共産党が党首公選を党外で訴えた党員を除名したことを批判する朝日新聞の社説について、志位和夫委員長が記者会見で猛烈な口調で反論した。ざっと以下のような言葉を並べ立てている(こちら参照)。
・朝日の社説、あまりに不見識だ。
・彼(除名された党員)を善意の改革者であるかのように持ち上げている。
・共産党の自主自立的な決定に対する外部からの攻撃だ。
・朝日は(以前の)社説でも「共産党の体質は異論を許さない体質だ」というようなことを書いていた。まさに党の自主自立的な運営に対する乱暴な介入であり、干渉であり、攻撃だと私たちは断じざるを得ない。
・はっきり言えば朝日に指図されるいわれはない。指図する権利もない。
・朝日の皆さん、赤旗の論説に反論があるならどうぞと言いたい。その時、私たちは徹底的に再反論する。
・悪意で党を攻撃する者に対しては、私は断固として反撃する。(朝日社説は悪意か?)そうだ。そう思っている。
朝日社説を「悪意による外部からの攻撃」と断じ、「朝日に指図されるいわれはない」と言い切り、「私は断固として反撃する」と“宣戦布告”したのだから、怒り心頭なのだろう。記者会見途中で「朝日」を「産経」と言い間違えて謝り、それから再び「朝日攻撃」をまくし立てたくらいだから、怒りが収まらぬ様子が伝わってくる。
鮫島タイムスで指摘してきたとおり、朝日新聞社も「社員が社外で朝日批判を発信すること」に監視の目を光らせて「抑圧」している。私自身も現役社員時代にツイッターへ朝日新聞の紙面批判を投稿したところ、当時の中村史郎編集局長(現在は社長!)の指示を受けた複数の編集局幹部から密室に何度も呼び出されて激しい口調で注意・警告され(共産党用語では「査問」と呼ばれるのだろう)、従わなければ社内のガイドライン違反で処分すると迫られた実体験がある(拙著『朝日新聞政治部』で詳報。私は弁護士に相談することもなくたったひとりで「言論の自由」を唱えて反論し、数ヶ月にわたる徹底抗戦を経て注意・警告を撤回させ、謝罪させた。そこまで「言論の自由」を掲げて戦うには会社全体を敵に回して四面楚歌になってもかまわないという覚悟がないと無理だ)。私が退社した2021年以降、記者の社外発信に対する管理統制はますます強まっている。朝日社説は自分の社内の言論弾圧を棚に上げて「どの口が言うのか?」というのが私の個人的な感想である。
というわけで、朝日新聞の肩を持つ気は毛頭ないが、それでも共産党の処分は手痛い政治的失策だと思っている。今回の問題についての見解は以下の記事ですでに示した。
今の朝日新聞にそっくり!?共産党は党首公選を主張した党員を処分して「党員の言論の自由」を否定した〜若者離れ、党勢後退、野党共闘の崩壊が加速する
朝日社説は「悪意の攻撃」ではなく、共産党がこのような内向きの党運営を続けていたら党勢はますます縮小するということを指摘した「まっとうな政治論評」と受け止めるのが一般的だろう。
それに対して、志位委員長がここまで拳を振り上げてしまうともう後戻りはできない。党首自らこれほど過激な言葉を連ねて批判してしまうと、幹部党員たちは激しく同調したとしても、末端の党員や、党員でなくても共産党の活動に参加したり選挙で投票したりしている一般市民の多くは、近寄りがたい違和感を抱くに違いない。
共産党は国政政党で得票を減らし続けている。今春の統一地方選でも志位氏の強硬姿勢は「共産党離れ」としてマイナスに働く可能性が高い。
この政治状況を客観的に解説するならば「志位委員長は党内で執行部批判が高まる前に「外部からの攻撃」に対する「反撃」を強め、組織内の引き締めを図った。それほど志位委員長ら党執行部は追い詰められている。党勢拡大よりも党内秩序の維持を優先するしかなかった」というところだろう。
党首公選を否定し、党員が党外で党批判することを禁じる民主集中制に守られ、志位委員長は20年以上にわたってトップに君臨してきた。この間、国政選挙で得票や議席を大きく減らしても、立憲民主党に野党共闘の梯子を外されても、米国が裏で操る対露戦争に国民を総動員するゼレンスキー大統領を絶賛しても、党内から異論が噴出して突き上げられることなく、党を率いてきたのである。その志位氏に党首公選を導入し、民主集中制と決別することを期待しても無駄だ。
私は田村智子氏や山添拓氏ら次世代へバトンタッチする時こそ、共産党が党首公選を導入し民主集中制を廃止して大きく生まれ変わるチャンスであり、それができれば立憲民主党が凋落するなかで共産党が野党の中心的存在として再浮上する可能性が十分にあると主張してきた(以下の記事参照。党員ではない私が処分対象にならないのは当然だが、共産党の論理からするとこの記事もまた「外部からの悪意の攻撃」とみなされるのだろうか)。
共産党の次世代は執行部批判を封じる「民主集中制」と決別して「党首公選制」に踏み切ろう!その先に新生共産党があるはずだ
頑なな志位委員長の姿勢以上に残念だったのが、党外人気も高い田村智子・政策委員長まで記者会見で志位委員長の見解を丸ごと踏襲し、朝日新聞に続いて同趣旨の社説を掲げた毎日新聞を「攻撃」したことだった(こちら参照)。主な発言は以下のとおりである。
・党員としての立場もないのが明らかな人が、「私は党員である」ということを売りにして、党の外で騒ぎ立てるということは、まさに党に対する攻撃と攪乱以外のなにものでもないと率直に感じた。怒りさえ覚えた。
・毎日新聞にも、憲法上の結社の自由という立場に立ったときに、この社説はあまりにも見識を欠いたものではないのかということは率直に申し上げたい。
田村氏もここまで拳を振り上げた以上、彼女が主導して党首公選を導入し、民主集中制を見直すことは難しくなった。政策委員長という執行部の一員として記者会見で問われれば、志位氏に同調するしかなかったのかもしれないが、結果として後戻りできなくなったのは痛い。もう少し巧みに質問をかわすことはできなかったのか。
共産党はこの数年にわたってせっかく育ててきた「エース議員」「次期委員長の有力カード」を志位体制維持のために無駄に使い果たしてしまった感がする。何があろうと対外発信ではトップに追従するしかない民主集中制の欠点が露骨に出た格好だ。共産党にとって想像以上の大打撃となろう。
ツイッターでは共産党を毛嫌いする右派よりも、野党共闘を支持してきたリベラル派から除名処分や志位氏の強硬姿勢に対する苦言が相次いでいる。それに対してコアな共産党員とみられる人々から罵声を含む反論が殺到している現状をみると、共産党の孤立化が一気に加速するのは間違いないと思えてくる。
残るカードは次世代のホープ、山添氏だ。国会でもテレビ出演でも切れ味鋭い発言を重ね、私は大いに期待している。山添氏は現在のところツイッターでもこの問題について言及していないようだ。志位氏にあえて真正面から反論する必要はないが、田村氏に続いて激しく同調することは避けたほうがよい。
山添カードを失うと、共産党はますます展望を失う。貴重なカードは大切に温存しなければならない。したたかな党運営とはそういうもの。これは私から共産党への「善意」の提言である。