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立憲民主党の新代表は日ハム・新庄監督に学べ! 実力も人気も劣る弱小チームを引き継ぐリーダーに必要なもの

立憲民主党の代表選が盛り上がりを欠く一方で、世間の関心を引き寄せているのはプロ野球日本ハムの新監督に就任した新庄剛志さんだ。

就任会見から「優勝なんか一切目指しません」「監督って皆さん言わないでください。ビッグボスでお願いします」などと型破りの発信を展開し、マスコミを引き寄せた。プロ選手として「格好良さ」にこだわり、「太っている人は減量を」「白髪の人は白髪染めを」と物議を醸す指令を選手たちに立て続けに出し、自ら次々とニュースを作り出したのである。就任会見から2日間の露出効果は105億円にのぼるそうだ。

日ハムは2019年から3年連続5位と低迷。観客数はコロナの影響もあって激減し、球団経営もピンチである。

引責辞任した栗山監督の後継に抜擢されたのが、まさかの新庄さんだった。現役時代から派手なパフォーマンスで「新庄劇場」と言われたが、あまりに破天荒な振る舞いから、よもやチームをまとめる監督に起用されることを予想するプロ野球関係者はほとんどいなかった。

破茶滅茶に見える新庄さんのパフォーマンスは広く世の中に受け入れられているようにみえる。それは「いかにも優等生」な栗山監督のもとで勝率も人気も低迷した日本ハムの再建に、新庄さんの「突破力」「発信力」「カリスマ性」が有効であることを多くの人々が直感したからではないだろうか。

まずは世間の関心を集める→観客数が増える→選手のやる気がアップする→勝率が上がる→球団の収益が上がる→選手の年俸が上がる→さらに選手のやる気がアップする→チームがますます強くなる

このようにうまく運ぶかどうかはわからない。

しかし、実力でも人気でも劣るチームを託されたリーダーが最初に手がけるべきは「実力のアップ」か、それとも「人気のアップ」か。新庄さんが選択したのは明らかに「人気のアップ」であった。

私はこの戦略を「不真面目」とか「パフォーマンス先行」とか批判する気になれない。いや、むしろ合理的な正攻法だと思っている。

リーダーがどんなに頑張っても実力をアップさせるのは至難の業だ。時間もかかる。しかし、リーダーがうまく立ち回りさえすれば「人気のアップ」は意外に簡単にできる。時間もかからない。新庄さんはそれを身をもって証明したのではないか。

リーダーがひとりでできることはそう多くはない。それは「実力のアップ」ではなく「人気のアップ」である。それは過小評価すべきではない。人気のアップを通じて注目を集めることで、選手たちの潜在能力が大きく引き出され、想定以上の結果が生み出されることは往々にしてあるのだ。

新庄さんはおそらくプロ野球が開幕したら、SNSをフル活用し、ファンの意見を採用した指揮采配を断行するだろう。ファン投票でスタメンを決めるだけでなく、試合途中でファンの意見を参考にしながら選手起用を決めていくという同時進行的でファン参加型のパフォーマンスも実行するかもしれない。

新庄さんの振る舞いは、弱小チームを受け継いだ指導者のあるべきリーダー像に思えてくる。たったひとりで短時間でチームの空気をガラリと変えることが、リーダーにはできる。

実力不足と人気不足から衆院選に惨敗し、代表が引責辞任して後任を選んでいる最中の立憲民主党にとって、新庄さんほどのお手本があるだろうか。

翻って立憲民主党の代表選は、どこまでもつまらない。政治を20年以上取材してきた私が見てつまらないのだから、これまで政治に関心がなかった人々は見ようとさえ思わないだろう。

このままでは従来の一部支持層の内輪で盛り上げるだけに終わり、党勢拡大はもちろんのこと、政権交代ははるか彼方だ。そして「政権交代への期待」が消滅したとたん、野党第一党は瞬く間に四分五裂するであろう。

