「進次郎が覚醒した」。
政界でもネットでも、この言葉が急に広がり始めた。先の総裁選で進次郎を叩き、高市早苗を全力応援していた保守派までもが、いまや手のひらを返したように絶賛している。
防衛大臣に就任した進次郎は、「進次郎構文が消えた」「ロジックが成立している」と持ち上げられ、まるで別人扱いだ。本当に彼は生まれ変わったのか。あの“セクシー発言”も“ポエム大臣”も、すべて過去の話になるのか。
この進次郎“覚醒”現象の正体は何なのか――今日はその核心に迫る。
■ 進次郎“覚醒”説の広がり
覚醒の号砲を鳴らしたのは、意外にも国民民主党の榛葉幹事長だ。国会審議で、進次郎が資料を見ずに防衛費増額を答弁した場面を評価し、「ちょっと覚醒した感がある」と記者会見で語った。これがネットで一気に火がついた。
さらに台湾有事をめぐる高市発言についても、進次郎は総理発言をなぞりながら淡々と反論。立憲民主党への切り返しも鮮やかで、高市支持層まで拍手喝采。
テレビでは杉村太蔵氏が「横須賀の政治家として防衛は本当に強い」と絶賛。ネットでは
「こんなの後世に残る答弁」
「進次郎が別人になった」
「リーダー次第でここまで変わるのか」
と賞賛が吹き荒れた。
保守派YouTuberの高橋洋一氏まで「覚醒している感じがする」と語り、従来の“ポエム型答弁”とは比較にならない論理性を指摘した。
こうして「進次郎覚醒説」は、保守派の“公式見解”のように扱われ始めた。
■ 保守派の評価が一転した理由
そもそも進次郎は、総裁選で二度にわたって敗れた。どちらも国会議員票は強かったが、党員票で惨敗した。理由は明確で、発言の軽さと世代的な未熟さが嫌われた。
そこに加えて、彼が選択的夫婦別姓や脱原発に理解を示し、リベラル寄りと見なされたことが、保守派の強烈な反発を招いた。週刊文春のステマ疑惑も致命傷だった。
つまり、
「進次郎=リベラル」「ネット民の敵」
というイメージが保守派の常識になっていた。
だが、防衛大臣という“保守派が最も重視するポジション”に就いた瞬間、評価は一変した。
彼の地元・横須賀は米軍基地を抱え、防衛・安全保障は最も“得意分野”だった。それが今回、ようやく政治の表舞台に現れた形だ。
■ 進次郎は「覚醒」したのか
私は、彼が覚醒したとは思わない。
進次郎は昔から、
「その時々の立場に求められる役割を、全力で演じる政治家」
だったからだ。
環境大臣の時は温暖化対策に答えようとしてレジ袋有料化に飛びつき、逆に批判を浴びた。
農水大臣の時は米価高騰への国民の不安に応えようとしてコメ増産を打ち上げ、逆に農家の反発を招いた。
昨年の総裁選では“改革派”を演じ、今年の総裁選では“挙党一致”を演じ、いずれも裏目に出た。
進次郎の政治人生は、
優等生ゆえの過剰適応 → 逆効果
というパターンの連続だ。
父・純一郎は“世論を創る天才”だったが、息子の進次郎は“世論が求める役割を演じる優等生”。
身振り手振りは父親譲りだが、似て非なる政治家なのだ。
防衛大臣という“最強の政治家像”が求められるポジションを与えられた今、進次郎はその役割をひたすら演じている。
それを保守派が喝采している――という構図にすぎない。
■ 将来の総理候補としての再浮上
とはいえ、今回の防衛大臣就任は進次郎にとって大きな転機だ。
最大の敵だった保守派を味方にし、政治的信用を取り戻す絶好の機会になった。
すぐに総裁候補とはいかないが、防衛・外務・財務を順に経験すれば、再び“本命候補”として浮上するだろう。
派手さは父に及ばないが、どのポジションでも注目を集めるカリスマ性は群を抜く。
問題は、
「中身の空洞性」をどう埋めるか。
信条の弱さは強みでもあり、弱点でもある。
だからこそ、今後の“演じ方”が日本の外交・安全保障を左右する可能性もある。
折しも日中が対立し、東アジアの安全保障環境が緊迫するなかで、防衛大臣に就任したのが、期待に応えることに徹する進次郎だった。
進次郎が防衛大臣を演じ切ることが、国家にとって吉と出るか凶と出るか。
進次郎の動向から目が離せない。