政治とマスコミを斬る
SAMEJIMA TIMESは無料公開にこだわります。皆様のあたたかいご支援をお願いいたします。講演・執筆・寄付等募集中!

ものづくりの考古学者がゆく(3)製鉄遺跡を訪ねる〜丹羽崇史

今日もあるものを見に行こうと思う。

前々回は鋳物、前回は焼き物を見に行ったが、今回はまた別のものを見に行く。

奈良から車を走らせて、約1時間。

ここは滋賀県草津市にある立命館大学びわこ・くさつキャンパス。

今回、見に来たものは、こちらの陸上競技場の地下にある。

じつはこのキャンパスを造るとき、事前の発掘調査が行われ、古代の工房の跡が見つかったのだ。「木瓜原(ぼけわら)遺跡」という名前がついている。

発掘現場は地下に現地保存され、事前に申し込みをすれば、それを見ることができるのだ。

このような地下道を抜けると、地下に保存された発掘現場にたどり着く。まるでタイムトンネルのようだ。


こちらがその発掘現場。

ここでは7世紀末~8世紀初頭(藤原京の時代)の製鉄炉の遺構がそのまま残されている。

鉄鉱石を溶かした製鉄炉本体の遺構とともに、送風装置(フイゴ)を置いたとみられる穴状の遺構も見つかっている。こちらの製鉄炉は平面が方形をした箱型炉と呼ばれている。

生の発掘現場を見るのはとてもエキサイティングだ。

実際の残された遺構を観察しながら、この場で製鉄が行われた様子を考えるのは、何よりも楽しい!


左は木瓜原遺跡の発掘現場。右のイラストは、古代の製鉄炉(箱型炉)の操業イメージ(横から見たところ)(鈴木瑞穂『イラストでみる はるか昔の鉄を追って』電気書院 2008年より)


現代でも伝統的な鉄づくりである「たたら製鉄」が知られている。

日本刀で用いる玉鋼を造るための「たたら製鉄」は、大正時代に一度技術が途絶えてしまったものの、戦前に「日本刀鍛錬会」のもと、「靖国たたら」として一時的に復活する。

戦争の終結とともに、操業は再度途絶えてしまうが、美術刀剣を製作するための玉鋼の供給を目的として、1977年、日本美術刀剣保存協会は島根県仁多郡奥出雲町の「靖国たたら」跡地を「日刀保たたら」として復活させた。

「日刀保たたら」以外にも、今日では、各地で「たたら製鉄」にもとづいた操業が行われている。

備中国新見庄たたら伝承会によるたたら操業(2014年10月 筆者撮影)

最近、考古学の世界では、「アイアンロード」が注目を集めている。

ヒッタイト帝国で人工鉄が生み出されて以来、鉄を作る技術はユーラシア大陸を横断して西アジアから東アジアに伝わった。その道が「アイアンロード」と呼ばれる。

シルクロードが成立するよりも、もっと古い紀元前の時代の出来事だ。

日本でその研究を牽引しているのが愛媛大学アジア古代産業考古学研究センター

同センターでは、これまで中国・韓国・モンゴル・ロシア・カザフスタン・ウクライナ・トルコなど、ユーラシア各地で現地の研究者とともに製鉄遺跡の調査を進めてきた。

特に注目すべきは、ユーラシア草原地帯各地で、スキタイや匈奴といった遊牧民たちが積極的に製鉄を行っていたことが明らかになったことだ。

じつはアイアンロードの担い手の多くは遊牧民であったのだ。

2020年にはNHKスペシャルとしてアイアンロードの特集が放送された。

アイアンロード~知られざる古代文明の道~

草原地帯の製鉄遺跡(モンゴル国ウブス県グング遺跡)の発掘調査風景(2018年9月 筆者撮影)

鉄の技術は農具や工具として生産革命をもたらし、武器として強大な威力を発揮し、さらには人間が馬に乗るのに用いる馬具にも採用された。人類の騎馬技術の取得は広域移動を可能にしたが、それにも鉄の技術が大いにかかわるのだ。

ずいぶん壮大な脇道にそれたが、話を木瓜原遺跡に戻そう。

木瓜原遺跡の保存施設を出て、すぐ近くの別の建物(びわこ・くさつキャンパス コアステーション1階)に設けられた展示室では、この遺跡から出土した遺物を見ることができる。

この遺跡では、製鉄炉のほか、鉄器を加工するための鍛冶炉、土器の窯跡や前々回紹介した梵鐘を鋳造した跡など、火熱を用いたさまざまな遺構が見つかっている。

(滋賀県所蔵)


立命館大学のサイトでも、この木瓜原遺跡を紹介している(見学には事前の予約が必要)。

日本では弥生時代に鉄器を作る鍛冶の技術が始まるが、素材としての鉄がつくられるのは古墳時代後期の6世紀後半になってからである。

7世紀になると、木瓜原遺跡のような、製鉄とともに、銅の鋳造や土器・瓦などの焼き物の生産も行う「総合工房」(考古学研究者は「複合生産遺跡」と呼んでいる)が各地で見られるようになる。

現代のものづくりでも、単一の業種だけでできるものは限られる。

流通が発達した現代では、遠隔地の分業体制で製品が作られるシステムが確立しているが、古代においては、同一の工房の中で、金属、焼き物、ガラス、漆工などの諸分野の作り手が集められ、さまざまな製品が作られたことが明らかになっている。

いわば人間の求めるものを造るうえで、多分野のコラボレーションは不可欠なのだ。

このような工房で用いられ廃棄されたモノは、いわば昔の「産廃」だ。

しかし、昔の「産廃」は立派な文化財。「産廃」を調査することで、アイアンロードのような壮大な歴史の流れが見えてくることもあるし、過去の時代の人々のものづくりの実像が見えてくる。

そう、今も昔も、ものづくりにかける人々の情熱は変わらないものなのだから。私は「産廃」の調査を通じて、今日も、いにしえのものづくりの探究を続けている。


丹羽崇史(にわ たかふみ)

奈良在住の考古学研究者。中国・韓国・日本を中心に、過去の時代の人々のものづくりやその技術を研究しています。SAMEJIMA TIMESの筆者同盟の一員として、考古学・文化財に関する記事を執筆しています。考古学や文化財の魅力を発信できればと思っていますので、お付き合いいただけましたら幸いです。写真は中華人民共和国北京市にある大鐘寺古鐘博物館を見学した時のものです。

筆者同盟の最新記事8件