長々と2ヶ月半日本に滞在した。本当に楽しかった。
勝手知ったる日本である。それでも、今だ日常の細かなことで浦島を感じることも多い。願わくば半年ほどしっかりと根を下ろして日本で生活をして、物事の全般を一度完全に更新したい。そうでないと、知らないことが積もりすぎて、置いてきぼりになるのではと危惧している。
ほら、若者ならすぐに会得することも、老人は何度やっても覚えられなくなっていく。そんな風にならないように、マメにアップデートしておきたいのだ。
日本滞在で最後に何を書こうかと思って迷っていた時、目に飛び込んだのが早咲きの桜の姿だった。
そうだ、桜だ。
アイスランドに拠点を移す際、一番悲しかったのは、日本の家族に会えないことよりも、桜を見られなくなることだった。
薄情に聞こえなくもないけれど、家族とは日本に戻ればすぐにいつでも会える。桜はといえば、季節が巡ってこなければ出会えない。
日本人の誰もが桜には特別な思い入れがあるだろう。え、ない?ンならそれはそれでいい。
桜は幼い頃から両親に連れられて必ず週末に見に行っていた。
それは家があまり裕福ではなく、週末あちこちへ遊びに出ることはなかったから、毎週せめてもということで散歩に出かけるのが我が家の風習のようなものだった。
桜の季節は自ずと桜が美しい場所へ行く。
一番よく覚えているのは、名古屋の山崎川沿いの桜だ。私が幼稚園から小学校の頃は、屋台も盛んで(もしかしてまだそうかな?)、屋台を覗きながら、そこから漂ってくるソース焼きそばやイカ焼きの匂いといっしょに、桜の花の下を歩いた。
その頃はまだ、桜の花が美しとか、素敵だとか、たぶんそんな感想はなかったのかと思う。ただただ両親に連れられて、屋台が楽しかったから歩き続けたのではと思うフシの方が大きい。
そんなことが毎年恒例のことだったから、自ずと桜に親しんだ。
自ら桜を見たい、桜を見に行こうと思い始めたのはいつ頃だったのかは思い出せない。
自分の中の風物詩として無意識のうちに定着して、それが意識となって能動的に見に行くようになったのかと思う。
単に桜が美しいということだけではなく、あぁまた一年が過ぎて、これから夏になっていくのだな、とか、そういう時間の線の上にあるどこか決まった句読点のような位置のようにも思う。
印象に残っているのは、新卒でレコード会社に入社した翌年、昼の休憩時間に近所の公園のベンチに座っていると、雪のような花吹雪が降ってきた。花びらは風に舞い、宙でクルクルっと体操の選手よろしく三回転して、地に着地するかと思うとそこでもまたフフっと風に持ち上げられて、ふわふわしながら向こうの方へ飛んで行った。
私が桜を意識したのは、あの時かもしれない。
桜はずっと私の人生と共にあったし、たまたま海外へ出るタイミングで桜が開花を迎えると、ひどく悔しく思ったものだった。とはいえ、日本に住んでいればどこかで桜は見ることができる。早咲きとかね。
海外に拠点を移し、それが不可能になってしまったのだ。
淡いピンク色の、ごく控えめなひとつひとつの花が束になり、まるで街のところどころに霧がかかってしまったのかと思うような、そんな景色を数日間だけ見せてくれる。
なぜこれほど桜が好きなのか。なんで?
