※本稿は筆者同盟に参画しているハンドルネーム「ゆっくり考える」さんが執筆したものです。
前回の記事では、家父長制的資本制の生み出す家族収奪のカラクリと現代日本の虐待的秩序の一端を、女性の視点から確認しました。
今回は主に男性の視点から、戦争経験世代のPTSD(Post-Traumatic Stress Disorder、心的外傷後ストレス障害)が今日に至るまで世代間伝達されているのではないかという議論を中心に、現代日本の虐待的秩序をみていきます。そして本稿の最後では、「メンズ・クライシス(男性危機)」と独裁政治という問題について、少しだけ考えてみたいと思います。
虐待大国ニッポン
以下の図は、児童虐待相談対応件数の推移を示すグラフです。1990年(平成2年)から2021年(令和3年)に至るまで、児童虐待相談対応件数が一貫して増加していることがわかります。
このグラフをみると、1990年には1101件だった相談対応件数が、2021年には20万7659件に達しています。急激な増加ぶりといえます。なお1990年は子ども虐待の統計が初めて取られた年であり、また昨年の2021年に関する数値は「速報値」で、正式に確定されたものではありません。
増加の理由について、厚生労働省の「令和3年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数(速報値)」は、「心理的虐待に係る相談対応件数の増加」「家族親戚、近隣知人、児童本人等からの通告の増加」「虐待相談窓口の普及などにより、家族親戚、近隣知人、児童本人等からの通告が増加」を挙げています。つまり厚生労働省の分析によれば、児童虐待が実際に増えたというよりも、「これは児童虐待である」と認識する人々が増え、児童相談所に相談する人が増えたということです。
ただし、児童虐待が実際に増えたわけではないと言い切れるのかといえば、専門家の間でも議論があるようです。
たとえば、『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』(誠信書房)などの著書がある杉山登志郎先生は、虐待はもともと存在したのであり、「これまで表に出なかったものが出るようになったことが大きのだろう」としています(杉山登志郎編『発達性トラウマ障害のすべて』日本評論社、1ページ)。
一方で『子どものトラウマ』(講談社現代新書)、『子ども虐待』(講談社現代新書)などの著書がある西澤哲先生は、2017年の論考「急増する児童虐待—その社会的な背景を探る」において、こうしたデータが児童虐待件数の実際の増加幅を正確に表すものではないとしても、「虐待の発生件数が実質的に増加していると推測すべき」であると見ています。西澤先生は、大正年間に形成された「標準的な家族」(核家族)が崩壊し、離婚率が上昇し、シングルマザーが増えているにもかかわらず、「社会的な資源や支援の在り方」が「標準的な家族」を前提としているために支援が届かなくなっているので、「家族の養育機能」が「低下」し、虐待が増えているのではないかとしています。
個人的には、西澤先生の分析には補足が必要だと思います。というのは、この分析だけでは、虐待増加の原因は「標準的な家族」が崩壊したためであると即断されかねず、そのように即断されてしまうと、「標準的な家族」を回復させればいい、「標準的な家族」から外れた人々をもう一度この枠組みに押し戻せばいいとする短絡的な議論を誘発しかねないからです。議論がそうした方向に転がれば、シングルマザーをはじめとする「標準的な家族」から外れた人たちへの抑圧が強まることになるでしょう。
もし虐待が実際に増加しているのだとすれば、その要因としてはやはり、弱肉強食的秩序を強いる新自由主義によって、社会全体から物質的・精神的余裕が失われていること、かつてであればまだしも可能であったのであろう日常生活におけるケアもおこなわれにくくなっていること、家父長制的資本制のもとでの家族収奪がきつくなっていることなどを、考えなければならないと思います。また、そもそも国家レベルで「標準的な家族」像が強固に設定され、国民全体に押し付けられていることが、「しつけ」の名のもとで虐待が発生しやすくなっている一因ではないか、と考えておくことも必要だと思います(注1)。
