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こちらアイスランド(207)ノース・シー・ジャズで藤井風を見た(後半)生演奏が素晴らしいのにバックトラックはなぜ?〜小倉悠加

藤井風はシンガーソングライターでありミュージシャンだ。そして私は彼の音楽が大好きだ。音楽には彼の人柄が色濃く反映される。以前のコラムにも書いたように、彼は清々しく潔く、人間愛に満ちた歌詞を書く。メロディが美しくわかりやすいにも関わらず、その構造は複雑でもあり、音楽を聴き込んだファンの鑑賞にもしっかりと応える。

何が言いたいのかといえば、藤井風は「本物」なのだ。聴くに値する音楽家である。

それは私の夫も認めるところで、夫はかつてアイスランドの新聞で音楽評やライブ評を書いていた。現在でもまだ音楽賞の審査員をしている。実生活ではとんでもない音楽マニアで、自宅から溢れたCDやレコード盤は貸し倉庫に収納してあるほどだ。その彼をもっても、「藤井風は素晴らしいミュージシャンである」と断言する。だから今回、私が「藤井風を見に行く。そのジャズ・フェスに同行する?」と尋ねた時、二つ返事だったのだ。

ノース・シー・ジャズの内容からは少し逸脱するけど、藤井風のファンが外見にえらくこだわる発言を時々見るので、それに関してを少し。

ミュージシャンの外見はどうでもいいとも言えるし、外見は非常に大切とも言える。

私自身は音楽がよければ外見はどーでもいい派だ。本人が納得できる一番気持ちのいい状態がいい。とはいえ、パッケージは商品として大切な要素だ。本の装丁もそうだし、音楽でもジャケ買いという言葉があるほど包装が中身のクオリティを示すことは多々ある。

欧米の男性は往々にして若く見られることをいやがる。アイスランドでもそうだ。夫の息子はティーンの時からヒゲを生やしていた。若い学生の髭面も普通に見かける。剃るのが面倒という不精もあるが、実年齢よりも上に見られたい心理も大いにある。

風さんの髭面の真相は分からないけれど、欧米で売り出すのであれば悪くない選択だ。

艶やかな肌の端正な顔つきはアイドルっぽい。無駄な誤解を生まないためにも、あの髭面は戦略として正解なのではないか。アジア人丸出しではなく、無国籍なルックスであることはプラスだろう。ニュー・アルバム『Prema』のジャケはカーテンかぶった髭なしの風さんだし、Tiny Deskのコンサートも美しい肌の人だった。海外戦略第一弾のHachikoでは髭面を全面に出した。いろいろあっていいじゃない、中身は同じなのだから。それに尽きる。

イメージはまだ固定しない方がいいというマネージメント側の判断なのだろうとも思う。で、個人的には髭面に一票。本格派ミュージシャンらしく見えるから!

https://samejimahiroshi.com/league-iceland206-20250802

ということで私は藤井風のライブを見たくて、ノース・シー・ジャズへと繰り出した。

ナオミ・シャロンが終了しても私の周囲の観客は全く動かない。みんな藤井風見たさに前のアクトから陣取っているのだから当然だ。

周囲のあちこちから日本語が聞こえる。ここは日本か?というほど。どうやらかなりの数のヨーロッパ在住邦人がやってきている。そしてもちろん日本からの筋金入りのファンも。

開演15分前程度だっただろうか。ステージのセッティングが徐々に開始されていった。

ステージが暗くなり、MCが登場。いい感じに観客を盛り上げて、バックのメンバーも定位置についた。

周囲の観客から藤井風の登場を今かと待つ緊張感が伝わってくる。そりゃそうだ。待ちに待った風の息吹がやっと吹くのだから!

「まつり」のリズムがバックメンバーで奏でられ、そこにに藤井風が登場。キャー風さぁ〜〜ん!

