※この連載はSAMEJIMA TIMESの筆者同盟に参加するハンドルネーム「憲法9条変えさせないよ」さんが執筆しています。
<目次>
1.連載50回を記念して
2.連載執筆裏話
3.「政権交代は道半ば」なのだろうか?
4.トピックス:KANさん天国へ旅立つ
1.連載50回を記念して
2022年1月12日に掲載を始めた「立憲野党私設応援団 ~限界を乗り越えて、みんなで世直しを始めよう~」ですが、おかげさまで今回の記事で連載50回を迎えることとなりました。
私の拙い記事に2年近くお付き合いいただいたSamejima Times主筆の鮫島浩さんと、記事にアクセスして閲覧したりコメントを書いたりしていただいた読者のみなさまに、深く感謝申し上げます。
今回は、連載50回を記念して、「立憲野党私設応援団こぼれ話・裏話」と題して、連載に至る経緯や記事執筆の裏話などを書いてみたいと思います。
「憲法9条変えさせないよ」というハンドルネームで投稿する私がSamejima Timesで連載を持つようになったきっかけは、「政治倶楽部」での私のコメント投稿の内容を鮫島さんが2021年12月6日に取り上げて記事にしたことです。
野党4党は1人区より複数区で選挙協力を!参院選最大の焦点は「維新封じ込め」だ~「憲法9条変えさせないよ」さんの独創的な参院選戦略をみんなで議論してみよう!!
この記事をきっかけに、私も含めたSamejima Timesの読者の間で野党の選挙協力に関していろいろな議論が行われ、その様子を見た鮫島さんが、2022年1月からの記事連載の話を私に持ちかけ、私がその提案に乗って、「読者ライター」として、2週に1本のペースで記事を書くことになったという次第です。
私が所属することになった「筆者同盟」には何人かの筆者がいますが、不定期ではなく定期的な形で記事を掲載しているのは、オーストラリア在住の今滝美紀さん(今年の2月から「筆者同盟」に参加されることとなりました)と、アイスランド在住の小倉悠加さん(Samejima Timesの開設初期から「筆者同盟」に参加し、連載回数は150回を超えておられます)以外では、現在のところ、私だけとなっています。
こちらアイスランド(150)人口38万の国で10万人が結集した「女性のストライキ」~男女平等14年間世界一!全女性よ、すべてを投げ出し団結せよ!~小倉悠加
ですから、日本国内で「Samejima Timesの記事執筆」を趣味にしながら暮らしているのは、今のところ私一人であり、そういう意味では面白い体験をさせてもらっていると思いますし、逆に、海外事情をお伝えできるわけでもなく、何らかの専門性を持ち合わせているわけでもないただのオジサンの私がこんな形で偉そうに自分の意見をバンバン記事に書いてしまっていいのだろうか、と思ってしまうこともたまにあります。
ところで、Samejima Timesには元衆議院議長の土井たか子さんの言霊がけっこう生きていて、私のハンドルネーム「憲法9条変えさせないよ」も土井たか子さんの言葉をお借りしたものですし、Samejima Timesの毎週日曜夜の名物youtube番組『ダメダメTOP10』のオープニングやエンディングに出てくる「ダメなものはダメ」という言葉も土井たか子さんが語ったものです。(鮫島さんがそのことを意識したうえで使っておられるのかどうかは定かではありませんが。)
鮫島さんと私は学年が違いますが、「団塊ジュニア世代」というカテゴリーで言えば同じ世代であり、多感な中高生の時代に当時の社会党委員長の土井たか子さんの活躍(1989年の参院選で自民党を過半数割れに追い込み、「山が動いた」という名言を残す)をリアルタイムで目の当たりにした印象の強さが、こんなところに現れているのかもしれません。
2.連載執筆裏話
私が書いた記事が掲載されるのは隔週水曜日となっていて、原稿は平日の夜と休日を利用しながら書き進めています。
毎回の記事のテーマに関しては、事前に鮫島さんにお伝えしたうえで記事を書き始めています。
早ければ記事掲載の前の週の水曜日か木曜日に、遅くとも金曜日の夜か土曜日の午前中には草稿を書き上げて、鮫島さんにメールで初稿を送っています。
初稿を読んだ鮫島さんから「この箇所は書き直してください」とか、「問題ないので、これで進めてください」といったメールをいただいて、それを受けて土日で加筆修正を行い、最終原稿を仕上げていきます。
鮫島さんからの返信のメールを見るのはちょっとドキドキで、書き直しの指示があった場合には「どんなふうに原稿を書き直そうかな」と考え込むことになりますし、「進めてください」というメールが来た場合には私の心の中で鮫島さんに「安倍昭恵さんかよ!(笑)」というツッコミを入れてから記事の推敲を進めていくことになります。
土日で仕上げた最終原稿は、鮫島さんがSamejima Timesに掲載するレイアウトに組み直して、そのゲラがまた私のところにメール添付もしくはファイル便で送られてきます。