ゆっくりと歩きながらその姿を見るのが好きだ。
花の下に陣取って、酒を飲み、弁当を食べるというような花見をしたことが・・・ないと思う。あったとすれば、少なくとも私の印象には全くのこっていない。
想像するに、そういう花見も悪くなかろうとは思う。けれど、そのためには本当に気が合う仲間じゃないとダメだろうなぁとも。
日本に戻る度に、せっかく日本にいても桜は見られないなぁと嘆くばかりだった。
本当は桜の季節に合わせてきたかったけれど、あれやこれやの都合や事情でそれが叶わなかった。
今年も2ヶ月半もいたけれど、桜の季節には届かなかった。
実際、桜前線の到来まで数週間あるし、いくら温暖化とはいえ、日本全国の川沿いを満開の桜の花が飾るにはまだ少しだけ早い。
けれど、アンテナを張っていれば、案外あちこちに既に桜が咲いていることに気づいた。
梅と桜を混同はしないけれど、春を告げつ花ということでは同線上に置いてよかろう。
そうであれば、2月の初旬には実家の近所のスーパーのそばで梅の花を見た。この花を見つけた時、思わずニンマリした。あぁ、花を見ると自然に気持ちが和むのか。目尻が自然にゆるんだ。
2月中旬伊豆半島へ行った際には、「あれは桜だ!」と車の中から満開の桜の風情をたたえた木がそちこちに見られた。残念ながら桜の名所へ行って鑑賞するまでの時間はなかったが、それでもやっと日本の桜と出会えたことにひどく感動した。
この頃を境に、電車や車で移動する度に桜の姿を探した。すると、案外街のどこかには、ほのかにピンクを帯びたぼやっとした木立を見つけた。意識してアンテナを張れば、あるもんだ!
もちろん、全開満開とはいかない。孤独に、早咲きを少し恥じらうように、それでも咲くしかなくて花びらを広げ始めたような、そんな一匹狼的な姿のものを見た。
それだけで何だか十分に満足していたけれど、私の桜欲を満たした極め付けは横浜のご近所にあったこの桜だ。
高速道の横浜駅西口の出入り口近くの公園で見かけた桜
アイスランドに戻る前にもう一度髪の毛を切りたいと、急遽予約を取って髪の毛を切った帰り道のことだった。そこは高速道路の出入り口近くの公園で、往路はマンションの影に隠れて見えなかったらしい。帰宅時に不審者よろしく桜を探して周囲をキョロキョロと見ながら歩いていると、あった!高速の横の公園の一角に、あれは絶対に桜だと思われる白いほやほやとしたものが見えた!
うわぁ、うわぁ、うわぁと心の中で声を上げながら、横断歩道を渡り、公園の中へと進み、この桜と出会うことができた。
満開じゃない?!!この一本だけ。桜は好きだけど、その種類はよく知らないし、細かい見分けもつかない。十把一絡げにして桜には申し訳ない気はするけれど、愛でる心には変わりない。
太陽が眩しい暖かな日で、桜の下に腰を下ろし、桜の花の影に包まれながら春の息吹を思い切り吸い込んだ。
これ、この雰囲気だ。これをやりたかった、これを感じたかった!!
満開の桜を海外で見たことはある。ヘルシンキのそれは素敵だった。でも、でも、でも、デモ〜〜〜、どこか日本と違うのは、そこが日本ではないからなのか。桜は同じでも雰囲気が違うのだ。
ミッション・コンプリート。
その瞬間、日本からアイスランドに移った時の願いがかなった。
少しヘンテコに聞こえるけれど、アイスランドに移った時に真っ先に思ったのが、桜が見られなくて残念すぎるということ。そしてやっと、念願の桜を見ることができたのだ。
2024年3月4日の横浜の桜と空をあおぐ
春を通り越し、夏のような日差しだった。
望んだこととはいえ、またあの凍てつく地へ戻るのかと思うと、選択を間違ったかな?と一瞬心が重くなった。けれど、選択に間違いも正解もない。なるようにしかならないし、結果的に気に入らないのであれば変えればいいだけのこと。
ん?人生それほど簡単じゃない?かもね。
2ヶ月半という長期間、そして外野に妨害されることなく自分の意思ですべてを動かすことができて、本当にスッキリした。いい滞在だった。楽しい時間がたくさんあり、美味しいものもたくさん食べた。
滞在中の私のわがままにお付き合いいただいたみなさま、見守ってくれた方々、本当にありがとうございました。一年間なんて本当に短くて、あっという間に「え、あの人また日本に来たの?!」ってことになると思う。毎年戻るし、来年こそは本当に、絶頂満開の桜を日本で見たい。
そして来週、この「こちらアイスランド」は4年目に突入する。
小倉悠加(おぐらゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。