菅義偉首相は8月2日の関係閣僚会議で、コロナウイルスの重症患者や重症化リスクの高い人以外は「自宅療養」を基本とする方針を表明した。「患者を受け入れる病床数が足りない」という現状を追認し、コロナ患者はできる限り入院(または宿泊療養)で隔離しうえで早期治療するという大原則を放棄したものだ。国家が「医療崩壊」をついに認めて「入院拒否」を公式に宣言したのである。
これまでも「重症」の定義はあいまいだった。菅首相の「方針転換」を受けて、今後は「重症とはいえない」として入院を拒否されるケースが続出するであろう。感染拡大防止を最優先して感染者を隔離するというコロナ対策の根幹が崩れることにもなる。
国民の安全・安心を最優先にして「早期隔離・早期治療」を標榜してきた菅政権のコロナ対策は完全に瓦解し、コロナをインフルエンザ同様の「ただの風邪」として受け入れる方向へ舵を切ったといっていい。これは菅政権が掲げてきたコロナ対策が大失敗に終わったことを意味しており、この国におけるコロナ対策の大きな転換点である。菅政権はその政治責任をあいまいにしたまま、極めて重大な政策転換に踏み切ったのだ。
私は昨日の当欄で、諸外国は医療崩壊を防ぐためにコロナ専用の臨時巨大病院を開設して病床数そのものを大幅に増やす措置を実行しているのに、日本の当局からは臨時巨大病院を開設して必要な病床数を確保する提案がまったくなされないことに疑問を呈した。臨時巨大病院を開設しても医療・看護スタッフが集まらないと指摘する人もいるが、東京五輪に加えて全国津々浦々でワクチン接種を進めるため破格の高給で医師や看護師をかき集めている現状からして、国家が本気になれば、医療崩壊が進む首都圏に臨時巨大病院を開設してスタッフを確保することはそれほど困難ではなかろう。要はやる気がないのだ。
上級国民たちが医療崩壊の危機を叫ぶばかりでコロナ専用の臨時巨大病院をつくらない本当の理由
菅政権は必要な病床数を確保する努力を怠る一方、国民には緊急事態宣言を出して「自粛」と「行動変容」を要求してきたのである。「患者を治療する医療リソース=供給量」を確保する国家の責務を放棄しながら、国民の自由を制限して「治療が必要な患者の数=需要量」を抑え込むことばかりに力を入れてきたのだった。これほど無責任な政治はない。
テレビや新聞も、菅政権に対して「患者を治療する医療リソース=供給量」の確保を迫るのではなく、国民に対して「治療が必要な患者の数=需要量」を減らすため自粛や行動変容を求める報道を重ねてきた。ジャーナリズムの大原則である「権力監視」の役割を放棄するばかりか、国家権力と一体化して国民にただひたすら我慢を呼びかけてきたのである(先の大戦で国家権力に加担した新聞の姿と瓜二つであることに驚くほかない)。
ついに「患者を治療する医療リソース=供給量」が圧倒的に不足する医療崩壊に陥り、もはや現状を追認してギブアップし「入院拒否」を宣言するしかないと判断したのが、今回の菅首相の「重症以外は自宅療養」発言の真意だ。
これは「国民の安全・安心」と「感染拡大防止」を第一として「早期隔離・早期治療」を掲げてきた菅首相の政策目標が失敗に終わったと認めたに等しい。本来ならば「政策の大失敗」の責任をとって即刻退陣すべき話なのだ。少なくとも権力監視を旨とする報道機関は「これは内閣総辞職に値する」と認定しなければおかしい。
ところが、テレビ新聞は菅首相の発言を淡々と伝えるばかりで、これが「国家による入院拒否宣言」を意味していることを伝えていない。一例として、NHKの報道をみてみよう。
新型コロナウイルスの医療提供体制をめぐり、菅総理大臣は、関係閣僚会議で、重症患者や重症化リスクの高い人には、必要な病床を確保するとともに、それ以外の人は、自宅療養を基本とし、症状が悪化すれば、すぐに入院できる体制を整備する考えを示しました。
2日夕方、総理大臣官邸で開かれた関係閣僚会議で、菅総理大臣は、感染者が症状に応じて必要な医療を受けられるよう、方針を取りまとめたと明らかにしました。
そのうえで、重症患者や重症化リスクの特に高い人には、確実に入院してもらうよう、必要な病床を確保するとともに、それ以外の人は、自宅での療養を基本とし、症状が悪化すれば、すぐに入院できる体制を整備する考えを示しました。
また、血液中の酸素飽和度を測る「パルスオキシメーター」を配付し、地域の診療所が往診などで丁寧に状況を把握できるよう診療報酬を拡充するほか、家庭内感染のおそれがある人などには健康管理体制を強化したホテルを活用すると説明しました。
さらに「重症化リスクを7割減らす画期的な治療薬について、50代以上や基礎疾患のある方に積極的に投与し、在宅患者も含めた取り組みを進める」と述べました。
そして、菅総理大臣は、3日にも、医師会や病院関係者に協力を要請するとして「感染者数が急増する中で、医療提供体制を機能させることが最大の課題であり、自治体と連携しながら、政府として全力を尽くす」と強調しました。
また、国民に対し「改めて、不要不急の外出や大人数での飲食を控えていただき、感染防止に協力をお願いしたい」と呼びかけました。
菅首相の発言を淡々と流すだけである。いや、「重症患者や重症化リスクの特に高い人には、確実に入院してもらうよう、必要な病床を確保する」「症状が悪化すれば、すぐに入院できる体制を整備する」などと、菅首相の政策転換をあいまいにして正当化するような文言が並んでいる。さらに「重症化リスクを7割減らす画期的な治療薬について、50代以上や基礎疾患のある方に積極的に投与し、在宅患者も含めた取り組みを進める」と伝え、国民に安心感を与えようとする菅首相を側面支援しているのだ。
これでは「内閣総辞職」に値する「政策の大失敗」であることは伝わらない。「大本営発表の垂れ流し」であり、「今何が起きているのか」を「的確に解説する」という「公正な報道」の体をなしていないのである。テレビ新聞はこうした報道を「客観中立」と自称し、結果として現政権を守ってきたのだ。
報道機関が注目すべきは「感染者数が急増する中で、医療提供体制を機能させることが最大の課題」という菅首相の言葉である。この部分こそ、「感染者数が急増」して「医療提供体制が機能しなくなった」ことを首相自身が認め、それを受けて「医療提供体制を機能させる=重症以外は自宅療養として入院を拒否し、医療機関を混乱から守る」方針を示した核心部分なのだ。ここに焦点をあて、首相発言が「医療崩壊を認めたギブアップ宣言」であり、「感染拡大防止」の放棄を意味することを明確に指し示すことが本来の報道機関の務めのはずだ。
今回の菅首相の発言は、コロナ患者を入院させ安全・安心を守り抜くことができなくなったという「失政」の政治責任を棚上げしたまま、政策目標を「重症以外は入院拒否」(しかも「重症」の定義はあいまい)にアナウンスなきまま転換するという、極めて無責任な政治の典型である。決してうやむやにしてはならない。
この国の民主主義はいよいよ重大な危機を迎えている。私たちの生命自体が危険にさらされるまで事態は悪化してしまった。テレビ新聞はあてにならない。ひとりひとりが声をあげるしかない。
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