コロナの感染拡大が加速している。菅政権が緊急事態宣言を出して国民に行動自粛を呼びかけながら巨大国家イベントである東京五輪を強行開催している政策矛盾は、もはや誰の目にも明らかだ。
菅義偉首相が「切り札」としてきたワクチンをめぐっても、2回接種した後に感染する事例が相次いで報告されている。ワクチンの効力はどのくらい続くのか、変異株にどのくらい効果があるのか、世界の知見はいまだに定まっていない。
ワクチンを接種すれば重症化や死亡のリスクが大きく下がることは、先行して接種が進む欧米諸国の状況からしてほぼ間違いない。一方で、「接種後はコロナに感染することも他人に感染させることもない」というのは間違いだ。「ワクチン証明書」を発行する意味そのものも揺らいでいる。
米国では新たな変異株に対するワクチンの限界を指摘する声が強まっており、マスク再着用を強化する動きも出始めた。
ワクチンを「切り札」と言い立てて過信するのは危険だ。「ワクチンの効果と限界」を社会全体で共有し、今後のコロナ対策の方向性を見定める時にきていると私は思う。
きょうはコロナ対策の今後の方向性について、まずは私が論点を整理したうえで、みなさんに投票形式で意見をうかがいたいと思う(記事後半に投票アンケートがあります)。
中国・武漢で急拡大した正体不明の「新型肺炎」が世界中を震撼させた昨年当初、未知のコロナウイルスの実態を解明して医療・検査体制を整える時間を稼ぐために、経済社会活動を一時的に沈滞化させても国境封鎖やステイホームなどの行動制限を徹底し、感染拡大防止を最優先にする意味は十分にあった。日本の第1回目の緊急事態宣言は遅きに失したと私は思う。
あれから1年以上の月日が流れ、私たち人類はコロナの正体をかなり認識した。欧米諸国を中心に検査・医療体制の整備も進んだ。重症化を抑制するワクチンの開発にも成功し、世界各地で接種が進んでいる。その結果、人々の危機感は薄れて「自粛疲れ」が一挙に噴き出して人流が急増し、変異株の登場もあいまって感染再拡大の動きが世界各地でみられるようになった。
世界はいま、そのような局面に立っている。
そのなかで、日本政府のコロナ対策は、検査・医療体制の整備もワクチンの開発・確保も先進諸国から大きく出遅れ、失態続きである。日々の感染者数の増減に振り回されて場当たり的でチグハグな政策を積み重ね、何を目指しているのかという「政策目標」は国民にまったく伝わっていない。危機管理として最悪だ。
いちばん大切なことは、政治指導者が明確な「政策目標」を提示し、それを社会全体で共有するために世論の合意形成を進めることである。
では、私たちはこの先、どのような「政策目標」を共有し、どのような方向へ進んでいけばよいのか。大きく分けて、ふたつの道がある。
①あくまでも「感染拡大防止」を政策目標として追求し、緊急事態宣言による行動変容を強化する
政府のコロナ対策を主導する尾身茂会長ら専門家は当初から、集団感染の起点を探して隔離する「クラスター対策」と国民に我慢を求める「自粛と行動変容」を通じた感染拡大防止策を最優先に掲げ、パチンコ・夜の街・若者・飲食店といった「重点対策ポイント」を国民に指し示してきた。一方で、感染者の急増による医療崩壊を恐れてPCR検査を抑制したため、政府発表の感染者数は「本当の感染者数」より大幅に少なく、感染実態を隠蔽しているとの疑念を国内外で招いてきた。
このような「本当の感染者数を隠して医療崩壊を防ぐ」という日本型コロナ対策は、マスコミや国民の危機感を鈍らせたうえ、巨大臨時病院の建設や医療・看護スタッフの急募を通じて医療体制の大幅拡充を進める機運をそいだ。その結果、クラスター対策が破綻して感染者数が少し増えるだけで、感染者数は欧米より桁違いに少ないのに患者の受け入れ先が見つからないという「医療崩壊」に陥ったのである。
日本政府が医療体制の拡充を迅速に進めていれば「守ることのできた命」が失われたのである。この「失政」を私たちは忘れてはならない。すでに1年以上がたつのに、いまだに「病床が足りない」「看護スタッフが足りない」と言い訳する医療行政の不作為に対して、私は強く抗議する。
さらに日本政府は、検査数を抑制した結果の数字である「見せかけの感染者数」の増減に一喜一憂し、感染者数が減少傾向になるとGOTOトラベルなどの経済活性化策や緊急事態宣言の解除で人流をあおり、増加傾向に転じると緊急事態宣言を繰り返すというチグハグな政策を重ねてきた。その最たるものが、世界各地で変異株が猛威を振るう最中に世界中から大勢の選手・関係者を東京に招集する五輪の強行開催である。
日本政府が「感染拡大防止」という政策目標を最優先に掲げて緊急事態宣言を繰り返し発出しながら、現在の感染拡大を防ぐことができなかった最大の原因は、感染拡大防止策の不徹底にあるのは間違いない。本来あるべき感染拡大防止策を徹底的に追求し、緊急事態宣言などによる行動変容をいっそう強化したうえで、検査体制を大幅拡充し「早期発見・早期隔離」に全力をあげるのが、私たちに用意されている一つの道である。
しかも日本は先進諸国のなかでも群を抜いてワクチン接種が遅れている。せめてワクチン接種率が欧米並みに高まるまでは感染拡大防止を最優先すべきであるという主張には一定の説得力があるだろう。
