岸田文雄首相が12月11日、東京・赤坂の衆院議員宿舎から首相公邸に生活の拠点を移した。首相が公邸で暮らすのは民主党政権の野田佳彦氏以来9年ぶりだ。
現在の公邸は2005年に新官邸が建設された後、旧官邸を公邸に改装したもの。旧官邸は1929年に建設され、犬養毅首相らが暗殺された5・15事件や2・26事件の舞台となった。このため、軍服姿の幽霊が出るといううわさが語られたこともある。小泉純一郎氏以降の歴代首相が入居してきたが、安倍晋三氏と菅義偉氏は公邸に入居するのを嫌って通勤を続けた。
私が1999年春に朝日新聞政治部に着任し、小渕恵三首相に番記者として張り付いた時は、旧官邸だった。当時の官邸は首相執務室のドアの前まで記者が近づくことができ、政局が緊迫するときには首相執務室から怒鳴り合うような声が聞こえることもあった。首相執務室のフロアに立ち入ることができない現在の官邸と比べ、政治家たちの息遣いが間近に伝わるという意味で、旧官邸は政治記者にとって魅力的な取材の舞台であった。
旧官邸が公邸として改装され、現職首相が暮らすようになると、政治記者は特別な取材の場合を除いて公邸に入ることができなくなった。歴代首相は公邸に有力政治家を招いて会談し、それが重要な政治決断の場面となることもあった。このため、首相番記者は公邸の出入り口で訪問者を見張り、「首相動静」をつくることが重要な仕事の一つであった。政局が緊迫した時には公邸の正面玄関ばかりでなく、各社番記者が裏口なども手分けして見張るのである。
逆に言えば、政治家や官僚(ときに記者)が現職首相と極秘で会うには、首相番記者の目をくぐり抜けなければならない。私が取材した政治家や官僚によると、首相の家族の車に同乗して公邸入りしたり、官邸職員に紛れて潜り込んだり、あの手この手を使って現役首相と「密談」したという話をいくつか聞いた。
私も公邸に入ったことがある。もちろん現役首相を非公式に取材するためだ。おそらく公式取材とは別に公邸(とくに生活スペース)に入ったことのある政治記者はかなり限られるのではないか。
そのときの印象を言えば、官邸として使用されていた当時と比べ、公邸として使用されるようになったその建物はずいぶんと風通しが悪くなったように感じた。「家人」に聞くと、防犯上の理由で窓は原則として開閉できず、室内は広いのだが、やはりどこか息苦しさを感じるという。
安倍氏や菅氏が公邸を敬遠した理由は、「幽霊」よりも実は「風通しの悪さ」にあるのかもしれない。
もうひとつ感じたのは、外部の音がまったく聞こえないことだ。これも「風通しの悪さ」と関係しているだろう。夜の公邸前デモの声は公邸にいる現職首相には届かないと思った。安倍氏の祖父・岸信介首相が安保闘争のデモに取り囲まれて退陣を決意した時代は今は昔なのかもしれない。
余談を重ねてしまったが、きょうの本題は岸田首相がなぜ公邸入りしたかである。
公邸入りを避けた安倍氏や菅氏に対する批判としてあげられるのは「危機管理」の視点だった。現役首相は他国からの攻撃や原発事故、大災害などの「危機」が生じた場合、ただちに指揮采配をふるわなければならない。わずかの初動の遅れが多くの人命を失う事態に発展する恐れがあるからだ。これは一理ある。
一方、安倍氏や菅氏を擁護する意見としては、最高指導者が住まいのストレスで心身の調子がおかしくなるのは避けなければならない。危機管理などで多少のリスクはあるにせよ、首相の心身を健全に保つことこそ優先すべきであり、無理をして公邸入りをするべきではないというものである。こちらも一理あろう。