エンターテインメントのプロ野球と政党政治を同列論じられないのは当たり前だが、どちらも「人気」が極めて重要である点において変わりはない。日本ハムどころかプロ野球にも関心がなかった人まで惹きつける新庄さんのパフォーマンスに倣って、立憲民主党も野党どころか政治そのものに関心がなかった人々を惹きつける「お祭り」としての代表選を実施できないのだろうか。

減量しろとか白髪を染めろとかいうパフォーマンスを求めているわけではない。世の中の人々を魅了するスリリングでワクワクする政治ドラマを演出してほしいのだ。

4人の候補者は真面目に政策を語っている。でも、彼・彼女らが語る政策に大差はない。これまで立憲民主党が掲げてきた政策に大きな問題があるとは思えない。むしろ立派な政策の数々であると私は思う。

問題があるのは、彼・彼女らの訴えが多くの有権者に届かなかったことだ。彼・彼女らに欠けているのは、突破力であり、発信力であり、カリスマ性なのだ。さらにいえば、権力を取るために不可欠な広報力や選挙戦略なのだ。

この代表選で討論すべきは、政策ではない。理念でもない。社会像でもない。それらは4氏ともあまり変わらない。それは悪いことではない。いや、政治理念を共通しているのは良いことだ。政治のプロ集団としていま喧々諤々と議論すべきは、自公与党から政権を奪い取るために不可欠な広報戦略や選挙戦略、国会戦術などではないか。そしてリーダーとしての突破力、発信力、カリスマ性を競い合うことではないか。

それなのに代表選で語られるのは、優等生的な政治理念や政策議論ばかり。そのような議論を重ねて、はたして政権がとれるのか。もともとの支持層を繋ぎ止めるだけで、新しい支持層の開拓につながらないのではないか。

そう思いながら代表選の討論を聞いていたら、候補者のひとりから「衆院選で政権交代を訴えたのは、国民感覚とズレていた」という内容の発言が飛び出して、私は仰天した。

衆院選は政権選択の選挙であるから野党第一党は政権交代を訴えなければならないという考えに縛られ政権交代を訴えたから世論は逃げた、最初から与党を牽制するために与野党伯仲をめざすと訴えていたら政権批判票を取り込んで議席を減らすことはなかった、という趣旨なのだろう。政権交代を訴えずに自分たちの議席を維持することをめざす野党第一党なんていらないよ、と私は呆れ返ったのだった。

政権交代の実力も人気もないのなら、実力や人気を獲得するために「殻」を打ち破って何ができるのかをなぜ考えないのだろう。支持率低迷の現実を受け入れ、その土俵のなかでベストを尽くすという「いかにも優等生」的な発想しかできないのだろうか。

自民党に比べて圧倒的に不利な戦力しか手元にないのなら、土俵そのものをひっくり返して乱戦に持ち込み、閉塞感漂う政治を突き動かす度量や胆力を持ち合わせている代表候補はいないのか。いまの野党第一党のリーダーに期待されているのは、ハメを外さない穏当で凡庸な調整型のリーダーではなく、何を仕掛けてくるかわからず自公政権を震え上がらせる新庄型のリーダーではないのか。

立憲民主党が直面する最大の課題は、多くの有権者から関心を持たれていないことである。いくら素晴らしい政策をビラに掲げても、読んでもらわないことには単なる紙切れだ。まずは野党や政治に期待していない多くの有権者の関心を惹きつけることこそ、リーダーに求められる、いや、リーダーにしかできない責務であることを、4氏には自覚してもらいたい。

新庄さんは「弱小チームを引き継ぐリーダーの役割」の本質を4氏よりも理解していると私は思う。

4氏への期待を込めて注文をつけたところで、きょうも「野党第一党のリーダーにふさわしいのは誰?」アンケートを続行します!

立憲民主党代表選に出馬した4氏のうち、野党第一党のリーダーにふさわしいのは誰だと思いますか?

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