政治を斬る!

安倍氏国葬を風刺する朝日川柳、右派バッシング受け早々に白旗〜自己保身の犬!投稿者をさらし者にする巨大新聞社の背信行為

朝日新聞が危機管理でまた迷走している。毎度のごとく上層部の自己保身と組織防衛ばかりに走り、もはや言論機関としての体をなしていない。

2022年7月15、16日付「朝日川柳」に、安倍晋三元首相の銃撃事件を風刺する作品を複数掲載したのだが、ネット上で安倍氏支持層の右派を中心に「不謹慎だ」と批判が殺到すると、一転して「朝日川柳につきましてのご指摘やご批判は重く、真摯に受け止めています」と早々と降参。「朝日新聞社はこれまでの紙面とデジタルの記事で、凶弾に倒れた安倍元首相の死を悼む気持ちをお伝えして参りました」とまでへりくだり、事態の沈静化に躍起だ。(Jcastニュース報道

朝日社内では朝日川柳に関するSNS発信などを事実上制限する動きも出ており、とにかく「なかったこと」にして幕引きを図る対応なのである。

そもそも朝日川柳の欄はネットで炎上するほど幅広い層に読まれているわけではない。その拡散に一役買ったのは、これら川柳を絶賛するラサール石井さんのツイートだった。

ラサール石井さんのツイートが炎上し、そして朝日バッシングへと発展したのである。

私は正直、朝日川柳の今回の企画にはあまり賛同しない。権力者を風刺するのは新聞の伝統文化だし、凶弾に倒れた政治家を風刺してはいけないとも思わない。ただ、ここはセンスとレベルの問題だ。

安倍氏暗殺や国葬をめぐって国論が二分するなかで、まずはこれらの問題を真正面から議論すべきであろう。紙面でその議論を十分に展開していない段階で(むしろ朝日新聞は議論を深掘りすることを避けているようにさえ見える)川柳による風刺だけが先行することに違和感を感じたのだった。ちょっと、やり口がずるいと。

ただ、それでも川柳という文化の風刺性を重視し、この企画をやろうという考え方も理解できる。それはそれでひとつの考え方だ。その場合は「不謹慎だ」という批判を招くことを覚悟して、新聞社の意思として堂々と断行するべきである。

今回の朝日川柳もてっきり「不謹慎だ」という批判を覚悟したうえで、あえて風刺文化を重視して踏み切ったと思っていた。その風刺のレベルをめぐる評価はさておき、それは表現の自由を重視する新聞社としてあっていい選択だ。

ところが、実態はまるで違ったようである。「不謹慎だ」という批判が(予想通り)わきあがったとたん、「ご指摘やご批判は重く、真摯に受け止めています」とあっさり白旗を上げてしまった。

あいた口が塞がらない。ならば最初からやらなければよいのだ。批判覚悟でやったのではないのか。

やった以上、腹をくくって、なぜ徹底抗戦しないのだ。「川柳は権力を風刺する文化です。風刺にタブーはありません。私たちは新聞社として表現の自由を何よりも重視していく覚悟です」と断固主張すればいい。そこで戦う覚悟がないのなら、最初からこの企画を通してはならなかったのだ。

結果として朝日新聞よりも傷ついたのは、川柳を投稿した読者の方々である。批判を浴びてすぐに屈服するのは、川柳を寄せてくれた読者への背信行為だろう。彼らをさらし者にしたに等しい。

よくもまあ、そんなひどいことを平然とやってのけるものだ。メディアとしてもモラルが完全に崩壊している。

朝日新聞の上層部が自己保身と組織防衛から右派からのバッシングに屈服し、現場を切り捨てて一方的に謝罪してしまうのは、はじめてのことではない。

私がデスクを解任された2014年の「吉田調書」問題もそうだった。安倍政権や右派からの激しいバッシングに屈して最後は記事を取り消し、現場のデスク(私)と記者を処分して切り捨てた。私たちは世間から「捏造記者」とバッシングされ、「公開処刑」のような扱いを受けたが、会社上層部はまったく守らなかった。瓜二つの構造である。

経営陣の保身のために、いとも簡単に記者や投稿者を切り捨てる。実に恐ろしい新聞社である。記事を書いたり、川柳をつくったりする表現行為を見下しているとしか思えない。れいわ新選組の大石あきこ衆院議員の言葉を借りれば「自己保身の犬」だ。

さらに恐ろしいのは、「朝日新聞社はこれまでの紙面とデジタルの記事で、凶弾に倒れた安倍元首相の死を悼む気持ちをお伝えして参りました」という弁明だ。

新聞社は、権力者が凶弾に倒れたら、死を悼む気持ちを紙面でお伝えしなければならないのか? これは権力監視を旨とするジャーナリズムとしてとてもまずい弁明である。政治家を追悼する気持ちを国民に強要する国葬を推し進める岸田政権と同じ論理だ。国民一人一人の内面の自由を軽視し、追悼への同調性を促す愚行である。新聞社がとるべき態度ではない。

そして気味が悪いのは、そこまでして右派のバッシングに対して媚びへつらう必要があるのかということだ。

「吉田調書」問題で右派のバッシングに屈し、記事全文を取り消して全面謝罪するという愚行を犯したものの、その「危機管理」を主導した面々がその後に出世して経営陣に昇進し、当時の対応を自己正当化のために「成功物語」へ歪めてしまったことが尾を引いているのだろう。だから、右派からバッシングを浴びたらとにかく早めに謝って幕引きを図るという「間違った対応マニュアル」が引き継がれ、そのまま繰り返し実行されているようにしか思えない。

そこには表現の自由や言論の自由を守り抜く決意は微塵も感じられない。このありさまでは安倍氏の国葬に反対するキャンペーンを展開することも、統一教会と自民党の闇を追及するキャンペーンを展開することも、とても期待できない。朝日新聞は右派にバッシングされないように震えながら、日々、決して抗議を受けないような差し障りのない紙面をつくることに全力投球しているのだ。

朝日新聞の上層部は己の保身と出世で頭がいっぱいなのである。それに対して社内の記者たちから異論も出ないのだろうか。おそらく、出ない。

朝日新聞記者のSNS発信は今、社内で厳しく監視され、会社批判をしようものならすぐに注意・警告され、従わないと記者職を外されたり地方へ転勤させられたりする人事異動が待っている。すでに見せしめのような人事は断行されており、記者たちは震え上がって口をつぐんでいる。朝日新聞は今、単なる管理・統制された会社員記者の集団となった。もはや言論機関の体をなしていない。この新聞社は完全に壊れてしまった。

リベラルのみなさん、朝日新聞を動かすには、右派に負けないくらい朝日バッシングするしかありません!

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