え?なにこれ!私の目にニョキニョキと容赦なく映るスマホの画面。その数たるや!まず気になったのはアーティストよりもそこだった。

日本ではスタジアムでさえチケット争奪戦なので、このような小規模な会場で彼を見る機会はもうないだろう。この世の見納めのように私でさえなるべく前の方にいたかった。会場の中間地点は音がいいけれど、それでは背の高い外人に埋まってステージを見るどころではなくなる。

だから前へ行きたい、写真も撮りたい。その気持ちは分かる。でもこれほどのスマホの画面をライブ会場で私は見たことがなかった。

ファンカム(ファンが自分で録画した動画をこう呼ぶ)には随分とお世話になってきた。最前列から全てを録画した動画などもあり、驚いてしまうほどの高品質も見かける。ありがたい。

でも、でも、でも、その動画撮影を全員がやらなくてもいいんじゃない?と思うほど、夥しい数のスマホの画面が目の前で揺れていた。揺れ続けた。

『まつり』いい曲だよね。大好き。日本的なメロディは欧米人の耳にはさぞ異郷の世界を思わせたことだろう。

風さんはおかんタオル(藤井風の母親が「かぜ」と名前を刺繍し、使い古しているタオル)をベールよろしく頭にかぶり、その上にはちょこんとベレー帽が乗っていた。彼にはおとんサングラス(父親からもらったサングラス)というものもある。

頭のタオルは演出なのか、それとも心を落ち着かせるためのライナスの毛布なのか。

羽衣のような白い衣装に黒いベール、ヒゲをたくわえた無国籍な出たち。キリストっぽい印象は記憶に「残る」。新人はとにかく記憶に残ってナンボだ。

登場一曲目、藤井風のヴォーカルはリラックスしていい感じに聞こえた。

バックのメンバーは強者揃いだ。ドラムスとベースのリズム隊がうねりのあるいいビートを刻む。うん、いいね。

藤井風のキーボードは力強く、歌いながら結構難しいことをやってのける。やっぱり指が長いなぁ、オクターブの和音を軽々弾いていてうらやましい。

『何なん』ではサビの「なんなん!」を何度も叫んだ。これがやりたかった。うー、楽しかった!!

洋楽ばかりを聞き、洋楽ライブばかり見てきたせいで、日本語の歌詞を会場で口ずさんだことが全くなかった。人生初の、日本語歌詞ライブ体験だ。ここで何だか私はひとつ開眼した。日本語は腹の中に落ちる言葉の意味合いが全く違う!絶対的に楽しい!

日本語を難なく理解して発声することがこれほどうれしいことだとはーーー日本語を理解できる優越感も若干加わり、心底楽しかった。

『何なん』が終わると、藤井風はお香を一本取り出し、タバコのようにそれを口に加えて火を灯した。エリカ・パドゥのオマージュらしい。「ここはジャズ・フェスではない神聖な場所」「自分を清めようと思う」等、不思議なMCがあった。あれって何だったんだろう?

ちなみにMCはすべて英語だ。風さんはここで「freakin’ jazz festival」という表現を使った。私自身あまり使わない形容詞なのでfreakinをどう解釈すべきか迷った(いまだに迷ったままだ)。ミュージシャン同士だとそういう言葉使いをするのかな?

そして『真っ白』の演奏へとつながっていった。

イントロはDURANさんのギターがアレンジに華を添えていたし、彼のブルージーなギターは私にクラプトンを思い起こさせた。クラプトン、母が大ファンなのでお供で大量にライブを見てきた。たぶん30-40回くらい。

ファンカムを見て知ってはいたけど、ライブでバックトラック(録音済みの部分演奏)を使うのはどうなのだろう?正直言って私は好きではない(年金世代の古い音楽ファンの言うことなのでご容赦を)。今回のバックメンバーもバックコーラスをとっていたけれど、『真っ白』のイメージにあうコーラスができないという判断だったのか?

だとしても、この4人のメンバーでの生(なま)のガチな演奏を、特にジャズ・フェスでは期待していたので、あぁやっぱりバックトラックを使うのかと少なからず落胆した。ライブは文字通りすべてを生で演奏をしてほしいという古代の化石みたいな音楽ファンで申し訳ない。

バックトラックに関しては夫も同意見だった。風さんを悪く言うと私が気を悪くするかと思い、恐る恐る夫は1ヶ月後に感想を私に伝えてきた。気を悪くするどころか、私と同じことを思ってるガチ音楽ファンがいてよかった。

