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維新・馬場代表「共産党は日本からなくなったらいい政党だ」発言よりも「民主主義の否定」「ファシズムの恐れ」を感じた通常国会での出来事

日本維新の会の馬場伸幸代表がインターネット番組で、共産党について「日本からなくなったらいい政党だ」と発言したことに対し、リベラル派から「民主主義の否定」や「ファシズム」などと厳しい批判が噴出している。

共産党の小池晃書記局長が当事者として「看過できず、断じて許すわけにはいかない」と撤回を求めたのは当然であろう。

政党の存在そのものを否定する政治家の言葉としては、自民党の小泉純一郎氏が2001年総裁選で「自民党をぶっ壊す」と豪語して世論の人気をかっさらったことを思い出すが、これは自民党の大物議員が「自民党を変える」という意味で打ち上げたキャッチフレーズであり、同列には論じられない。

最近では馬場氏が「立憲をたたき潰す」と語ったことがニュースになったが、このときはもっぱら立憲から野党第一党を奪うという政治的宣言として受け止められ、「民主主義の否定」や「ファシズム」と批判を浴びることはなかった。

共産党には政治的に弾圧されてきた歴史がある。その共産党に向かって、勢いづく維新の党首が「なくなったらいい政党だ」という言葉を投げ掛ければ、いやが上にも弾圧の歴史を想起させる。政治家としては配慮を欠く発言だったといえるだろう。

馬場氏がそれを承知で発言したのは、共産党アレルギーをあえて刺激することで、立憲と共産の共闘への悪印象を流布する狙いがあったのは間違いない。さらに「政治的タブー」にあえて踏み込むことで維新への関心を高めるという思惑もあっただろう。

馬場発言に反発する人々はそもそも維新を支持することはないだろうから、多少の反発を招いたとしても共産党に批判的な自公支持層、野党支持層、無党派層を維新支持へ引き寄せるプラス効果のほうが大きいという政治的打算もあったに違いない。

私は共産党がなくなったらいいとは思っていない。

共産党を支持しているわけではないし、志位体制を批判した党員を除名した問題では厳しく批判もした。けれども、全国各地の地方議会で立憲が自公と手を握る「オール与党」体制が相次ぐなかで、「確かな野党」を貫いている共産党がなくなると大変なことになると考えている。極論すれば、自民や立憲よりもなくてはならない政党だと思っている。

その立場を明確にしたうえで、立憲をはじめ野党から噴出する馬場発言への批判には、若干の違和感も抱いている。

私は馬場氏の思惑に乗りたくはないと直感し、この問題への言及を避けてきたのだが、それに加えて、馬場発言を批判したら今後、私自身が「利権まみれの自民党はなくなったほうがよい」「自民党の補完勢力である維新は消滅したほうがよい」「野党第一党の責務を果たしていない立憲は解党すべきだ」などという論評をしにくくなるとも思った。「表現の自由」はできる限り許容する立場に立たなければ、いずれは言論人としての自分の首をしめかねないというのが私の基本的な姿勢だ。

そのうえで、もうひとつ。

国会議員がネット番組で発言すること以上に「民主主義の否定」や「ファシズム」の恐れがあるとして問われるべきは、国権の最高機関である国会における「投票」や「議案提出」といった行動である。

その意味で、自公や維新とともにれいわ新選組の櫛渕万里衆院議員の懲罰動機に賛成し、山本太郎代表の懲罰動機を共同提出した立憲の国会議員たちの行動のほうが、馬場発言よりもはるかに「民主主義の否定」や「ファシズム」に直結する問題ではないかと私は思っている。

衆院3議席、参院5議席の少数政党(れいわ)を与野党が寄ってたかって弾圧する光景のほうが、国会が与党一色に染まる「体制翼賛政治」の再来をはるかに強く感じさせるものであった。

国会外での馬場発言を批判する立憲の衆院議員たちは、衆院本会議場で櫛渕氏への懲罰動議に賛成した自らの投票行動をどう総括しているのか。

繰り返すが、私は馬場発言を擁護するつもりは毛頭ない。一方で、櫛渕氏の懲罰動議に賛成しながら馬場発言を批判している立憲議員らの姿勢は辻褄が合わない。本気で「民主主義の否定」や「ファシズム」を憂いているのではなく、その時々の政治的思惑で批判しているとしか思えないのである。

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