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立憲民主党代表選の4氏が「希望の党の失敗」を反省できない理由〜二大政党政治の幻想を解き放て!

立憲民主党の代表選について、昨日の記事でとりあげた「野党第一党のリーダーにふさわしいのは誰か」アンケートの途中経過をまずはみてみよう。

立憲民主党代表選に出馬した4氏のうち、野党第一党のリーダーにふさわしいのは誰だと思いますか?

大混戦といっていい。投票を引き続き呼びかけるので、ぜひ参加してください。

きょうは立憲民主党の代表選で決定的に欠けている論点ーー2017年衆院選の「希望の党」の大失敗はなぜ起きたのかーーについて考察したい。

当時、野党第一党だった民進党を率いる前原誠司代表は衆院選直前、民進党では政権交代は実現できないと判断し、小池百合子東京都知事が旗揚げした希望の党へ合流を決断した。

民進党は両院議員総会で「自公政権に対抗するため野党が政策の違いを超えて結集し大きな塊になる」という前原代表の決断を満場一致の拍手で承認した。枝野幸男氏や福山哲郎氏、辻元清美氏、逢坂誠二氏ら立憲民主党創設メンバーも当初は希望の党への合流を受け入れたという点は見逃せない。

ところが、小池氏が憲法改正や安全保障政策で考えを異にする枝野幸男氏ら民進党の一部の合流を排除したことで大混乱に陥り、希望の党は失速。枝野氏が排除されて追い込まれたあげくに立ち上げた立憲民主党が衆院選で希望の党を上回る議席を獲得して野党第一党に躍進するという想定外の展開をたどったものの、野党全体としては「分裂選挙」で自滅し、疑惑まみれの自公与党を圧勝させる結果に終わったのだった。

この時、希望の党に合流して当選した衆院議員たちの多くはその後、国民民主党を経て、現在の立憲民主党へ加わった。まるで「希望の党」騒動がなかったかのように、現在の立憲民主党はかつての民主党や民進党とほぼ同じメンバーが集う野党第一党に立ち戻ったのである。

あの「希望の党」の大失敗はなぜ起きたのか。小池氏が枝野氏らを排除することなく「大きな塊として結集」していたら政権交代が実現して成功していたのか。

それを総括することなく、再び立憲民主党のもとに同じメンバーが寄り集まって「野党第一党」を形成したところで、同じ過ちを繰り返すだけではないか。

このような視点から今回の立憲民主党代表選を厳しく論評しているのが、ジャーナリストの今井一氏が「論座」に寄稿した『立憲の代表選候補と議員諸氏は4年前の「希望の党」なだれ込みを総括せよ』である。

今井氏ははじめに以下のように問題提起している。

 今更と言うなかれ。あの一件での彼らの行動は、政治家としての良心、能力というものをはかる格好の材料だし、今につながる不人気の「因子」がそこに潜んでいると私は考える。旧民主党の多くの議員、政治家が陥った「基本理念は二の次」ともいえる右往左往はあそこからひどくなり、多くの支持者に不信感を抱かせ、愛想尽かしをされた。にもかかわらず、前原も枝野も今回の代表選に立候補している小川淳也ら4議員も、これまで誰一人としてこの一件について十分な説明を行なってはいない。

今井氏は代表選に出馬した小川淳也氏にも手厳しい。

 小川議員は、『なぜ君は総理大臣になれないのか』(大島新監督のドキュメンタリー)の中でそのことについてちゃんと語ってますよ」という声が彼のファンから聞こえてきそうだが、あの作品の中での小川の言動は反省でも説明でもなく、前原の提唱に賛同して希望の党の公認候補となったものの、思惑が外れて選挙区で落選した男の後悔や愚痴でしかない。

今回の代表選に出馬した4氏の2017年衆院選での対応を振り返ると以下のようになる。

●逢坂誠二氏(北海道8区)→希望の党への公認申請を見送り、立憲民主党へ入党したうえで無所属で出馬して当選。その後、立憲民主党に追加公認された。2019年1月に立憲民主党の政調会長に就任。

