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マスコミは善悪二元論ではなくウクライナ戦争の即時停戦を目指して「ロシアの事情」と「米国の思惑」をもっと報じよう!さもなくば多極化が進む時代を生き抜けない

大日本帝国が太平洋戦争で「鬼畜米英」という言葉を流布して敵国の内実を知らせぬまま国民を総動員したのに対し、米国は「汝の敵、日本を知れ」という映画を制作して国民に日本の姿を伝えようとしたことは有名な話である。当時の米政権の狙いが米国民の危機感を煽って好戦機運を高めることにあったにせよ、少なくとも敵国の実像や思考回路を徹底的に研究して国民に周知しようとしたとはいえるだろう。

翻って現代のウクライナ戦争に際し、日本の政府やマスコミは「ロシア=悪、ウクライナ=正義」という善悪二元論に染まり、国内世論はそれに呼応し、「ロシアからみたウクライナ戦争」を客観的に解説するだけで「ロシアの味方をするのか!」「先に侵攻したロシアが悪いに決まっているだろ!」と左右双方から批判が殺到する始末である。

与野党は国内世論に迎合し、「ウクライナと共にある」と宣言する国会決議をれいわ新選組をのぞく全会一致で採択。国民総動員令を発して戦争を遂行しているゼレンスキー大統領の国会演説を実現してウクライナへの加担を強め、ロシアを敵視する一方だ。「鬼畜米英」の大号令が吹き荒れた大日本帝国の全体主義が80年ぶりに再来してきたかのようである。

この国は政界も学界もマスコミ界も事態を冷静に俯瞰することがとても苦手のようだ。

ロシアがウクライナに侵攻したのは国際法に違反し、非難に値する暴挙である。しかし「悪いのはロシアだ。ロシアを非難すべきだ」といくら声高に叫んだところで、戦争に巻き込まれるウクライナの人々は救えない。

米軍が一瞬にしてロシア軍を壊滅できればいい。だがロシアは核兵器を保有しており第三次世界大戦に発展する危険があり、それができないのだ。国連軍がロシア軍を制御できればいい。しかしロシアは安保理常任理事国として拒否権を持ち、国連は動けない。

今の国際社会の仕組みではロシア軍の撤退を軍事的に実現することは不可能なのだ。ならば外交的解決を目指すしかないのではないか。

いま何よりも重要なのは、即時停戦を実現し、ウクライナの人々の命を守ることである。即時停戦を実現させるための外交努力である。そして停戦が実現するまで避難民の受け入れなどの人道支援に全力を尽くすことである。

即時停戦を実現するにはロシアとウクライナ(その後方支援を続ける欧米を含む)の双方が合意しなければならない。どちらか一方を軍事支援することは、自国民を戦争に巻き込むリスクを高めるだけでなく、停戦の仲介役としての立場を放棄することになろう。

欧米vsロシアの主戦場と化したウクライナからは地理的に遠く、NATOに加盟していない先進国である日本は、双方を仲介する絶好の立場にあった。ところが日本政府は欧米に追従して「ロシア=悪、ウクライナ=正義」の善悪二元論に陥り、ウクライナ政府に防衛装備品を支援して軍事的に肩入れした。自ら仲介役を担うことを放棄した。プーチン大統領からは日本も欧米とともに「宣戦布告」したとして「敵国」認定されてしまった。残念だ。

ロシアは中国との連携を強め、欧米に対抗していく可能性が高い。インドも欧米とは一線を画している。イスラム世界も欧米には冷ややかだ。欧米だけを「国際社会」と思うと見誤る。第三世界は台頭し、世界人口では欧米はもはや少数派だ。

欧米の価値観を押し付けるだけではもはや世界はまとまらない。非欧米国で一足早く先進国入りした日本は橋渡し役に適した立ち位置にいるはずである。

世界は冷戦時代のように二分されていくのか。それは米中の狭間にある日本の国益に反する。欧米の視点だけでウクライナ戦争を見るのは危険だ。

まずは欧米とロシアの双方の立場を理解すること。とくに「敵国」であるロシアの事情を理解すること。そのうえで世界の二分化を避けるための外交努力を続けること。日本のとるべき道はそれしかない。

ロシアの歴史を振り返ると、それは西欧から侵略された歴史だった。19世紀にはフランスのナポレオンに侵略され、20世紀には第一次大戦、第二次大戦でともにドイツに侵略された。まずは現在のウクライナの首都キエフが陥落し、モスクワに進軍されたのである。特にナチス・ドイツとの戦いでロシアは、日本の太平洋戦争の死者300万人とは桁違いの国民の命を失った。キエフはモスクワの安全保障の生命線なのだ。

逆にロシアがロンドンやパリに進軍したことはない。欧州は旧ソ連が東欧諸国を支配下に置いたことで「ロシアの軍事的脅威」に怯えるが、ロシアは「西欧の軍事的脅威」に怯えてきたのである。

米国とロシア(旧ソ連)が東西冷戦崩壊の際にNATOの東方拡大をしないと約束したか否かは見解が分かれる。米国は口約束したものの合意文書は締結していないのが真相のようだ。

その評価はともかく、NATOが東欧に拡大してロシア国境に迫ることはロシア国内の恐怖心を極度に高めることを欧米は熟知していたのは間違いない。1990年代に米国のクリントン政権がNATOの東方拡大を推し進めた時に米国内からも「ロシアを刺激してロシアの民主化を逆行させ、かえって欧州の軍事的緊張を高める」という慎重論が出ていたのは事実である。そしてその危惧が現実になったのが今回のウクライナ戦争だった。