こうしたことを大前提とした上で、本稿で注目したいのは、冒頭にも述べた戦争経験世代のPTSD、より正確にいえば、PTSDおよび複雑性PTSDが世代間伝達されている可能性を指摘する議論です。
PTSDと複雑性PTSDをめぐる歴史
アメリカのトラウマセンターの設立者であるヴァン・デア・コーク博士の言葉を借りれば、PTSDとはもともと、「戦闘から戻った兵士や事故の犠牲者のために作られた」診断基準です(ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記録する』紀伊国屋書店、236ページ)。
そして現在、PTSDといえば、アメリカの『精神疾患の診断・統計マニュアル第5版』(略称:DSM-5)の基準が適用可能な精神疾患、すなわち、「実際にまたは危うく死ぬ、深刻な怪我を負う、性的暴力など、精神的衝撃を受けるトラウマ(心的外傷)体験に晒されたことで生じる、特徴的なストレス症状群」を指します。その主な症状は「侵入症状」、「回避症状」、「認知と気分の陰性の変化」、「覚醒度と反応性の著しい変化」であるとされ、これらの症状が「1ヵ月以上持続し、それにより顕著な苦痛感や、社会生活や日常生活の機能に支障をきたしている場合」、医学的にPTSDと診断されます(日本トラウマティック・ストレス学会の「PTSDとは」)。たとえなんらかのストレス障害らしきものがあったとしても、DSM-5の基準に当てはまらないと、医学的にはPTSDとは診断されません。
一方で、精神医学の世界では、PTSDの診断基準に当てはまらないにもかかわらず顕著なストレス障害を示す事例を、複雑性PTSD(Complex Post-Traumatic Stress Disorder)や発達性トラウマ障害などの枠でとらえる試みもおこなわれてきました。前述のヴァン・デア・コーク博士やその仲間たちは、臨床を通じ、PTSDの診断基準の一つであるはずのトラウマ体験を必ずしも記憶していない、もしくは少なくとも「虐待の具体的な記憶で頭がいっぱいではない」人にも、児童期のトラウマによって日常生活に困難を来している場合が少なくないことに気づきます。そこでヴァン・デア・コーク博士たちは、こうした人たちを診断可能とするべく、『精神疾患の診断・統計マニュアル第4版』(DSM-4)の刊行に向け準備をしていた作業グループに、複雑性PTSDという新たなカテゴリーを加えることを提案しました(『身体はトラウマを記録する』238ページ)。
通常のPTSDと複雑性PTSDの違いを素人ながらまとめますと、前者が非日常的な事件によって生じるストレス障害をとらえようとする概念であるのに対し、後者は日常生活の中で生じるストレス障害をとらえようとする概念のようです。飛鳥井望ほか『複雑性PTSDとは何か』(金剛出版)によりますと、複雑性PTSDとは、「心身への組織的暴力、家庭内暴力や虐待など長期反復的なトラウマ体験の後にしばしば見られる、感情などの調整困難を伴う心的外傷後ストレス障害(PTSD)である」とされています。
ところがDSM-4の刊行に携わっていた当時の意思決定者たちは、複雑性PTSD の掲載を見送りました(DSM-4は1994年に刊行)。さらに2000年に刊行されたDSM-5にも、複雑性PTSDは掲載されませんでした。杉山先生は、アメリカの精神医学の主流が、なぜかこうしたトラウマ障害の存在を無視し続けてきたと指摘しています(杉山登志郎「解説の試み」、『身体はトラウマを記録する』604ページ)。またヴァン・デア・コーク博士は、複雑性PTSDというカテゴリーが公式に認められなかったばかりに、セラピストは患者を診断する際、うつ病、パニック障害、双極性障害、境界性パーソナリティ障害などのカテゴリーを使うほかなかったと回顧しています(『身体はトラウマを記録する』238ページ)。
それからしばらくの時を経て、複雑性PTSDは、2018年の世界保健機関(WHO)の『国際疾病分類第11版』(ICD-11)に、一つの疾患名としてようやく記載されることになりました。