●小川淳也氏(香川1区)→希望の党の公認で出馬したが、選挙区で敗北し比例四国ブロックで復活当選。2018年の国民民主党結成には参加せず、無所属を経て立憲民主党会派へ加わった。

●泉健太氏(京都3区)→希望の党の公認で出馬して当選し、選挙後は国対委員長に就任。2018年の国民民主党結成にも参加し、国対委員長、政調会長を歴任した。

●西村智奈美氏(新潟1区)→希望の党には合流せず、立憲民主党から出馬して当選。

今井氏の批判は小川氏だけにとどまらない。希望の党への合流を満場一致で承認した以上、4氏の歩みはまちまちだとしても、全員に説明責任があるのに、だれもそれを果たしていないというのである。

 昨年の夏、それまで「数合わせはしない」と言っていた枝野は方針を変えて、旧・国民民主党など2党2グループが合流する形での新・立憲民主党を結党した。それにより、2017年の衆院選挙時に希望の党の公認候補となった泉、小川、大串ら数十人の議員も新・立憲に入った。

 それは、われわれから見れば、前原提案に乗って民進党から希望の党へ移った者や「排除」されて立憲に結集した者たちの大半が、3年の月日を経て(あの不人気な民進党時の人々による)元のかたまりに戻っただけのこと。

 彼らは、あやふやな理念も「連合」忖度の性根も2017年当時のままで、基本的にはあの頃と何も変わっていない。そして、あの時[前原×枝野]で争った代表ポストを、今度は前原に近かった泉・小川と枝野や菅直人に近い逢坂・西村の4人で争うことになった。おそらく、決選投票にもつれ込むことになるだろう。

 今回、立憲の代表選に出た4人は、あの希望の党へのなだれ込みという民進党の策が正しい選択だったと考えているのか否かについて説明すべきだ。

今井氏の指摘は非常に厳しい。私もおおむね賛同するが、政治家の「良心」の問題とは考えていない。私はそもそも政治家の「良心」というものにあまり期待をしていないのだが、「希望の党」騒動の根っこにあるのは「良心」の欠如などよりもっと深刻な問題であると考えている。

ここでは今井氏の指摘をさらに一歩進めて「なぜ彼らは希望の党への合流を満場一致で承認したのか」を考えてみたい。

当時、希望の党へ合流する前原代表の決断をマスコミ各社は事前に察知できなかった。このため政界でもマスコミ界でもこのニュースは「サプライズ」として受け止められた。「憲法改正や安全保障政策など根幹的な政策で温度差がある小池氏の下でひとつの政党にまとまれるのか」という疑問が生じたのは当然である。

ところが、枝野氏や福山氏ら立憲民主党創設メンバーをはじめ、今回の代表選に出馬している4氏を含め、当時の民進党のメンバーは満場一致で前原氏の決断を承認したのだ。つまり、当事者である民進党議員たちは「根幹的な政策の違いを超えて政党が合流すること」に対し、決定的な拒否感をもっていなかったことになる。

これはどういうことか。

民進党議員たちは「政党は根幹的な政策の一致で結集するべきである」という考え方に立たず、「自公政権に対抗するために野党は政策の違いを超えてひとつに結集するべきである」と考えていたのだ。これは一般の有権者からすると違和感があるかもしれないが、これこそ「二大政党政治がめざした野党第一党のあるべき姿」なのである。

枝野氏ら立憲創設メンバーも、代表選に出馬している4氏も、二大政党政治に長く身を置き、そのなかで地位を築き、それを正しい政治のあり方であると信じ込んでいるため、根幹的な政策の違いを棚上げした希望の党への合流に、一般有権者ほどの拒否感を抱かなかったのだ。

1990年代の小選挙区制導入を柱とする政治改革は、与野党の一騎打ちの構図をつくることで二大政党政治を本格導入する試みだった。それは自民党に対抗し、自民党に取って代わることが可能な「野党第一党」を制度的に強引に作り出し、二大政党が「政権選択の選挙」で競い合うことで政治の緊張感を生み出す狙いがあった。この制度のもとで、新進党、民主党、民進党という「自民党に対抗する野党第一党」が根幹的な政策の違いを乗り越えて半強制的に作り出されてきたのである。