私の取材では、歴代首相たちは自らが快適に暮らすため、お風呂場を改装したり(風呂にテレビをつけた首相もいる)、寝室を改装したり、さまざまなことをしている。そのようなことに税金を投入する是非もあろうが、首相の心身の健全さを維持するためのコストはある程度はやむを得ないと思う(それよりは首相としてやるべき仕事をきちんとしてもらいたい)。
そこで、岸田首相に話を戻そう。岸田首相は公邸暮らしにそこまでストレスを感じないタチなのであろう。ただし公邸入りのいちばんの動機は、やはり安倍氏や菅氏の路線からの転換をアピールすることに違いない。
岸田氏は一年前の自民党総裁選で菅氏に敗れて干された。今年の総裁選で菅氏は河野太郎氏を支持し、今度は岸田氏が菅氏を干した。菅路線からの転換はおおいに強調したいことだろう。
安倍氏は総裁選で高市早苗氏を推したが、決選投票では麻生氏に同調して岸田氏を支持した。しかし、岸田氏は首相就任後、安倍氏の求める人事を受け入れず、麻生氏の意向を最優先にしていることはSAMEJIMA TIMESでも繰り返し伝えてきたところである。公邸入りにも「安倍路線からの転換」をアピールする狙いがあるのだろう。
そのような政治的アピールはあっていい。ただし、岸田首相にもう一歩踏み込んでほしいことがある。
私は岸田氏が会長を務める老舗派閥・宏池会をかつて担当した。大平正芳氏や宮沢喜一氏ら歴代首相は保守本流の政治を標榜し、清和会(安倍派)のタカ派路線を退け、戦後日本のハト派路線を主導してきた。その保守本流の肝となる政治思想に「政権を預かる」という考え方がある。
だれもが政治家となってやりたいことがある。まして最高権力者の首相になれば「これをやりたい」ということがあろう。清和会の小泉純一郎氏は「郵政民営化」だったし、安倍晋三氏は「憲法改正」なのかもしれない。
しかし保守本流の政治はそう考えない。それぞれの政治家が首相になって自らがやりたいことに固執すれば、政権の継続性が保たれなくなる。首相としてなすべきは、自らがやりたい政策ではなく、いま必要とされる政策なのだ。自らの理想を実現させるのが権力者の役目なのではなく、いま起きている不都合な問題を解決することが権力者の役目なのだーーそう考えるのである。
岸田首相は宏池会に長く身を置き、派閥会長にまでなった。そのような宏池会の政治思想は熟知しているだろう。安倍氏が率いる清和会とはまるで違うのだ。
実際、岸田首相からは「これだけは実現させたい」という思いは伝わってこない。宏池会の伝統として、それは決して悪くはないことだ。逆にいま起きている「不都合な問題」とは、コロナ禍において拡大するばかりの貧富の格差である。その解消に全力をあげることこそ、保守本流の政治であろう。
その時々の首相がそれぞれの時代が直面する政治課題の解決に全力を上げ、次へバトンタッチしていく。これを政権の継続性というのだと思う。それは与野党が入れ替わる政権交代時にも必要なことであろう。
岸田首相は政局的にも宏池会のナンバー2である林芳正外相へ、宏池会会長も、そして首相の座も受け継ぐことを念頭に置いていると、宏池会関係者は口をそろえる。この「権力を預かり」そして「受け継ぐ」という発想こそ宏池会の伝統的な政治思想であり、敵対勢力をつくって求心力を高め、後継者を育てずに君臨し続ける清和会的な政治手法(現在の自民党はこの手法に覆われている)とはまるで違うものだ。
歴代首相が暮らした公邸に居を移し、そこで毎朝起きて、毎夜寝る。首相を辞任すれば公邸を去り、次の首相へ明け渡す。歴代首相が続けてきた「公邸のバトンタッチ」は安倍・菅政権で途絶えた。久しぶりに公邸入りした岸田首相が「政権を受け継ぐ」という政治文化を取り戻すことを願ってやまない。