戦争経験世代のPTSD(ないし複雑性PTSD)の世代間伝達
さて、先のグラフでは、2021年度の児童虐待相談対応件数は、速報値で20万7659件でした。
おそらくはこうした状況も踏まえ、精神科医の原田誠一先生は、精神科医4名が集った2021年のある座談会において、現在の日本には複雑性PTSDが蔓延しているという認識を示し、それは戦争経験世代から世代間伝達されてきたものではないかという興味深い問題提起をおこなっています(『複雑性PTSDとは何か』68-70ページ。あわせて原田誠一「現代の成人期の不安をいかに理解して、対応を試みるか―現在の社会生活の特徴~2種類のPTSD~発達障害をふまえた試論」『精神療法』第45巻第5号、2019年10月も参照)。
原田先生は、複雑性PTSDが大量発生する背景として、差別、軍隊、戦争を挙げ、その上で、とくに軍隊と複雑性PTSDの関係に注目し、次のように述べています。
「軍隊では、戦争以外のときでも、特に日本軍では、先輩が後輩に理不尽で過酷な暴力を振るうことが日常的にあり、それが複雑性PTSDを生む。平時の軍隊における激しい暴力―複雑性PTSDと関連が深いと思われるレポートを、一九三八年に日本の憲兵司令部が行っています。その報告によると、日本の軍人の自殺率は世界一であると推定されています。特に学校の先生になる人たちは、普通の人が、兵役が二年のところを半年で済む、それが癪だということで、特に暴力のターゲットになったらしいのですね。小学校の先生になる高等師範学校の人たちが、半年いる間にやたら殴られ、そして複雑性PTSD的なものを持ち、自分の職場、家庭に戻ってから家族を殴る、生徒を殴る。家族、教育の場でこういったものが広がっていった可能性ですね。あと、当然戦争は、古典的なPTSDや複雑性PTSDを生み出す宝庫で、特に日本は戦争を起こして負けたわけなので、その中で沖縄の地上戦、原爆や大空襲を含めいろいろな経験があり、それが世代間でどんどん広がってしまっている。そういったことをある程度、われわれも認識して、かつ伝えることに意義があるのではないか」(『複雑性PTSDとは何か』69ページ。強調は引用者)
世界一の自殺率を誇っていたと推定される日本軍(なんという非合理的軍隊でしょうか)において盛んにおこなわれていた後輩いじめが、当時教員養成過程にあった人たちに複雑性PTSDを負わせ、戦後はこの人たちが教員となって家族や生徒に暴力を振るい、複雑性PTSDに罹患する人々を大量に再生産してきた可能性があるというのです。
日本軍に対する原田先生の認識は、吉川裕『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)にその大部分を負っているようです。なお吉川先生の著書では、定義や判定をめぐって論争が起きるのを避けるためか、PTSDという言葉は使用されていません。吉川先生の著書は、複雑性PTSDがWTOに正式に認定される1年前の2017年に出版されています。
PTSD(ないし複雑性PTSD)と家庭内暴力
戦争経験世代のPTSD問題(ないし複雑性PTSD問題)は、ジェンダー論的視点からすれば、日本の「有害な男らしさ」や家庭内暴力の問題と、切っても切り離せない関係にあると考えられます。この点について、タレント、エッセイストの小島慶子さんと作家の平野啓一郎さんの対談を参照してみたいと思います。
小島さんはまず、臨床心理士の信田さよ子さんから聞いた話として、次のようなエピソードを紹介しています。
「信田さんはカウンセラーとしての経験を通じて、男たちの戦争経験のトラウマについて再認識させられたそうです。信田氏のカウンセリングで1940~60年生まれの女性たちが語ったのは、父親から受けた凄まじい身体的虐待と母親へのDVの目撃談だったとか。酔って暴力を振るう父親も多かったそうです」(『おっさん社会が生きづらい』PHP新書、179-180ページ)
小島さんはさらに、次のようにも語っています。
