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福島原発「処理された汚染水」の海洋放出に賛成ですか? コロナに相通じる「非科学的な科学報道」を問い直す

福島第一原発事故から10年が経過した今も放射性物質に汚染された水は発生している。原子炉を冷却し続けるには大量の水が必要であり、この水は汚染物質に直接触れるため高濃度に汚染されてしまうからだ。10年の歳月を経て「汚染水」は溜まりに溜まってしまった。

政府や東京電力はこの「汚染水」に含まれるセシウムやストロンチウムなどをALPSという装置を使って除去していると説明している。ただし、水と構造が似ているトリチウムという核種は技術的にどうしても除去できない。そこでトリチウムが残存する「処理された汚染水」(「トリチウム水」や「ALPS処理水」とも呼ばれる)を原発周辺に大量のタンクを増設して貯蔵してきたが、ついに設置場所が足りなくなってきた。タンクで貯蔵を続ける費用も膨れ上がっている(これら費用は最終的には税金や電気料金のかたちで国民が負担することになろう)。

そこで政府と東電は「処理された汚染水」を海へ放出する方針を決めた。そのまま放流すると地元の漁業関係者らの反発は避けられないとみて、「処理された汚染水」をさらに海水で薄めて「基準値以下」とし、太平洋に放出するというのである。それでも漁業関係者らには反発が強く、今回、沖合1キロまで海底トンネルを設置し、それを通して海へ放出する案を新たに採用することにした。

福島第一原発の「処理された汚染水の海洋放出」は科学的にも政治的にも入り組んだ問題だ。私がここで表記した「処理された汚染水」も、「処理水」と表現する記事から「汚染水」を表現する記事もあり、実にわかりにくい。「処理水」と「汚染水」ではずいぶんと印象が違ってくる。海洋放出の是非はもちろんのこと、「言葉の使い方」をめぐっても論争が繰り広げられているのが現状だ。

この難解な政治問題を私なりに理解し、公正な立場を心がけて説明すると、上記のようになる。

まずは皆さんの意見を聞いてみよう。「処理された汚染水」の海洋放出にあなたは賛成ですか?反対ですか?

福島原発の「処理された汚染水」の海洋放出に、あなたは賛成ですか? 反対ですか?

難解な問題への賛否を決めるにあたり、私たちは「専門家」の意見に耳を傾けるしかない。ここで難しいのは、コロナ問題と同様、専門家たちの意見はまちまちであるということだ。専門家も千差万別である。政府を代弁する「御用学者」もいれば、業界べったりの「〜ムラ学者」もいる。まずはどの専門家を信頼するのかを私たちは見極めなくてはならない。

私がこの問題を考えるにあたり最も参考にしたのは、小山良太・福島大学教授が朝日新聞社の言論サイト「論座」に寄稿した『海洋放出の是非を考えるのに欠かせない「トリチウム水」への理解』である。

私は「論座」編集部に在籍してこの寄稿を編集者として担当した。だから「中立的な第三者」とは言えないが、公正な視点でこの問題を解説しようとする小山教授の姿勢は十分に伝わってきた。今年2月に退職届を出してSAMEJIMA TIMESを立ち上げ開始した連載「新聞記者やめます」でも小山教授の寄稿を参照に以下の記事を執筆した。

新聞記者やめます。あと47日!【「処理水」か「汚染水」か。「海洋放出」の真の論点とは?】

年々増え続ける「処理された汚染水」をどう扱うのか。タンクの増設場所をさらに拡大して貯蔵を続けるのか、どこかのタイミングで海洋放出に踏み切るのか。これは多角的な科学的検証を踏まえたうえで、最終的には政治的に選択するしかない問題であろう。

ここでいう政治的選択というのは、政府が一方的に決めるという意味ではなく、民主社会にのルールに基づいて公正に判断されるべきという意味である。地球環境への悪影響、漁業に与える被害、国際世論の反発に加え、技術力や費用負担などを含めて各選択肢のメリット・デメリットを総合的に判断し、最終的には国民的な合意形成を経て選択されるべき問題であると思う。

国民的な合意形成を進めるには、政府や東電が丁寧に説明することからはじめなければならない。今回、海洋放出するか否かが焦点となっている「水」について、小山教授は「論座」への寄稿で以下のように指摘している。

今回の処分の問題は、世界中で注目された福島第一原発の廃炉の過程で排出された汚染水をALPSで処理し、トリチウム以外の核種を取り除いたうえで放出するという2重3重に説明を要する「水」である。そのため、核燃料に触れた汚染水自体を放出するのではないか、ALPS処理で本当に他の核種を取り除けているのか、発表されたデータ自体に誤りがあるではないか等、様々な疑念が生じやすい「水」なのである。

このように誤解を生じやすい「水」だからこそ、歴史に残る巨大原発事故を引き起こした政府や東電には、科学的な説明を丁寧に繰り返し、誠実に合意形成を進める責任がある。

その立場からいうと、現時点での海洋放出に私は反対だ。政府や東電が、この難解な問題を判断するために必要なデータをすべて開示し、誠実に丁寧に説明を重ねているとは到底思えないからである。その結果、国民的な合意形成が進んでいるとも到底思えないからである。

政府や東電の情報隠蔽体質は原発事故から10年が経っても一向に改善されていない。海洋放出の是非をめぐる議論をもっぱら「漁業の風評被害」に矮小化し、漁業関係者の同意さえ得られれば海洋放出に踏み切れるという姿勢が露骨なのである。本来政治に求められる「国民的な合意形成」を棚上げし、「漁業関係者の同意」に焦点を絞ることで、重大な政治的選択の責任を漁業関係者に押し付け、自分たちは国内外の批判から免れようとする魂胆がみえみえだ。

そのような政府や東電と一体化し、地球環境への悪影響について徹底的に追及・検証することなく、「風評被害」の問題にのみフォーカスしているマスコミ各社の記事は「権力に加担した不公正な報道」の典型といえるだろう。

なかでも私が理解に苦しむのは、「処理された汚染水」を海水で基準以下に薄めて海に放出するという政府・東電の説明をそのまま垂れ流す報道の数々だ(こちら参照)。環境への悪影響を考える時に必要なのは、海に放出される「汚染物質の濃度」ではない。海に放出される「汚染物質の量」だ。海に放出されたら大量の海水で濃度が薄まるのは当然である。あらかじめ海水で薄めてから放出することに、いったい何の意味があるのか?