そのゲラを私がチェックして、私が書いた原稿に誤字脱字がないか、あるいは、鮫島さんが組んだレイアウトが私の執筆意図とズレたものになっていないかを確認し、必要があれば鮫島さんにレイアウト等の調整をしていただいて、記事掲載週の月曜日か火曜日には記事公開の準備を終わらせるような流れになっています。
連載を始めた時には、「連載開始の挨拶」と「立憲野党各党(立憲民主党、日本共産党、れいわ新選組、社会民主党)への期待と不安」を記事にすることが最初から決まっていて、第1回から第6回までのテーマが事前に決まっている状態で連載をスタートさせることを決めたのですが、第7回以降の記事を書く時にテーマが見つられるのかどうか、連載を引き受けた時には、少し不安に感じていました。
実際に連載を始めて記事を書くようになると、その時々で書きたいと思うテーマが溢れてきて、逆に、2週に1回のペースでは書きたいことを全部書くことができないので、本編の記事以外に「トピックス」のコーナーを作って、時事ネタを載せるような形になっていきました。
記事の長さも全体的に長くなってきて、鮫島さんから「今回はこれでいいですが、記事の長さがかなり長いので、次回からは気をつけてください」というご指摘をいただくことも度々あるのですが、だからといって記事をカットされるようなことはなく、基本的に私が書きたいと思ったことは、全部記事として掲載していただいています。
本業の仕事が忙しい時には、「Samejima Timesの記事執筆」の締切間際にちょっとバタバタしてしまうこともありますが、素人の一民間人の私が、政治の話からスポーツや芸能の話までいろいろと自由に自分の意見を書くことができる「Samejima Timesの記事執筆」は、趣味としては非常に贅沢というか、楽しいことだというふうに感じています。
執筆のテーマに関しては(事前に伝えはしますが、内容自体は)全く私の自由に任されていて、時には、私が書く意見が、鮫島さんが普段書いている記事の論調と全く逆の内容であったりする場合もあるのですが、それでも鮫島さんは私の書いた原稿を基本的にそのまま掲載記事にされています。
どのような効果を期待して鮫島さんがそのような対応をされているのか、私には伺い知ることができませんが、その度量の大きさ、器の大きさには圧倒されますし、筆の赴くまま自由に記事を執筆させていただいて、本当にありがたいことだと感じています。
3.「政権交代は道半ば」なのだろうか?
連載第1回の記事で、私は「2025政権奪取プラン」というタイムスケジュールを提示しました。
次期衆議院選挙が任期満了に近いものになると仮定して、「2025政権奪取プラン」というタイムスケジュールを提示したいと思います。
2022年7月参議院選挙:自公与党過半数割れの実現(衆参ねじれ国会)
2025年7月参議院選挙:立憲野党過半数確保の実現(政権交代にリーチ)
2025年10月衆議院選挙:立憲野党過半数確保の実現(政権交代)
私の「立憲野党私設応援団 ~限界を乗り越えて、みんなで世直しを始めよう~」の連載は、2週間で1本のペースとなる予定ですので、約4年でおよそ100本の原稿を執筆する計算になります。
世の中には「100日後に○○する~」というシリーズが数多くありますが、私が原稿を100本執筆する間に「政権交代」が実現し、「立憲野党」が「立憲与党」になって、私の連載が「大団円」を迎える、というのが現時点での私の構想です。
「私が原稿を100本執筆する間に『政権交代』が実現する」という当初のプランからすれば、連載50回を迎えた今日の時点で「政権交代は道半ば」というところまで来ているはずなのですが、実際には2022年の参院選で「自公与党過半数割れ」どころか「改憲勢力3分の2確保」を許してしまっているような状況です。
負け惜しみを言うわけではありませんが、参院選の結果いかんにかかわらず、次期衆院選があと2年の間に行われることは確実であり、その衆院選での立憲野党の獲得議席数次第で「政権交代」が実現するのか、あるいは単なる夢に終わるのかが決まります。
そうした中で、私にできることは非常に小さいですが、それでも、少しでも「政権交代」に向けた機運や議論を盛り上げていくことができるよう、毎回毎回の記事執筆に、全力で取り組んでいきたいと思います。
連載50回目の記事の最後に、私がSamejima Timesで書いた2本の政治小説のURLを掲げておきます。
4.トピックス:KANさん天国へ旅立つ
メッケル憩室がんで療養中だったシンガーソングライターのKANさんが、11月12日に61歳でこの世を去りました。
哀悼の意を表しますとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