「私は、戦争によるPTSDをいまだに日本社会は引きずっている気がします。戦争に行った人たちのPTSDがちゃんとケアされないまま、それが結局、夫が妻を殴りつけたり、子どもに暴力を振るったりというかたちで、戦後の文化に投影されてしまったように思うのです。そしてそのような振る舞いは、家庭内の習慣や学校教育、メディアを通じて正当化され、戦争を知らない私たち孫世代の一部にも引き継がれている。(略)下手をすると、さらに次の世代にも受け継がれかねない」(『おっさん社会が生きづらい』180ページ。強調は引用者)
小島さんの発言を受けて、平野啓一郎さんは次のように発言しています。
「昔のアニメやドラマで、主人公にカミナリを落とすキャラクターっていましたよね。(略)こうした暴力的な男性の表象が戦後よく見られたのは、もしかすると戦争体験の後遺症が目撃されていたからではないかと思うことがあります。/というのも、イラク・アフガン戦争から帰ってきた兵士たちが深刻なPTSDを発症して家族に激昂したり、感情の抑制がきかなくなったりするような症状があったことを、『帰還兵はなぜ自殺するのか』(邦訳、亜紀書房)という本で知ったんです」(『おっさん社会が生きづらい』180-181ページ)
つまり、アジア太平洋戦争はすでに遠い過去のように思われるにもかかわらず、戦争によるPTSD(ないし複雑性PTSD)に起因する暴力的振る舞いが、一つの「男らしさ」として戦後日本の男性文化に組み込まれ、世代間伝達されてきたのではないか、それは戦争を知らない現役世代(おそらくここには女性労働者も含まれます)にも継承されてしまっているのではないか。小島さんはそのように指摘しています。
「あるべき男らしさ」の中の暴力性
ここで、東京の私立小学校で教師をつとめておられ、性的マイノリティでもあるという星野俊樹さんの体験談をご紹介したいと思います。星野さんの体験談は、PTSDもしくは複雑性PTSDを織り込まれた「有害な男らしさ」が、家父長制的資本制の生み出すもろもろの価値観と融合しつつ、家庭や学校で世代間伝達されていたことを示す事例として理解できると思うからです。
以下は、「上半身裸の騎馬戦という「地獄」に苦しんだ僕は、教師になった」『OTEMOTO[オ・テモト]』2022年8月4日)に掲載された、星野さんの体験談の一部です。この記事は9月22日に『ハフィントンポスト』からも配信されました。
「父親は、家庭の中では「暴君」でした。僕の成績が下がると「頭が悪い」「女の腐ったやつ」と怒鳴り散らし、暴力もよくふるいました。会社でうまくいかないことがあると、夜中に「俺はダメな男だ」と叫んでいました。母親のことは見下していて、殴りつけることもありました。学校や塾でも安心できませんでした。
塾の先生からは、問題が解けないと約30枚のチラシを丸めて棒状にしたもので頭を殴られたり、机の下から蹴り上げられたり恫喝されたりしました。成績を上げることしか、父親や先生からの暴力を避ける方法はありませんでした。
家を継ぐものとして、成績がよくなければならない、高学歴であらねばならない、暴力に耐えて強くあらねばならない。いまなら「家父長制」の抑圧であったことがわかりますが、小学生だった当時は、大人に従うしか選択肢はありませんでした」
星野さんはまた、小学5年生の運動会で実施された騎馬戦や組体操がつらかった経験を例にとり、つらい思いをしている男性が、社会構造ではなく女性を憎むようになってしまうメカニズムについて、次のようにも述べています。
「男子は騎馬戦と組体操、女子はチアダンス、と性別によって種目が決まっており、選択肢はありませんでした。しかも男子は全員、上半身裸にさせられたのです。
騎馬戦も組体操も、運動会の「華」とされていた種目でした。練習では、指導と称して先生たちから太鼓のバチで殴られたり、ビンタをされたり。裸だったためケガが絶えませんでした。
そのときに僕を含めた男子たちから上がったのは、「組体操が嫌だ」「裸になりたくない」という訴えではなく、「女子はずるい」という不満でした。「自分たちは叩かれながら練習しているのに、女子は楽をしている。不公平だ」と。
弱音を吐くのは男らしくないと思い込んでいたのかもしれませんが、そもそも言われた通りにやらなければ暴力をふるわれるような状況で、嫌だと言う選択肢があることすら知らなかったのだと思います。
