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「14歳と性交したら…」立憲民主党・本多議員の公認取り消しにみる「小選挙区制の宿命」

例えば50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしいーー。

立憲民主党は7月13日の常任幹事会で、刑法で性行為が一律禁止される年齢(性交同意年齢)を現行の「13歳未満」から引き上げることを議論する党の会議でそう発言した本多平直衆院議員(56)=比例北海道ブロック=を党員資格停止1年の処分とし、秋の総選挙でも公認しない方針を決めた。

枝野幸男代表は本多発言について「被害当事者を傷つける恐れを含んだもの。党の名誉及び信頼を傷つけ、厳しく対応せざるを得ない」と処分理由を説明したうえ、「ジェンダー平等の確立に期待する多くの皆さんの期待と信頼を損なった」と謝罪した。

本多氏は枝野氏の秘書出身である。枝野氏としては、性暴力の根絶を訴える「フラワーデモ」の主催者らから強い批判が相次いだことを踏まえ、秋の総選挙に向けて立憲民主党のイメージダウンを避けるためにも、枝野氏は身内に甘いという批判をかわすためにも、厳しく処分することにしたのだろう。

私は政治記者として20年ほど前から枝野氏の事務所に通っていたので、秘書時代の本多氏を知っている。政策づくりに没頭するタイプで、器用にたち振る舞うのは不得手にみえた。枝野氏に遠慮することなく直言する姿が印象に残っている。

報道によると、本多氏は「12歳と20歳代でも真剣な恋愛がある」「日本の性交同意年齢は他国に比べて低くない」とも発言したようだ。本多氏がそのような言葉を口にした背景を私はなんとなく想像できる。性被害にあった人々の痛みに心を振り向けるよりも、この問題をもっぱら法律論としてとらえ、論理的に思考したうえで、政策論としてあえて問題提起に踏み切ったのだろう。本多氏は世論の批判を受けて発言を撤回・謝罪したうえ「説明の機会をいただけることを期待している」とコメントしている。

私は本多氏の発言を擁護するつもりは毛頭ない。本人の真意がたとえ「個人の意思」を最大限尊重する立場からの政策論的な問題提起にあったとしても、未成年者の深刻な性被害(その多くは「同意」を口実にした性加害)が後を絶たない現実を踏まえると、政治家としてあまりに軽率な発言であり、多くの人々を傷つけた政治的責任は極めて重い。本多氏の政治家としての資質に決定的に欠けている部分があったように感じる。党としてケジメをつけるため何かしらかの対応は必要だと思う。

そのうえで、本多氏の「公認取り消し」について考えてみたい。

本多氏は秋の総選挙で北海道4区から立憲民主党の公認候補として出馬することが内定していた。前回総選挙でも同党公認で北海道4区から出馬して敗れ、比例復活している。選挙地盤が強固とはいえず、今回の総選挙で公認を得られなければ無所属で出馬することはかなりハードルが高い。

政党の公認を得られない以上、世襲政治家やタレントなどの著名人でない限り、無所属で総選挙に出馬して当選するのは極めて困難であるというのが、与野党が一議席を争う「小選挙区制・二大政党政治」の特徴だ。

そもそも小選挙区制の導入は、政治家個人や派閥の力を弱めて政党主導の政治を実現させることが目的であった。一方で、政治家は公認権を握る党執行部に頭があがらなくなりサラリーマン化するであろうという懸念は当初から指摘されてきた。自民党が「安倍一強」に染まったのも、小選挙区制で党執行部の力が圧倒的に強くなった結果である。

仮に本多氏が中選挙区時代の自民党議員であったと仮定しよう。今回の発言を受けて党の公認を取り消されたとしても、中選挙区であれば無所属で出馬した可能性がある。

中選挙区ならば「トップ当選」する必要はない。「失言」への反発はあるにしても、一定の強固な支持者を選挙区に抱えていれば、無所属でも当選ラインに食い込む可能性は十分にある。実際に中選挙区時代はスキャンダルで自民党を離党した政治家が無所属で当選した後、「みそぎをすませた」として復党することはしばしばあった。中選挙区制が「政党への忠誠心や依存心」よりも「選挙に自力で勝つ独立心」を政治家に植え付けたのは間違いない。

政党が個々の政治家の言動に責任を負う一方、政治家がサラリーマン化してモノトーンになりがちな小選挙区制。政治家が政党の管理統制に縛られず個性を発揮しやすい半面、スキャンダルを抱えていても選挙区の一部支持者さえ固めれば当選を重ねてしまう中選挙区制。それぞれに長所・短所がある。どちらを選ぶのかは主権者たる国民の選択だ。

私は政治記者として小選挙区制・二大政党政治を旗を振ってきたのだが、首相官邸に権力が集中して国会議員たちがこぞって追従する「安倍一強」政治を目の当たりにし、この政治改革はもしかしたら大失敗だったのではないかという迷いにここ数年陥っている。

今回の本多発言も小選挙区制を見つめ直す題材といえる。繰り返すが、私は本多発言を擁護するつもりは毛頭ない。一方で小選挙区制においては、今回のように世論の批判が高まれば、政党としては公認を取り消して批判を鎮静化させるという判断になり、本人は出馬の道を絶たれる。それ自体は政治家に対する責任の取らせ方のひとつであろう。

ただし政治家本人にとっては切実な問題だ。今回のような事例が起きるたびに、政治家たちは「守り」を固め、「党執行部へのすり寄り」「事なかれ主義」「サラリーマン化」を加速させ、政党は単一色に染まっていく。これは小選挙区制が抱える宿命だ。政治の躍動感はどんどん失われ、政治への関心がますます薄れ、この国の政治はいっそう停滞するのではないか。この点が気がかりである。