米国はなぜNATOを東方拡大させたのか。ここを掘り下げないと、ロシアとの対話は前に進まない。

東欧諸国には自国の安全保障を追求する権利があり、NATOに加盟する自由があるというのはその通りである。冷戦下の旧ソ連の軍事的脅威にさらされた東欧諸国の危機感は尊重されるべきだ。

しかし、東欧諸国を守るためのNATO加盟はロシアの軍事的危機感を高め、最後の砦であるウクライナのNATO加盟だけは断固阻止するという決意を固めさせた。それでも米国はウクライナの国内政局に水面化で介入し、2014年には親ロシア政権が倒れ、親欧米政権が誕生したのである。ロシアの危機感は頂点に達し、クリミア半島に軍事侵攻して併合したのだった。

この先、欧米vsロシアの対立は緊張を増し、欧米はウクライナへの武器支援を増大させる。ゼレンスキー政権がNATO加盟にむけて進んだところでついにロシアが軍事侵攻したのだ。

ロシアの軍事侵攻は暴挙である。しかし米国がロシア包囲網を強めればロシアが軍事侵攻に踏み切ることは十分に想定できた。実際に米国内からもその懸念は上がっていた。

欧米は東欧諸国のNATO加盟とは別の方法で東欧諸国の安全保障を担保すべきだった。それはNATOを消滅させ、ロシアも東欧も含む新しい安全保障の枠組みを創設することであったろう。それが実現していたなら、東欧は今よりもずっと安定していたに違いない。

それでも米国はNATOの東方拡大を進め、さらにはウクライナの国内政局に介入して武器を支援し続けたのである。ロシアを仮想敵国とし、徹底的に仲間外れにしたのである。そこからは米国がロシアを挑発した構図がみえてくる。米国はウクライナをめぐってロシアと緊張緩和を目指すよりも軍事的緊張を高める外交戦略を進めたのだ。

その結果、ロシアは暴発した。ウクライナは「欧米vsロシア」の主戦場と化し、大量の避難民が東欧諸国になだれ込んだ。

東欧諸国はNATOの軍事同盟に守られてすぐには戦場とならないだろう。しかし大量の避難民は次第に東欧諸国に混乱をもたらし、国内で高まりつつあるナショナリズムや排外主義をさらに刺激し、国家の内側から民主主義の健全性を蝕み、ひいては東欧の国際的緊張を高めることになろう。

東欧諸国のNATO加盟はかえって国家の安全保障を脅かす事態を招くという皮肉な結末を迎える可能性が出てきたのである。

NATOの東方拡大はロシアにとっても東欧諸国にとっても良い結果を生まなかった。政治は結果がすべてだ。ウクライナ戦争が示すものは、冷戦崩壊後の東欧をめぐる国際外交は失敗に終わったということである。

それではなぜ、米国はロシアとの軍事的緊張を進めたのか。その理由はズバリ、NATOを存続させるためだ。

NATOはソ連に対抗する軍事同盟として結成された。東西冷戦が終結して仮想敵国を失った時、NATOは存在理由を根本から問われたのである。

NATOが消滅して困るのはNATOに注ぎ込まれた巨額の予算で潤ってきた米軍や軍需産業だった。彼らにとっては「平和=不況」「平和=失業」なのである。「軍事利権」こそ、米国がNATOの東方拡大を進め、ロシアとの軍事的緊張を高めた最大の要因である。彼らは仮想敵国が消滅したら困るのだ。

ロシア軍がウクライナに侵攻し、欧米がウクライナを盾にしてロシア軍を食い止めるため大量の武器を支援していることで、いちばん潤っているのは米国の軍需産業である。ウクライナ国内には大量の兵器が流入し、仮にロシア軍が撤退したとしても、アフガニスタンやシリアと同様、泥沼化した内戦が続く恐れは極めて高い。そのような内戦が続く限り、米国の軍需産業はいつまでも潤うのだ。

ウクライナをはじめ米国が関与する世界各地の紛争で現地の人々は軍需産業の食い物にされているとしか私には思えない。軍需産業からはビジネスパートナーである紛争当事者の為政者たちへ様々な形で資金が渡っているだろう。その為政者が愛国心を煽って国民を合法的に総動員して戦争を遂行するのである。犠牲になるのは戦争に駆り出される一般民衆たちだ。

この悪循環を食い止めるには即時停戦をめざす外交努力を尽くすほかない。

残念なことに、外交・安全保障に詳しいとしてマスコミに登場する専門家や記者のほとんどは、米国に留学し、その際に培ったか細い人脈を頼りに米国務省や米国防総省、政府寄りのシンクタンク等から情報を収集し、米国の国益を代弁しているようにしか思えない。外交官も同様だ。米国の代弁をすることが外交・安全保障に詳しいことの証明になっているという情けない現実がある。

米国一強の時代はそれでもよかった。しかし、米国はアフガニスタンとの戦争に敗れて撤退し、ロシアのウクライナ侵攻も止められなかったのである。世界は多極化している。もっと世界を俯瞰してしたたかに立ち回らないと日本は米国からもいずれ切り捨てられるだろう。

米国主要メディアにも米政権のプロパガンダに乗せられた報道が多いが、米国の外交安全保障政策を厳しく監視し、ロシアの事情を読み解く報道も少なくない。米国ジャーナリズムの底力だ。日本は外交もアカデミックもジャーナリズムもなぜかくも米国一辺倒なのだろう。まさに思考停止だ。これでは多極化が進む21世紀を生き抜けない。

ゼレンスキー国会演説を前に今こそ日本国憲法を読み返し、権力者を縛る「立憲主義」の原点に立ち返ろう!

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