このような指摘を先日、以下のツイートで発信したら、賛否両論をたくさんいただいた。

反対意見で多かったのは「重要なのは放出量ではなく濃度だ」「倍に薄めた塩素は飲めないけど何千倍に薄めた塩素入りの水道水は飲める」といったものだった。これは科学的なのか? 塩素入りの水道水を飲む話が放射性物質の海洋放出にあてはまるのか?

体内に取り込む食品に含まれる有害物質の濃度に上限を定める「安全基準」には意味がある。人間が食べたり飲んだりする量には限界があるため、有害物質を「濃度」で規制することは科学的といえるだろう。しかし、今回は放出するのは広大な海なのだ。太平洋の大海原に放出する前に「処理された汚染水」を海水で何千倍に薄めたところで、それをすべて海洋放出するのなら、海に投入される放射性物質の量は、海水で薄めずにそのまま放流するのと同じである。

地球環境に与える負荷を決めるのは、放出される水に占める放射性物質の「濃度」ではなく、放出される水全体に含まれる放射性物質の「量」だ。海水で薄めて放出しても、水の全体量が増えるだけで、海に撒き散らかされる放射性物質の量に変わりはない。「海水で薄めて放流する」のは気休めでしかない。

繰り返すが、この問題の是非を判断するにあたり決定的に重要なのは、放出される放射性物質の「量」だ。「海水で薄めて放出する」というほど国民を馬鹿にした議論はあるだろうか。

政府や東電は原発事故以前からもトリチウムは海洋放出されてきたと説明している。これに対して小山教授は「論座」への寄稿でこう指摘している。

排水量とトリチウム放出量の量的な関係は、福島第一原発の事故前と同等にはならない(中略)。今回の放出量は、前述した現在貯蔵されているタンク内のトリチウムの量、約856兆ベクレル(Bq)から考えると事故前よりも相当大きくなる。事故前の福島第一原発のトリチウムの排出量は年間2.2兆ベクレルであったことから、856兆ベクレルという総量を処分するには同じ総量だと389年かかることになってしまうのである。(中略)

東京電力の試算によると、2025年に放出を開始した場合、年間22兆ベクレルずつだと2053年まで処分期間を要する。同様に、50兆ベクレルは2041年、100兆ベクレルだと2033年となる。廃炉までのロードマップが30-40年を想定しており、廃炉と共に放出を完了する場合でも、年間22兆ベクレルのトリチウムを毎年放出しなければならない(事故前の福島第一原発の年間放出量は2.2兆ベクレル)。事故前の10倍の量を30~40年流すということである。

政府や東電が「海水で薄めて放出する」というようないい加減な説明を繰り返しているのは、彼らが「地球環境への悪影響」について国民的な合意形成を進めることなど頭の片隅にもなく、「風評被害」を懸念する漁業関係者の同意さえ取れればよいと考え、地球環境への悪影響について誤魔化しているからだ。そして、その矛盾を政府や東電に問いただすことなく従順に垂れ流すマスコミ各社の報道はあまりに「非科学的」であり、権力側が望む世論操作に協力しているとしか思えない。そのような当局の姿勢、報道の姿勢こそ、海洋放出への疑念を膨らませている最大の原因であろう。本気で海洋放出しか手段がないと考えているのなら、もっと誠実に、もっと覚悟を持って、その必要性を説くべきである。

今回新たに浮上した「海底トンネルを掘って沖合1kmに放出する」という案も、「処理された汚染水を海水で薄めて放出する」という案と同様、小手先の対応としか私には思えない。それで「地球環境への悪影響」がなくなると思っているのだろうか。

そのような政府やマスコミが、同じ口で「持続可能な開発目標(SDGs)」を高らかに語り、地球温暖化対策に取り組むと胸を張る姿は、憤りを通り越して笑いしかない滑稽ぶりだ。どれほど温暖化対策に効果があるか知れぬ「レジ袋の有料化」を推進して一般大衆に費用負担を転嫁する「ウソ臭さ」は、「処理された汚染水」を海水で薄めて海洋放出する「ウソ臭さ」と相通じるものがある。何もかもが非科学的で「やってる感」なのだ。国民に対して誠実に説明責任を果たし、合意形成を進めようという意思は、みじんも感じられない。

いま感染爆発と医療崩壊を引き起こし、私たちの命を危険にさらしている「コロナ危機」は、このような政府の非科学的で上っ面の政策と、それを垂れ流して世論を誘導してきたマスコミ各社の非科学的で薄っぺらい報道の帰結である。原発報道とコロナ報道の歪みは、その根幹においてまったく同種のものなのだ。

以上、私見をのべさせていただいた。そのうえで、改めて海洋放出について皆さんの意見を聞いてみたい。

福島原発の「処理された汚染水」の海洋放出に、あなたは賛成ですか? 反対ですか?

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鮫島
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