ライブでは、生演奏でどこまでできるかを実際に聴きたいのだ。藤井風は単なるかわいいアイドルでもないし、マイケルのように何をどうやってもオッケーなほど確立されている存在でもない。だからこそ裸の実力を見せてほしかった。

バックトラックを使用することによる楽曲のライブ感の半減、”中途半端さ”は『真っ白』が一番目立った。

バックトラックに関して『まつり』は許容範囲だった。お囃子のような笛がまつりには不可欠だし、オープニング曲は第一印象という意味でも大切なので、日本らしい雰囲気を醸し出すためのバックトラックには意味があると思う。

最後の『Hachiko』も問題ない。正々堂々とカラオケを使って全く問題ない。だって最後の曲は動く藤井風を見るエンタメなんだから!もちろん、リズムを生演奏で被せた方が迫力が出て絶対にいい。

話を戻せば『真っ白』に続く『きらり』のアレンジは意外性があってよかった。日産スタジアムで見せたドライブ感も好物だけど、今回のチルっぽい、レゲエっぽい『きらり』もいい。好き。

続くバンドメンバー紹介、『Damn』サックスイントロの『Working Hard』の流れは鉄板だろう。この流れはガツンと食べ応えのある曲もできますというショーケースだ。爽やかな口当たりの『さらり』との対比もいい。『Damn』はベースがファンキーでかっこよかったから、バックトラックなしでライブ感ゴリ押しにしてほしかった。

藤井風、やっぱり声がいい。濃厚なのにさっぱりとしたフレッシュ・クリームのような心地よい声質だ。何でもいいからずっとその声で話したり歌い続けてほしいほど心地がいい。好き。

ハードな曲が一段落したところで再び風さんのMC。別会場でMaxwellが演奏してるのに、(Maxwell大ファンの)自分がなぜここで演奏してるのか、ここにいる観客もおかしいんちゃう?みたいな語りだった。そこでMaxwellの曲を少しだけ歌ってみせた後、エイミー・ワインハウスの曲へ。

『Love is a Losing Game』は、ヨーロッパ・ツアーの全公演で演奏をした。ロンドンの会場でこの曲を取り上げることにより、エイミーへのトリビュートとしたかったのだろうか。DURANのギターがここでも花咲いていた。

正直、この曲はそこまで風さんの声質や雰囲気にあっているとは思えない。ただ、ロンドンの地元音楽ファンには受けるだろうし、イギリスの音楽メディアでの話題にはなりやすいかもしれない。

次に飛び出したのが新曲『Love Like This』だった。カバー曲の「愛は負け試合」の対極で、「これ以上の愛はもう二度と見つからない」という内容(らしい)。

どこかで聞いたことがあるような、ひどく懐かしい情感を呼び起こす曲調だ。カリフォルニアのフリーウェイを走っているようなそんな気持ちになった。なぜ?と問われても分からない。これを聴いて思い出したのが、クリストファー・クロスの『Never Be The Same』やシールズ・アンド・クロフツの『サマー・ブリーズ』や曲だったからかも。思い出す曲は古いものばっか・・・。

そよ風のような新曲『Love Like This』に続いたのは、印象的なピアノソロをぶち込む『死ぬのがいいわ』だ。藤井風の真骨頂とも言えるピアノ・ソロを披露した。音数も多くて難しいのに豪快、強引にキーボードを叩く。キーボードが傾かないかと思うほどの連打と強打。ミュージシャンとしての見せ所。しっかりと決めて大拍手!

キーボードを弾きながら歌うアーティストは少なくない。それでもこの曲で藤井風が実力派のピアニストであることは絶対に印象付けられる。エルトンとも、ビリー・ジョエルとも違うスタイルのピアニストでありヴォーカリストだ。これこその本物のアーティストといった見せ場。

藤井風が実力が伴う才人であることは分かっていても、それをどう見せて聞かせていくかは重要だ。この演出はとてもいい。好きだ。

それから『死ぬのがいいわ』では毎回ステージで死んでいたけれど、今回のツアーは一度も死ななかった。それは心境の変化なのか、単にステージに寝っ転がって擬似死をする時間的な余裕がないからなのか、後日ツアー内容のインタビューが出てこないかと期待している。