もちろん、様々な「自粛」に対する「補償」が不可欠である。財政赤字は大きく膨らむことになるが、その責任はひとえに検査・医療体制の拡充やワクチンの接種に出遅れた政権側にある。
一部の業界にだけを過剰な補償金を支給したことに不公平感が募っていることを考慮すると、「国民一律に現金10万円支給」を再び実施することも必要ではないか。その財源は、コロナ対策を理由とした金融緩和・財政出動による株高騰で潤った大企業・富裕層への課税強化で捻出すべきだ。さらに電通など大企業だけを潤わせる東京五輪の即時中止は絶対に欠かせない。
以上が、一つ目の選択肢だ。
②ワクチン接種と医療体制拡充による重症化抑制に政策目的を変更し、通常の経済社会活動を回復していく
もうひとつは、「感染拡大防止」を最優先に掲げてきた政策目標を「重症化の抑制」に変更し、通常の経済社会活動を取り戻す道である。
この政策変更を国民に訴えている代表格は、英国のボリス・ジョンソン首相だ。「ワクチン接種が進み、感染と死亡の関係を断ち切ることができた」とし、感染拡大を受け入れコロナと共生する道を掲げてマスク着用などの規制を全面的に解除した。
未知のコロナウイルスは治療法がなく「感染すると命を失う危険が高い」からこそ世界中を震撼させた。中国・武漢のコロナ危機から1年以上たち、欧米先進国では検査・医療体制がそれなりに整い、重症化を防ぐワクチン接種が進んだ今、「感染すると命を失う」という恐怖は軽減された。
もちろん「ただの風邪」とはいえない。それでも「命を失うリスク」が減じた以上、国民の自由と権利を制約して経済社会活動を停滞させつづけるわけにはいかない。「感染拡大による死亡リスク」と「国民の自由を制約し経済社会活動を停滞させるリスク」を比較考量すると、今や後者のリスクの方が大きい、ならば「感染拡大防止」から「重症化の抑制」に政策目標を変更し、できるだけ国民の自由の制約を解いて日常の経済社会活動に戻ることを優先しよう。秋から冬にかけて感染が再拡大する恐れはあるが、行動規制を取り払うのは感染状況が落ち着いている今しかない。一定の感染拡大を覚悟し、今こそ規制解除に踏み込まなければ、我々はいつまでもこの生活を続けることになるーー英国首相の考え方を私はそう理解している。
シンガポール政府も6月下旬、コロナをインフルエンザと同様に管理することに改め、感染者数の集計をやめて重症患者の治療に集中する方針に転じたと報じられている。
このような考え方を、今の日本にそのまま適用することは無理がある。日本政府の一年以上にわたる怠慢によって、検査・医療体制もワクチン接種率も英国などの先進諸国に大きく及ばないからだ。しかも過去最大の感染拡大危機にある今、ただちに英国やシンガポールを追って政策変更に踏み込むのはリスクが大きすぎるであろう。
一方で、いつまでも「国民の自由の制約」をだらだらと続けるのことに私は反対だ。「国家による基本的人権の侵害」にもっと敏感であるべきだと思う。英国の政策変更には「個人の自由と人権」に敏感な英国文化の土壌がある。日本社会が「個人の自由と人権」をどこまで尊重するかが問われている局面といえるだろう。
日本政府の「行政崩壊」を目の当たりにすると、高齢者を中心に重症化を恐れがある人々のワクチン接種が完了するのがいつになるか心許ないが、そこへ行き着いた後は、希望者に対するワクチンの継続的な接種と検査・医療体制の大幅拡充を前提として「感染拡大防止」から「重症化の抑制」へ政策目標を変更する是非を真正面から議論する時がくるであろう。
もちろん、その場合もコロナ対策に出遅れたこれまでの「失政」の責任が帳消しにされることがあってはならない。
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今後のコロナ対策の方向性はどうあるべきだと思いますか
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あくまでも「感染拡大防止」を追求するべきか、「重症化の抑制」に政策目標を変更すべきか。このような国民的議論を提起し、社会全体で合意形成を進めるのは、本来は政治指導者(今の日本でいうと菅首相)の役割である。
国民の命のかかわる大問題だ。簡単には結論が出ない議論だけに、情報公開を徹底し、丁寧な説明を重ね、国民の信頼を得たうえで議論を進めなければ、合意形成は進まない。国家危機を乗り越えるにあたって、何よりも重要なのは、政府への信頼なのだ。
ところが、安倍・菅首相が率いる日本政府は、数々の疑惑に対して虚偽答弁や公文書の改竄廃棄という隠蔽工作を重ねてきた。そのような政府を信じるほうが難しい。私たちがいま直面している最大の危機は、社会が連帯して乗り越えなければならないコロナ禍に対して、リーダーシップを発揮して世論の合意形成を進めるべき立場にある政治指導者たちを信用できないことである。
国民は緊急事態宣言を無視するというかたちで政府に対する不信や抗議の意思を示している。このような社会では、今後のコロナ対策の方向性を決める国民的議論を提起し、合意形成を進めるのは非常に困難であろう。現在の菅政権ほど、危機管理能力に欠ける政権はない。
まずは政治が信頼を回復しなければならない。そうでなければ、私たちはいつまでもだらだらと自由を奪われながら、感染拡大も防ぐことができないという、愚かな消耗戦を続ける羽目になる。