1993年初当選の前原氏や枝野氏はまさに二大政党政治の申し子として民主党内で頭角を現したし、今回出馬している4氏に至っては初当選した時には自民党vs民主党の二大政党政治が確立していた。

実際、2009年衆院選で民主党政権が誕生したことは「自民か民主か二者択一の消去法」で民主党が選択された結果であった。自民党から民主党への政権交代が実現したこの選挙は、二大政党政治がついに機能した歴史的瞬間といっていい。

ところが、民主党政権は党内抗争で自滅し、2012年衆院選で自民党が政権に復帰。以後、民主党(民進党)は支持率低迷に苦しみ、自民党は「民主党政権の悪夢」を強調するだけで労せずして長期政権を続けた。二大政党による政権交代のリアリズムはすっかり消え失せ、二大政党政治は機能不全に陥ったのである。

民主党(民進党)への期待はすっかり萎んだ。それでも今一度「自民党に対抗する政治勢力の結集」を目指したのが、希望の党だった。希望の党への合流を選んだ前原氏の決断は、決して「奇策」ではなく、二大政党政治を信奉する立場からはむしろ「王道」の選択であったと私は思う。自民党に対抗する政治勢力は政策の違いを超えて結集することこそ、二大政党政治の教科書に書いてある基本なのだ。だからこそ、前原氏以外の民進党メンバーたちもそれを容認したのである。

前原氏の決断を「軽率」と批判するだけでは、希望の党の大失敗の本質は見えてこない。自民党に対抗する政治勢力を無理やり作り出すという「二大政党政治」のあり方そのものが有権者に拒絶されたと考えるべきなのだ。

今回の立憲民主党代表選で、4氏が「希望の党」の大失敗を総括できないのは、彼らがいまなお「二大政党政治」を信奉しているからだ。いや、二大政党政治だからこそ、彼らは国会議員という地位にあり続けてきた。中選挙区制度が続いていたら、彼らは国会議員になっていないか、あるいは自民党の国会議員になっていたかもしれないのだ。

野党第一党のリーダーが二大政党政治を信奉しつづける以上、前原氏が決断した「希望の党への合流」の大失敗は再び繰り返されるであろう。二大政党政治そのものを見直して、共産党やれいわ新選組などと新しい「多党制の時代」を構想する議論が今回の代表選で4氏の誰からも提起されないことに、私はとても幻滅し、この党の未来は閉ざされつつあるのではないかと思い始めている。

民主党政権の失敗に加え、二大政党政治の崩壊に拍車をかけたのが、デジタル時代の本格到来による有権者の価値観の多様化である。

2009年衆院選で69%を超えた投票率は、その後、50%台に低迷。「自民党もダメだけど野党もダメ」「小選挙区で投票先がない」という声が溢れ、有権者は政治への関心を失った。

選択的夫婦別姓、子育て問題、介護問題、障害者問題、貧困問題、環境問題、外国人の人権問題など、それぞれの政治テーマに深く関心を持つ有権者は増えたが、そのような有権者ほど「二者択一の消去法」で投票先を決める選挙のあり方に飽き飽きしているのだ。その「二者択一の消去法」の選挙で実力以上の議席を獲得してきたのが民主党であり民進党であり立憲民主党だった。

二大政党に圧倒的に有利な選挙制度のもとで、本来は不利である第三極である日本維新の会が躍進したり、れいわ新選組が国政進出を果たしたりする現象は、二大政党政治を主導した政治家や学者の想定を超える事態であったろう。それほどまでに二大政党政治を後押しする選挙制度と、価値観が多様化して二大政党政治を嫌う有権者の意識は乖離している。

立憲民主党の代表が誰になろうとも、自民党の岸田政権が続いても倒れても、来夏の参院選では、幅広い支持を得ようとして政策が似通う自民党と立憲民主党はともに埋没し、さらに議席を減らすであろう。対照的に、新自由主義を鮮明に掲げる日本維新の会と、超積極財政による弱者保護を鮮明に掲げるれいわ新選組という対極にある2党はさらに躍進し、日本政界はますます「多党制の時代」に突入していくと私はみている。

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