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自転車ヘルメット着用が来春から義務化ってマジ!? 政権内で強まる警察権力〜国民生活の常識とかけ離れたルールが立案され閣議決定されてしまう恐ろしさ

1984年春、中学入学を目前に親の都合で兵庫県尼崎市から香川県高松市に引っ越して最初にショックを受けたのは、自転車で街中を走る中学生たちがみんな真っ白なヘルメットをかぶっていたことだった。現代の日本を訪れた欧米人が人影のまばらな街角で幼い子まで真っ白なマスクをして歩く光景を目の当たりにして受ける衝撃と似ているかもしれない。

私はまだ思春期とも言えない奥手の12歳であったが、真っ黒な学生服に真っ白なヘルメットをかぶって自転車で街ゆく自らの姿を想像して、あまりに格好悪く、とてもそんなまねはできないと恐れおののいた。遠い地に来てしまったとしみじみ感じたことを覚えている。

ところが中学に入って1ヶ月も経てば、友達と一緒にヘルメット姿で自転車を必死にこいで通学することに何の抵抗もなくなっていた。日々の環境や習慣は人間の感性を瞬く間に変えてしまうのだ。

ずいぶん昔の話を思い出してしまったのは、あの時と劣らぬほどの衝撃を受けるニュースに接したからである。毎日新聞の『自転車のヘルメット着用、23年4月から義務化 全利用者に対象拡大』である。

改正道路交通法の施行期日に関する政令が20日に閣議決定され、2023年4月1日から全ての自転車利用者にヘルメットの着用が義務づけられることが決まった。罰則のない努力義務となる。すでに13歳未満の子どもについては、保護者に着用させる努力義務が課せられているが、対象が拡大されることになる。

この政令が閣議決定されたからといって、毎朝子どもを自転車の後部座席に乗せて保育園を目がけてペダルを踏み込む母親や、夕刻にスーパーの大きな買い物袋をいくつも自転車のカゴに押し込んで家路を急ぐ母親が、ただちにマイヘルメットを購入して持ち歩くことはなかろう。「罰則のない努力義務」なのだから目くじらを立てることはないという意見もあるかもしれない。

しかし、である。私はこの閣議決定を看過できない。以下、理由を述べよう。

①警察の巨大利権となる

交通行政はそもそも警察の巨大利権である。運転免許証の更新や交通標識の設置などに投入される巨額予算は警察に群がる業者を潤わせ、警察官の天下り先を拡大させている。

自転車用ヘルメットの義務化も、実際に着用する人が少ないとしても、全国津々浦々に周知させるための広報費やヘルメット着用を普及させるための外郭団体の新設、さらには推奨ヘルメットの選定など、新しい利権を次々に生み出すであろう。その原資はすべて私たちの税金だ。

かつて日本政府で幅を利かせてきたのは財務省と外務省だった。ところが憲政史上最長となった安倍政権は財務省を遠ざけ、警察庁と経産省を重用した。とりわけ警察庁OBが安倍〜菅〜岸田の3政権10年にわたって官僚トップの官房副長官に君臨した結果、政権中枢で警察庁の影響力を強大化し、いまや財務省や外務省を圧倒している。経済対策や外交政策よりも国民を管理統制する治安対策が優先されるようになった。

その象徴が外交安保政策の司令塔である国家安全保障局である。

2014年に新設された官邸直属の部署で、外務省出身の谷内正太郎氏が初代局長に就任したが、安倍首相は警察庁出身で自らの首相秘書官を務めた北村滋氏を第2代局長に押し込み、同局内の重要ポストは警察庁出身者が占めるようになった。菅政権で外務省出身の秋葉剛男氏が局長に起用された後も警察庁の影響力は強く残る。

外務省関係者は「国家安全保障局の役割は、中国、台湾、北朝鮮など東アジア情勢を分析して外交安保政策を立案することなのだが、警察庁がポストや予算を握っている結果、国内治安対策やJアラートなど避難対策ばかりが重視されている」と嘆く。それほど警察庁の影響力は強まっている。

河野太郎デジタル相が強引に進めるマイナンバーカードと健康保険証の一体化(健康保険証の廃止)でも、当初は運転免許証の一体化方針もあわせて発表されたのだが、いつの間にか消えてなくなった。警察庁が強力に巻き返したからだ。

警察庁の権力は強大になった。自転車のヘルメット義務化を閣議決定する程度のことは、たやすいことだったろう。国民生活が困窮を深めるなかで、警察利権は着実に拡大しているのである。

