれるという心理的な安堵感もあろうと思う。去年も手伝う心づもりはあったけれど、大学のオンライン授業の関係で無理だった。今回は数日ではあるけれど、はるばる京都まできて、ネズミのフンと対面している。

私はつくづく変わった女だ。だからこそこんなこともやっていられるのかと思う。

小倉悠加(おぐらゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。

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