「愛は勝つ」は1990年7月に発売されたアルバム『野球選手が夢だった』の収録曲で、シングルカットされ、1990年9月にリリースされました。
それは折しも日本でバブル崩壊が始まった時期で、1989年12月29日の大納会の終値で日経平均株価が最高値38,915円87銭を記録した後、年が明けた1990年1月から株価の下落が始まり、つられて地価も下落するなどして、徐々に先行きに不安が広がっていく時代でした。
とはいえ、まだこの頃はバブル経済の余韻が残っている時期でもあり、今の時代と比較すれば、世の中ははるかに明るい世相でした。
KANさんの「愛は勝つ」は1990年12月から1991年2月にかけて8週連続でオリコン1位を獲得し、CDは累計で200万枚以上を売り上げました。
「愛は勝つ」は1991年に第33回日本レコード大賞を受賞し、その年のNHK紅白歌合戦にKANさんは初出場することになります。
それから20年後の2011年、東日本大震災が起きた年に、KANさんは「がんばろうニッポン愛は勝つシンガーズ」の一員として、再び「愛は勝つ」の曲を世に送ります。
それからさらに9年後の2020年、コロナ禍に見舞われた年に、KANさんは「アップフロントグループ」の一員として、またも「愛は勝つ」の曲を世に送ります。
日本が苦境に陥り、国民の間に不安が広がるたびに、KANさんは、時にはソロで、また時には仲間と共に、「♪心配ないからね~」と歌い、人々を励ましてきました。
このように、平成から令和にかけて30年以上の長きにわたって国民を励まし勇気を与え続けてきたKANさんに国民栄誉賞授与の話が湧き上がってこないのは、私は個人的には非常に不思議なことだというふうに感じています。
ちなみに、「愛は勝つ」の曲はメロディーがぐるっと回って元に戻ってずっと続いていく「メビウスの輪」のような構造になっていて、KANさんは「メロディーを完成させた時に、とてもテンションが上がった」というふうに語っています。
KANさんは「愛は勝つ」のメロディーの出来栄えに非常に満足していたようですが、一方の詞に関しては、「本当は歌い出しを『あ』か『お』にしたかったが、『♪心配ないからね~』で『し』になってしまった」というふうに語っていて、果たしてこの詞がベストだったのか、後になっても思い悩んでいたようです。
しかし、実際に曲が世に出てみると、「♪心配ないからね~」の歌い出しは広く人々に受け入れられ、KANさん本人も「ラストの『必ず最後に愛は勝つ』を『必ず最後に愛が勝つ』と歌い間違えるオジサンがいたりするのに、最初の『心配ないからね』はみんなちゃんと歌えるんだよな」などと語っていたそうです。
KANさん逝去の報を聞き、多くの人々が「愛は勝つ」の楽曲を買い求めたようで、2023年11月27日付のオリコン週間デジタルシングルランキングで「愛は勝つ」は6位にランクインされています。
1990年9月に「愛は勝つ」のシングルがリリースされた時のB面の曲のタイトルは「それでもふられてしまう男」で、KANさんは、そのようなユーモアや茶目っ気たっぷりの人でもありました。
法政大学の後輩にあたる秦基博さんとのコラボレーションの際にも、わざわざ「謝罪会見」なるものを開き、独特のユーモアを交えながら、曲の紹介をしています。
このコラボレーションは、KANさんがまず「キセキ」という楽曲をリリースし、その後で秦基博さんが「カサナル」という楽曲をリリースして、それぞれ独立した一つの曲として普通に聴くことができる作品になっているのですが、それをさらに二つ重ねて聴くと「カサナルキセキ」という一つの完成したコラボレーション作品としてハーモニーを奏でるというものになっています。
この三つの作品を順番に聞いていくと、KANさんのアーチストとしての発想力と独創性、そして才能と技術の高さをはっきりと感じ取ることができ、そのことに圧倒されてしまいます。
KANさんと秦基博さんがそれぞれこうした仕掛けを明かさずに「キセキ」と「カサナル」という作品を別々にリリースしてしらばっくれていたことに対して「謝罪会見」を行ったというプロモーションのやり方も、いかにもKANさんらしいというか、独特のユーモアに溢れていると思います。
今はもうKANさんのライブを聴くことはできなくなりましたが、KANさんが残した珠玉の楽曲は永遠に残ります。
私はいわゆる「団塊ジュニア世代」で、ちょうどKANさんが歌った「愛は勝つ」が流行った時期に高校時代を過ごし、その思い出は切っても切り離すことはできません。
KANさん、本当にありがとう!
憲法9条変えさせないよ
プロ野球好きのただのオジサンが、冗談で「巨人ファーストの会」の話を「SAMEJIMA TIMES」にコメント投稿したことがきっかけで、ひょんなことから「筆者同盟」に加わることに。「憲法9条を次世代に」という一民間人の視点で、立憲野党とそれを支持するなかまたちに、叱咤激励と斬新な提案を届けます。