②警察は管理統制が大好き。同調圧力の強い日本社会の風潮は侮れない

利権ばかりではない。警察という組織は国民を監視して統制することが大好きだ。国民を逮捕することのできるこの組織は「国家権力中の国家権力」といってよい。

警察権力の源泉は法令である。法律は国会が定め、政令は法律に基づいて閣議決定される。法令を根拠に警察はさまざまな権力を行使するのである。

自転車のヘルメット義務化に罰則はないとしても、法令によって義務化されたことは侮れない。警察官はノーヘルで自転車に乗っている人をみかけたら、ただそれだけで「努力義務違反」を口実に、堂々と職務質問することができるのだ。

車の影がまったくない住宅街にある赤信号の横断歩道、至る所にひかれた一時停止のライン…私たちの日々の生活はありとあらゆる「法令に基づくルール」に取り囲まれている。ふだんは問題にされないことも、警察官がその気になれば「法令違反」を理由に私たちの私生活に口出しできる。口出しするかしないかは警察官の一存で決まるのだ。自転車のヘルメット義務化は、警察官が国民の私生活に関与する「新たな武器」を与えたといってよい。

しかもコロナ対策で明らかになったように、日本社会は同調圧力が極めて強い。外出自粛も営業自粛もマスク着用も法令に基づく「禁止行為」でないにもかかわらず、マスコミは「禁止行為」のように報じ、ほとんどの国民は従ったのだ。いったんルールが設定されると、たとえ罰則がないとしても、何かの拍子に強力な同調圧力によって事実上の強制措置となる恐れは十分にある。

実際、自転車のヘルメット着用が義務化される来春以降、公務中の公務員や郵便局の配達員、電気・ガス会社の社員ら公的性格の強い仕事に携わる現場の人々から順に、ヘルメット着用の動きが急速に広がる可能性は捨てきれない。これらの組織のトップたちも、日常生活で自転車を乗り回すことなど無縁の上級国民だからだ。

これこそ、他人を管理統制して支配することを何よりも好む警察キャリア官僚たちが理想とする社会である。国民がそれぞれ自由奔放に、多様に、楽しく明るく伸び伸びと暮らす社会を、彼らは本質的に望んでいない。

警察権力が強大化する先に待っているのは、国民を監視して統制することが何より優先される警察国家である。

③国民生活とかけ離れた政策立案がまかり通ることに恐怖すら感じる

毎朝子どもを自転車の後部座席に乗せて保育園へ向かってペダルを踏み込む母親や、夕刻にスーパーから大きな買い物袋を自転車のカゴに入れて家路を急ぐ母親の日常生活を思い浮かべることなく、警察キャリア官僚たちが非日常的で非現実的な「自転車のヘルメット義務化」をクソ真面目に企画立案し、それが閣議決定に至ってしまった現実に、私は恐怖すら感じた。

警察キャリア官僚たちは若い頃から都道府県警の幹部として黒塗りの車で送迎され、日常生活で自転車に乗る必要など一切ない上級国民である。所詮はヘルメット着用義務など他人事なのだ。

警察庁に加えて、首相官邸や閣僚に常識的な生活感覚を持った人がいれば、「自転車のヘルメット義務化なんて、ありえませんよ」と一笑に付したのではないか。

国民生活とかけ離れた非常識なエリートたちで政権中枢が固められ、彼らの非日常的な感覚で政策が立案されていることは、笑い話では済まされない。なぜなら、そのような非日常性の先に、戦争が待っているからである。

一億総玉砕の本土決戦を掲げた先の大戦は、まさに日本中が狂気に包まれたものだった。常識的感覚さえ失わなければ、あの戦争に勝てるはずはないとすぐに気づくはずなのに、政権中枢のエリートが日常性を失い、国民全体にそれが及んで、日本は泥沼の戦争を遂行し、多くの人命を失ったのである。実に馬鹿げた戦争であった。

自転車のヘルメットを義務化するという、実に馬鹿げた政策がまかり通ってしまう現代日本の風潮は、極めて危ういとしかいいようがない。

全国各地の学校で児童・生徒を支配下に置くためだけの「信じられないほど人権を無視した校則」がしばしば指摘されるが、校則による統制管理がついに大人の世界にまで及んできたと私は感じている。日本社会はますます窮屈になり、個人の自由の尊重や多様性とは真逆へ向かっている。

時流はかなり怪しくなってきた。

私はせめてもの抵抗として来春以降、ノーヘルで自転車に乗る警察官を見かけたら片っ端から「道交法違反ですよ」と声をかける対抗策を思いついたのだが、自分の首を締めることになると思い直してやめた。「ヘルメットなんて、かぶってられませんよね。アッハッハ」と微笑みかけることにしよう。


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