今回はいつもと趣向を変え、SAMEJIMA TIMES主筆 鮫島浩さんの名文「なぜ私は新聞記者になったのか~「記者は他人の人生を書く。主役になれない」と問われて」に倣い、「なぜ私はものづくりの考古学者になったか」を書いてみたいと思う。
今から17年前の2006年。
私は大学院生をしながら、佐賀県唐津市で発掘調査の嘱託の仕事をしていた。
休みの日は近隣の遺跡や博物館を見て回ったり、大学に行って文献を調べたりしていた。
10代のころから中国古代を題材にした小説を読み漁り、中国に強い関心を持ってきた私は、学生時代、中国の考古学を研究する道を選んだ。
当時行っていた研究は、春秋戦国時代の青銅器の生産体制の研究。
中国の殷周青銅器は複雑で独特な造形をしており、現代から見ても、どのような技術で造られたのかはわかっていないことだらけ。若い私はそれらに強く惹かれ、研究テーマとして選択した。
しかしながら時代は就職氷河期。
考古学・文化財業界も例外ではなかった。
自治体の文化財専門の正規職員の採用試験では、1名募集に50名以上が殺到するのはざらだった。
ましてや外国考古学で職を得るのはとても難しい状況。
考古学の世界で生き残ることを考え、私自身も採用試験を受けるも、不合格の連続。
苦悩の日々が続いた。
そう、私はいわゆる「ロスジェネ」世代だ。
私は中国のことを勉強しながら、発掘調査の経験を積むため、嘱託職員となり発掘調査の仕事をする道を選んだ。
私は悩んでいた。
出会う人に「中国の殷周青銅器を研究している」と言うたびに、「時代も地域も離れた中国を研究して何になるんだ」「日本の考古学が専門でも職がないのに、中国のことをやっても食べていけないぞ」という言葉ばかりが返ってきた。
自分の研究対象である中国考古学と普段接している日本の文化財との接点は何か?
20代の後半になり、就職に対する不安感とともに、「何のために研究しているのか」という暗中模索の日々が続いていた。
一方で発掘調査の仕事は、経験不足ゆえに戸惑うことが多いながらも、本当に充実した毎日だった。
当時の職場の上司・先輩方には本当に多くのことを教えていただいた。
担当した発掘現場で、中世の鍛冶工房の遺構が見つかり、青銅器の鋳造技術と鉄器の鍛冶技術の違いと共通点を考えたりもした。
そのほか、さまざまな現場や仕事を経験し、多くのことを学ぶ日々だった。
このような日々を送る中、ある考古学の学会に参加した。
私はそこで二つの発表に目を奪われた。
一つは、韓国の考古学者Iさんの韓国で出土した多紐鏡と呼ばれる銅鏡に関する発表。
多紐鏡とは、鏡の裏面にヒモを通すための鈕が2・3個あり、幾何学紋様を施した銅鏡で、朝鮮半島/韓半島を中心に出土することが知られている。
そのなかでIさんは、鈕の部分が「分鋳法」(パーツを本体と別のタイミングで鋳造成形する技法)で製作されたものであることに触れた。
「分鋳法」とは、まさに私が研究している殷周青銅器でも見られる技法である。
もう一つは、鋳造実験に関する考古学者のG先生と鋳造技術者のEさんの発表。
弥生時代の青銅器の製作技法を復元するための鋳造実験を紹介した内容で、「蝋型鋳造法(失蝋法)」と呼ばれる技法で青銅器を実験鋳造したものだった。
じつは、私が研究している春秋戦国時代の青銅器にも「蝋型鋳造法」で造られたものが知られているのだ。
蝋型鋳造法(伝統工芸高岡銅器振興協同組合)
日本と中国の両方にちゃんと目を向ければ、自然と接点が見えてくるではないか!
ものづくりの技術を見ることで、中国も日本もつながるではないか!
「分鋳法」や「蝋型鋳造法」が、中国と韓国・日本の青銅器の接点になるとは、目から鱗であった。
それにしても自分はなんと視野が狭かったことか!
私は大いに反省し、以来、ものごとを相対化して考えることを心掛けた。
視野を広くすることで自然と地域や時代を超えた「つながり」は見えてくるものだ。
その後、本当に幸いにして、私は奈良の地で職を得ることができた。
凡庸な私が今の仕事を続けられるのは本当に幸せなことだ。
当時、私が過ごした唐津は実に風光明媚なところだ
自転車で回るのがちょうどよい。
唐津はまた必ず再訪したい街だ。
人生のターニングポイントとなった20代のころに過ごした地を訪れると、当時の記憶とともに、自分が考えていたことを思い出す。
私は考古学の研究を通じ、人類のものづくりの歩みを復元していきたいと考えている。
その原点となったのが20代のときの経験だ。
ものづくりの歴史を追い、私は今日も研究を続けている。
丹羽崇史(にわ たかふみ)
奈良在住の考古学研究者。中国・韓国・日本を中心に、過去の時代の人々のものづくりやその技術を研究しています。SAMEJIMA TIMESの筆者同盟の一員として、考古学・文化財に関する記事を執筆しています。考古学や文化財の魅力を発信できればと思っていますので、お付き合いいただけましたら幸いです。写真は中華人民共和国北京市にある大鐘寺古鐘博物館を見学した時のものです。