自分たちのつらさを大人に訴えることができない代わりに、怒りの矛先を女子に向けていたのです。
ここ数年、SNSなどで女性が差別や生きづらさを訴えているときに、男性が「男だって生きづらいんだ」と乗っかってくる現象を見かけることがあります。幼い頃、男子がつらさを訴えられず、「女子だけずるい」と言っていた構造と同じことが続いているように見えてなりません」
さらに星野さんは、男性仲間との「内輪ノリ」に必死に過剰適応し、性的マイノリティとしての志向を押し隠す中で、自分にも他人にも冷たい「自己責任論者」になっていった過程を吐露しています。
「今では考えられないことですが、高校の卒業文集に掲載されたクラスアンケートの中に「ホモかもしれない奴」を選ぶ投票があったんです。1位に名前が上げられていたA君には、3分の2の生徒が投票していました。
投票結果に自分の名前がなかったことに心底ホッとしました。同時にA君に対して「ホモだと思われてお気の毒。うまく立ち振る舞えなかったんだから自己責任だよね」と本気で思っていました。
他者を差別するだけでなく、自分のことも差別していたんだと思います。「ホモはキモい」「男子ノリを楽しめないなんて男らしくない」という攻撃を自分自身に向けていました。大嫌いな本当の自分を隠し通し、嘘で固めた”自分”をつくっていました。
そして常に誰かと比較して、人間関係を勝ち負けで見ていました。社会問題や構造には目を向けることなく、自分は努力したから生き残れたんだ、と思っていたんです。ゴリゴリの自己責任論者になっていました」
星野さんのこの明晰な自己分析からは、「あるべき男らしさ」がいかに星野さんや星野さんの父親を追い詰めていたかが窺えます。会社でうまくいかないと「俺はダメな男だ」と叫んでいた星野さんの父親は、「あるべき男らしさ」に自分を合わせようと必死だったのでしょう。そして、息子の成績が下がると「女の腐ったやつ」といって暴力を振るい、パートナーの女性を見下してはまた暴力を振るっていました。つまり、この「あるべき男らしさ」は、きわめて強烈な女性蔑視と表裏一体の関係にありました。
星野さん自身も、そうした「男らしさ」が「当たり前」の環境に慣らされ、嫌なことは嫌だといっていいという発想すら持てずに無力感を深め、女性に対してのみならず、自身の本来のアイデンティティであるはずの性的マイノリティに対してさえ、敵意に満ちた差別感情を深めていきました。そして、「常に誰かと比較して、人間関係を勝ち負けで見て」、「社会問題や構造には目を向けることなく、自分は努力したから生き残れたんだ、と思」い、「ゴリゴリの自己責任論者になって」しまったとあるように、初めは被害者であった星野さんは、弱者切り捨てを支持する加害者のメンタリティを身につけるに至りました。
「メンズ・クライシス(男性危機)」と独裁政治
ヴァン・デア・コーク博士は、第一次世界大戦後にファシズムと軍国主義が台頭した原因のひとつとして、人々が自国の兵士が負ったトラウマを認めようとせず、「弱さ」に不寛容だったこと、いいかえれば、トラウマを負った人間に適切なケアをしなかったことを挙げています(『身体はトラウマを記録する』308ページ)。適切なケアを受けられなかった被虐待児は、長じて被害者意識をもつ加害者となりやすいことが知られています。かつていじめられていた者は他人をいじめるようになり、いつも冷たくされてきた者は他人に冷たくするようになり、つねに強くあれと煽りたてられてきた者は弱い者を軽蔑するようになります。ファシズムと軍国主義に至る文化的土壌は、こうしてつくられたのだというのです。
ヴァン・デア・コーク博士の見解にやや補足しておきますと、歴史学的にみた場合には、ファシズムや軍国主義は、近代的な国民国家の問題を抜きには語れないものとなっています。国民国家における「あるべき国民」像には、戦争(とくに総力戦)や資本主義経済の影響を受け、「頑強な(男性)軍人」や「生産的な(男性)労働者」のイメージが織り込まれています。つまり、「頑強な(男性)軍人」や「生産的な(男性)労働者」にはなれない男性への軽蔑や差別は、国民国家の構造それ自体から発生している根深い問題だということです。
