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安倍氏は天皇じゃない!権威と権力の峻別をあいまいにする「国葬」の危うさを今日こそ噛み締めよう!

国民の多数が反対して内閣支持率が続落するなかで、岸田政権が強行する「安倍晋三元首相の国葬」の日がいよいよやってきた。9月27日、東京・千代田区の日本武道館で国内外の約4300人が参列する予定だ。

NHKは26日夜、『【随時更新】安倍元首相 「国葬」に伴う「弔問外交」始まる』との記事をウェブで流し始めた。毎度のことながら、現政権が躍起になる国家イベントをひたすら盛り上げる報道ぶりに呆れるほかない。東京五輪や内閣改造と同じである。

岸田文雄首相は当初、法的根拠のない国葬ではなく、内閣・自民党合同葬とするつもりだったが、自民党のキングメーカーである麻生太郎副総裁に「これは理屈じゃねんだよ」と凄まれ、国葬実施を決断させられた。

国民世論は猛反発し、内閣支持率は一部世論調査で3割を切り、岸田政権は昨秋の衆院選と今夏の参院選で圧勝した勢いはすでになく、求心力をすっかり失った。電撃的に国葬撤回を表明する「英断」に踏み切ることもできず、岸田政権はジリ貧の様相を深めている。

国民の失望感は深く、完全に見限られた格好で、2024年の自民党総裁再選に向けて、内閣支持率を回復することも、解散・総選挙に打って出て政権基盤を固めることも困難だろう。

自民党内でも「岸田政権はジリ貧」「長くても24年総裁選で勇退」との見方が広がっている。国内外に課題が山積しているのに求心力を失った首相のもとで「何も決められない政治」がダラダラ続くという最悪の展開となりそうだ。日本、ピンチであるーーNHKをはじめ、マスコミ各社にはこのような政治報道を望みたいものだ。

マスコミが報じない「安倍国葬」の実像はたくさんある。戦後日本の統治システムの根幹をなしてきた「権威=天皇」と「権力=首相」の峻別があいまいになったことも忘れてはならない。

国民の多数が安倍国葬に反対する理由としては①法的根拠も国会の関与もなく実施を決めたこと②政治家を神格化して独裁政治につながる恐れがあること③国民に弔意を強要すること④解釈改憲を断行し、格差を拡大させ、虚偽答弁や公文書改竄を重ねた安倍政権への評価が割れていること⑤安倍氏が自民党と旧統一教会の歪んだ関係を広げた張本人であることーーなどが指摘されている。

そのうえに見逃せないと考えていることが私にはある。「国葬」というものは本来、国民の連帯感を高める目的で行うものなのに、国論が二分するなかで「国葬」を行うのはその目的に反するという視点だ。

しかも安倍氏の政治手法は敵と味方を峻別し、社会の対立を煽って自らの岩盤支持層を固めるという「分断政治」そのものだった。米国のトランプ氏と瓜二つである。そのような政治指導者は「国民の連帯感を高めるための国葬」にもっともふさわしくない存在だ。

政治は権力闘争と密接不可分である。私は敵と味方を峻別して支持基盤を固める政治手法を好まないが、政治闘争の手段としてそれを全否定するつもりはない。だからこそ、政治闘争に明け暮れる政治家を「国家の権威」として「国葬」することには、絶対反対である。どんな政治家も国葬にするべきではないし、まして「分断政治」で長期政権を維持した安倍氏の国葬は絶対にしてはならないと考えている。

その意味で、今の日本国憲法のもとで「国葬」にする対象となりうるのは、憲法1条で「日本国民統合の象徴」と明記されている天皇だけであろう。最高権力者たる首相の経験者を「国葬」にすることは、天皇が有する権威への挑戦とみるほかない。

歴代最長政権に君臨した安倍氏の国葬は「政治権力」が「天皇」と並んで「国家の権威」も手にすることを目論む危険な動きである。権力と権威が一体化して独裁政治に発展して戦争に突入したーーそうした戦前の反省から戦後日本は権力と権威を峻別してきたのだ。

私たちは今こそ「安倍さんは天皇じゃない」と叫び、この国葬に断固抗議する時である。

以上の見解をNetIB-News「鮫島タイムス別館」に二回に分けて寄稿したところ、とても好評でした。国葬が行われるまさにその日に読んでいただけると幸いです。

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