それにしても、私はなぜノース・シーなどというジャズ・フェスに足を運んだのだろう。藤井風が出演しなければ、一生縁がなかっただろうと思う。

私の青春は洋楽一色だった。高校生時代、毎日ディスク・ユニオンに通った洋楽オタクだった。カーペンターズの全アルバムの解説を書いていたりする。ムック本を作ったことも。元レコード会社社員でもあるし、現在もまだ音楽関係の仕事に時々携わる。そんな洋楽オタクを虜にした初めての邦楽アーティストが藤井風なのだ。非凡すぎて、虜になってしまったのかと思う。多くのファンがそうであるように。

最後の『Hachiko』は、2025年9月にリリースされる新譜からの第一弾シングルとして発表されたばかりの曲だ。ファンはMVを穴が開くほど見ているし、アクが強くて(褒めてる)ものすごく楽しめる。

特にハチコーと神様みたいな飼い主が出会う場面には何度泣かせられたか・・・。何やら意味深な考察もできそうだと思っていると、どなたかがこんな楽しい考察をしてくれている

風くん、最後くらい前に出てきて思い切りそのかっこよさを振りまいてくれぇ〜。

そんなファンの声が聞こえたか聞こえないかはわからないが、彼はキーボードを手放しステージ前に出てきてくれた。マジで背が高いな(180センチだもんね)。日本人離れしてる。これなら欧米人に混ざっても見劣りしない。

ちなみに私はほとんど動画も写真も撮っていない。このレポートを書く予定にしていたので、Hachikoの時だけ数打ちゃ当たるで撮ったのが上記のサムネイルだ。

藤井風は『Hachiko』のファンキーなリズムに乗り、ステージを隅から隅まで闊歩し、身体をくねらせ、腰を振り、拳を振り、声を昂らせ、Hachiko踊り(そう呼ぶのかは知らんけど)を見せてくれた。

会場は大騒ぎ。ノリノリだ。どうやらそれは前列を陣取っているガチなファン勢だけではなく、会場の後ろの方までそうだったらしい。こんな投稿を見つけた。

フェスなので演奏時間は通常のライブよりも短い。『ガーデン』『花』『満ちてゆく』『グレース』等の曲がなかったのは少し心残りだけど、1時間という制限内にメリハリをつけて、新進アーティスト藤井風の魅力を濃縮して示すことができたと思う。とてもいいセットリストだった。

実際に、ジャズ・フェスで最後までこれだけのお客様が残っていたのだから、この試みは成功だ。同時に数会場で演奏が行われるフェスでは、2-3曲聴いて気に入らなければ別会場へ移動すればいいだけのこと。後列までびっしりと観客が残っているのは本当にすごいことだ。よかった、おめでとうチーム風。

今回のツアーは4人のバンド編成であり、腕の立つミュージシャンばかりだ。その腕前を十二分に発揮するゴリゴリの生演奏を期待した私には、バックトラックの使用は残念に思えた。けれど、それを使った意図は尊重するし、いかに大勢の海外の音楽ファンに藤井風の魅力を伝えるかという目的には合っていたと思う。これでいいのだ。私の考え方も古すぎるのだろう。

この文章は夏休みでアイスランド国内旅行へ繰り出す前に書いている。これが掲載される頃、チーム風は北米ツアーの真っ最中かと思う。世界は広い。前に進むしかない道は続く。

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藤井風はヨーロッパ・ツアーを終了し、北米ツアーへと躍り出た。日に日に演奏がタイトによくなっていく。彼がアイドル扱いであることを理解してきた。同時に演奏が素晴らしいので、バックトラックなしで聞かせてほしい。それを察したのか、北米のファンカムでは生演奏のミックスが強くなってきた気がする(たまたまファンカムがそういう音だっただけなのかも)。特にロラパルーザ後。何はともあれ、素晴らしい国際アーティストの誕生を目を最大に細めて見てます。

小倉悠加(おぐらゆうか)
東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド在住。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。高校生の時から音楽業界に身を置き、音楽サイト制作を縁に2003年からアイスランドに関わる。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、社会の自由な空気に魅了され、子育て後に拠点を移す。休日は夫との秘境ドライブが楽しみ。愛車はジムニー。趣味は音楽(ピアノ)、食べ歩き、編み物。


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