その一方で、個人的には、冷たい社会からファシズムや軍国主義が発生するというこのやるせない悪循環は、群れをつくるサルとしての本能に発している部分も大きいのではないかという疑いも、年々強くなっています。
実はファシズムをめぐる研究の中には、独裁者を支持する人々が、貧困層からではなく、あらゆる階級から調達されていたことを指摘するものがあります。ですからファシズムの台頭は、階級分析だけではうまく説明ができません。しかしジェンダー論的にみれば、各国のファシズムは、男性指導者のもとに団結する大変マッチョな政治体制であったという点で共通しています。
おそらく我々が今よりももっとサルであった頃、「危険な環境」のもとでは、つねに周囲を警戒しつつ、強いボスを中心に形成されたオスザル同士の緊密な集団(ホモソーシャル)に加わり、群れに貯めこまれた資源(メスザルを含む)にありつき、隙を見ては実力行使に出て自身の存在をアピールするようなオスザルのほうが、子孫を残す確率が高かったのではないか、これが家父長制/パトリアーキーの生物学的起源なのではないか……そう思われてきます。そして、この動物的部分が、弱者切り捨て政治を推進する独裁的リーダー(=強そうなボス)を、その政策が自身に跳ね返るものであるにもかかわらず熱心に支持し、独裁的リーダーに同調して弱者叩きに勤しんでしまう権威主義的傾向につながっているのだと思います。
ポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)を応用したトラウマ治療の知見(注2)も参照しますと、幼少期から「安心できない環境」に置かれ続けた人は、自律神経系の調整がうまくできなくなるといいます。ポリヴェーガル理論では、人間の脳には闘争・逃走の反応を司る交感神経系と「凍りつき」の反応を司る背側迷走神経系があると考え、自律神経系の調整がうまくいかない人は、交感神経系による過覚醒モードと背側迷走神経系による低覚醒モードのどちらか一方になる、もしくは双方を乱高下するようになると考えます。闘争・逃走の反応とは、文字通り、敵と戦うか、敵から逃げるかするために必要になる反応のことです。「凍りつき」の反応とは、肉食獣に食べられてしまいそうなときなどに、苦しくないよう感情や感覚が麻痺する、もしくは相手の興味を失わせるために仮死状態になる反応のことです(注3)。
闘争・逃走か「凍りつき」かのいずれかしかない状態になってしまうと、他人と交流する力をうまく身につけることができず、周囲をつねに警戒し攻撃的になったり、抑うつ状態がひどくなったりするなど、さまざまな症状に悩むようになるといいます。「俺は強いんだぞ」と過剰に威嚇・マウンティングする姿勢をやめられなくなってしまうのも、この文脈で理解できます。人間には独裁政治に対抗する横の連帯を築いてきた歴史もありますが、恨み、不安、怒りで頭がいっぱいの状態では民主主義的な横の連帯を築くことが難しくなることを、ポリヴェーガル理論は示唆していると思います。前向きな民主主義には、現状に対する怒りとともに愛――女性や子どもを服従させる家父長制的/パトリアーキー的愛ではなく、理性と良心に基づく対等な同胞の精神としての隣人愛――が必要となるゆえんです。
さてそうなると、弱者切り捨て政策やその他のさまざまな方法によって「メンズ・クライシス(男性危機)」(注4)を引き起こせば、強そうなボスザルを中心に団結しようとする男性たちの動物的防衛本能を広範囲に刺激することができ、独裁政治をおこなう上で有利になる――トラウマ研究、サル学、そしてジェンダー論の組合せからは、このようなことが言えるように思います。
