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コロナ対策から「感染拡大防止」の旗を降ろし「ただの風邪」へーー政府のアナウンスなき政策転換がみえてきた

自公政権はコロナ対策の最優先目標から「感染拡大防止」を降ろすようである。

11月6日朝日新聞デジタル「宣言指標、新規感染数除外へ 病床の使用率、さらに重視」によると、政府の新型コロナ対策分科会は緊急事態宣言の適用の目安となる指標を大幅に見直し、新規感染者数の数値をなくす方向で検討している。その代わりに病床使用率など医療の逼迫状況を重視して緊急事態宣言の必要性を判断するという。

さらに同日朝日新聞デジタルの別の記事「入国制限、大幅緩和 ビジネス・留学・技能実習 8日から」によると、政府は海外ビジネス関係者や留学生らの新規入国基準を大幅に緩和するという。自宅などでの待機期間をワクチン接種済みなら14日間から3日間に大幅に短縮するそうだ。

これも「感染拡大防止」の旗を降ろす政策転換のひとつであろう。水際対策を緩めればウイルスは間違いなく侵入してくる。感染拡大は一定程度容認し、医療体制の強化によって重症者・死者を防ぐという「覚悟」がなければできない政策だ。

ワクチンは「重症化」を防ぐ効果はかなりあるが、「感染」を防ぐ効果は不十分だ。接種者の待機期間を短縮するのは入国者からの「感染拡大防止」よりも入国者の「重症化」を防ぐことで国内医療への負荷を減らすことを目的とした政策としか説明がつかない。

政府は一定の「感染拡大」を容認し、「重症化・死亡」を抑制する政策に明確なアナウンスなきまま転換しようとしているのだ。新型コロナを「ただの風邪」と認定する準備を着々と進めているといえる。

私はもともと「新規感染者数」を指標にすることに疑問を呈してきた。政府がPCR検査を大幅に抑制し、「本当の感染者数」を把握しようとしないなかで、見せかけの数字である「新規感染者数」に一喜一憂するのは極めて非論理的・非科学的と考えたからだ。

新型コロナ対策で最も重要なのは「早期発見・早期診断・早期治療」によって重症者・死者を減らすことだ。それが医療の基本中の基本である。日本政府はこのうち「早期発見」のためのPCR検査を意図的にサボタージュし、マスコミもそれに歩調をあわせてPCR検査不要論を流布したのだから、この国のコロナ対策は最初から間違った方向に走ってきた。

現場の医療が未知のコロナウイルスに対応するためにはそれなりの時間がかかる。コロナが得体のしれないウイルスであった一年半前は、まずは防衛を固めるという意味で、緊急事態宣言を出す意味はあっただろう。

国民の人権を大きく制約する緊急事態宣言は本来、治療法を開発し、病床や医療機器・医療スタッフといった医療提供体制を整備する時間を稼ぐための緊急措置である。それをダラダラ続けてきたのは、医療提供体制の整備をサボタージュする行政の不作為の結果である。

この国の政府は国民に緊急事態宣言で一方的に我慢を強い、営業補償などで莫大な税金をばらまく一方、行政の責務である医療提供体制の整備を怠ってきた。その結果、コロナ発生から一年半たっても病床や医療スタッフが不足し、医療崩壊を招いたのである。そして、数多くの命が失われた。

国民は何のために行動自粛してきたのか。医療提供体制を整備する時間を稼ぐためではなかったのか。

この一年半、日本政府は何をしてきたのか。これほど醜悪な「失政」は戦後日本でどれほどあっただろうか。

政府は「新規感染者数」に国民が注目するように世論を誘導してきた。それは本来の政府の責務である「医療提供体制の整備」の遅れから国民の目をそらすためだったと私はみている。

国民が新規感染者数の増減に一喜一憂している限り、国民の「人流抑制」や「行動変容」が最大の論点となり、パチンコ店や「夜の街」をはじめとして「行動自粛しない国民」を悪者に仕立て、医療提供体制の不備に対する政府批判を転嫁することができるのだ。

マスコミも政府と歩調をあわせ、医療提供体制の不備を追及することなく、ひたすら新規感染者数の増減ばかりを報じてきた。テレビ新聞のコロナ対策はまさに太平洋戦争の大本営発表そのものである。私は一連のコロナ報道によって、日本のテレビ新聞はジャーナリズムを語る資格を完全に失ったと思っている。

新規感染者数に世論の注目を集めてきた政府が、ここにきて医療逼迫状況に重心を移したのは、どういうことなのか。

想定ケース①は、医療提供体制がある程度整い、感染が再拡大しても重症化したり死亡したりすることを防ぐ自信がついたということだ。

コロナ治療法はほぼ確立し「医療環境さえ整っていれば命は救える」という医師が増えている。医療崩壊さえ起きないような十分な医療提供体制が整っていれば、感染が再拡大しても重症化や死亡を防ぐことができる。

コロナ発生から二年近くも月日を要したという「行政の怠慢」はさておき、本当に感染再拡大に対処できるほどの医療提供体制を整備したのなら、新規感染者数を指標から外すのはそれなりに合理的な判断といえる。すべての人が適切な治療を受け、重症化したり死亡したりしなければ「ただの風邪」として扱ってもよいだろう。

だが、これまで失態続きの政府がほんとうに十分な医療提供体制を整備したのか、私は個人的にはまったく信用していない。

もし十分な整備を終えたとしても、国民の多くは政府とマスコミの世論誘導のなかで「新規感染者数」こそ重要な指標と信じてきたわけだから、それを指標から外す以上、かなり丁寧に説明する責任が政府にはある。

岸田文雄首相は「丁寧な説明」を強調して自民党総裁選に勝った。なぜいま「新規感染者数」を指標から外すのか。その理由を国民に伝えることは、岸田首相の公約である「丁寧な説明」の最初の試金石となる。

想定ケース②は、実は医療提供体制は不十分のままなのに、経済界などの意向を受け「コロナは終わった」「ただの風邪だ」という空気を醸成するために、いわば見切り発車で「新規感染者数」を指標から外したというものだ。

これは最悪である。「ただの風邪」といえるか否かは、医療提供体制の充実度で決まるのだ。それが不十分のまま新規感染者が急増したら、医療崩壊が再来するだろう。再び重症者・死者が急増することになる。

このような事態が発生すれば、岸田政権の政治責任はとてつもなく重大なものになる。新規感染者数を指標から外すことが正式決定する前に、マスコミ各社は①感染拡大しても医療体制は十分なのか②もし医療崩壊が発生したら、政治責任をどうとるのかーーを岸田首相に厳しく追及しなければならない。

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