もちろん、独裁的リーダーを支持して資源にありつこうとするサル的・ファシズム的傾向は、女性にもあります。極右的集団の活動家となる女性もいます。したがって女性が指導者となれば万事解決ということではありません。私は、意思決定層における男女比率がもたらす政治文化に注目したいと考えています。意思決定層に女性が増えれば、オスザル集団が団結して他集団と資源を奪い合うかのような傾向には、一定のブレーキがかかるのではないかと思います。古代ギリシアの作家アリストファネスは、ペロポネソス戦争の時代に、戦争ばかりする男たちに女たちがうんざりし、奇抜な平和運動をおこなう喜劇『女の平和』を書いていますが、これは古代ギリシアの時代から、戦争に対する男女の感覚に温度差があったことを示しているのではないでしょうか。また男性学を専門にする多賀太先生は、「おそらく今後女性の管理職比率が高まってくるにしたがって、一時的におっさん的な女性が増えてくることはあり得ると思います。ただ、それはあくまで一過性のもので、長期的にはそうではなくなるとも思います」と述べています(『おっさん社会が生きづらい』76ページ)。
鮫島タイムスの7月19日公開の記事「山上徹也容疑者が私のツイートに反論していた!?「ネトウヨ」を自称しつつ知識も教養も感じられる投稿の数々」では、コメント投稿者の方々が「「弱者切り捨てが既存権力〔を〕維持する最適解である」という頑強な構造」という絶妙な表現を使っておられました。ジェンダー論的な視点をここに追加させて頂けるなら、「弱者切り捨て」が「既存権力を維持する最適解」となる原因として、上に述べたような問題があることも、考慮されてよいのではないかと思います。
伊藤公雄先生によれば、ジェンダー平等先進国で知られるスウェーデンでは、全国30カ所に男性のための相談機関が設けられ、「メンズ・クライシス」に対応しているとのことです。伊藤先生は、スウェーデンのような男性政策が日本にも必要だとしています。私も、ファシズムや軍国主義の防止および民主主義の防衛という点からしても、そうした政策が日本には必要かもしれないと感じています。もちろん精神面に対するアプローチだけではだめで、一部の人々に富と権力を集中させる家父長制的資本制の解体も、同時に目指される必要があります。
外部から介入されて軌道修正するのではなく、学びを通じてみずから踏みとどまる人もいます。前述の星野さんは、その後、大学でジェンダー論を学んだことで、みずからを縛っていたものの正体に気づいたといいます。そして現在では、次の世代には同じ思いをさせないという決心のもと、教壇に立っておられるとのことです。サルがヒトに進化するとはまさにこのようなことなのだと思うと同時に、こうした動きが心ある男性の側からも幅広く巻き起こってくれば、弱肉強食を肯定する社会の雰囲気は大きく変化するのではないかと思います。
注1)「標準的な家族」像、「標準的な父親」像、「標準的な母親」像、「標準的な子ども」像等が上から想定されると、そこからの偏差が大きい人(性的マイノリティ、発達障がいのある人など)に対し、その人固有の事情を無視して「異常」「おかしい」「劣っている」などのレッテルが貼られやすくなります。当事者の現実を無視した力尽くの「しつけ」や「矯正」は、事実上の虐待となります。
注2)この点については、主に、花丘ちぐさ『その生きづらさ、発達性トラウマ?――ポリヴェーガル理論で考える解放のヒント』(春秋社)を参照しました。ポリヴェーガル理論の妥当性をめぐっては、専門家の間でまださまざまな議論があるようですが、個人的には、説得力のある理論だと感じます
注3)肉食獣は、死んで動かなくなった動物よりも、生きて動いている動物をおいしそうだと感じるのだそうです。死んでしまった動物は腐っているかもしれず、腐ったものを食べるとお腹を壊す可能性があるためです。そのため、仮死状態になって相手の興味を失わせれば、運がよければ生き延びることができます。
注4)「メンズ・クライシス(男性危機)」という言葉は、伊藤公雄先生の記事から取りました。伊藤先生は、ジェンダー平等の流れについていけない男性の問題を「メンズ・クライシス」と呼んでいますが、私はこれを、男性が直面するさまざまな精神的危機を幅広く指すものとして使用してもいいのではないかと思います。
ゆっくり考える(ハンドルネーム)
東京郊外育ち。SAMEJIMA TIMESの一読者。研究・教育業界の片隅で日本を眺めています。気になった問題をゆっくり考えます。縁あってSAMEJIMA TIMESに寄稿する機会を頂くことになりました。