今年も「9・11」がやってきた。
8年前のきょう、当時の朝日新聞社長である木村伊量社長は東京・築地の朝日新聞社で緊急記者会見を開き、私が朝日新聞特別報道部デスクとして出稿した福島原発事故をめぐるスクープ「吉田調書」報道を誤報だったとして取り消し、関係者を処罰すると発表した。
私たち取材班は朝日新聞社から処分され、調査報道を専門とする特別報道部も廃止に追い込まれた。私は当時、記者会見に乗り込まないように本社13階の小部屋に「軟禁」され、そこからニコニコ動画で社長会見の様子を観ていたのだった。
政府が非公開としてきた「吉田調書」を朝日新聞特別報道部が独自入手して報じた2014年5月20日、木村社長は「これは今年度の新聞協会賞だ」と絶賛してただちに表彰したこと。
私たち取材班が5月下旬に記事を補足・修正する紙面計画を提起したのに社長の取り巻きたちは「新聞協会賞の申請に水を差す」として拒絶したこと。
実際に朝日新聞は7月上旬に「吉田調書」報道を新聞協会賞に申請したこと。
木村社長が主導して8月上旬に慰安婦問題をめぐる過去の「吉田証言」報道を取り消した問題で朝日バッシングが高まり、安倍政権が原発事故をめぐる「吉田調書」報道への反撃もあわせて開始したこと。
木村社長は安倍政権と支持勢力のバッシングに屈し、自らは直接関与していない「吉田調書」報道を一転して取り消すことで事態を収拾し、大阪社会部出身で社内基盤の弱い渡辺雅隆氏を後継指名して「院政」をしこうとしたが失敗したこと。
これら朝日新聞社内で当時起きた騒動は、私の新刊『朝日新聞政治部』で生々しく再現されている。
9・11は朝日新聞が国家権力に屈し、ジャーナリズムの精神を失った重大な節目だ。私は「朝日新聞が死んだ日」と思っている。
この日を境に朝日新聞は安倍政権の追及に及び腰になっていった。そればかりか安倍政権が進める国家プロジェクトの東京五輪のスポンサーとなったのだ。自民党と旧統一教会の問題を徹底追及しない現在の紙面は、その延長線上にある。
実は本書の当初のタイトル案は『朝日新聞が死んだ日』だった。私の原稿の一文を、講談社の編集者がタイトル案として採用したのだった。確かにパンチの強いタイトルだが、恨みがましく思われるのは私の本意でなく、未来志向のイメージで本書を締めくくりたい思いもあった。さらにはネット時代に「死んだ」というネガティブな表現は拡散しにくいことも考慮し、タイトルを変更してもらった。
結果として、現時点で4・8万部を超える好調ぶりである。「いや、タイトルを変えて成功でした」と編集者も言ってくれている。
本書でも示したが、木村社長を受け継いだ渡辺雅隆社長の経営陣は、9・11になると「きょうは9月11日です。一連の問題の反省を忘れないようにしましょう」などという社内放送を流し、何年経っても自分たちの無為無策による経営悪化の責任を「9・11」に転嫁して誤魔化し続けたのだった。その渡辺体制の6年間で朝日新聞の発行部数は200万部以上激減し、2021年には創業以来最悪の赤字に転落して渡辺社長は引責辞任に追い込まれた。
私よりも「9・11」にしがみついてきたのは、一連の事件で当時の中枢ラインがこぞって失脚したことにより、棚からぼたもちで出世した渡辺社長ら経営陣たちだったのだろう。
無能な経営者が実権を握ると、自らの地位保全のために権力を内向きに行使し、会社は一気に傾く。新刊『朝日新聞政治部』を読んでくれた経営者やサラリーマンからは「他山の石としなければ」「うちの会社と同じだ」という感想が私の元へ多数寄せられている。
今年5月27日に『朝日新聞政治部』が発売された後、ありがたいことに実にたくさんのメディアが取材して本書を紹介してくれた。そのなかで取材者の多くが質問してくるのは「朝日新聞社の反応はどうですか」だった。
その答えを言うと、現時点において、朝日新聞社自体からは何の反応もない。
朝日新聞社はいま、大リストラの旗を振っている。早期退職制度を利用して会社を辞めた私と対立すると、これから退社しようとする記者たちが「自分も辞めた後に会社に攻撃されるかもしれない」と尻込みすることを会社は恐れているのではないかと私はみている。つまり会社批判を封じることよりも、ひとりでも多くの記者に辞めてもらうことを優先しているというわけだ。
朝日新聞社はそれほどまでに経営的に追い込まれている。
一方で、朝日新聞社は会社に残ろうとする現役社員たちへの締め付けを強めている。SNSで朝日記事を批判するなど会社にとって都合の悪い発信をすればただちに注意され、撤回を要求される。それでも従わないような「扱いにくい記者」たちは、通称「追い出し部屋」行きなど強烈な人事が待っている(以下の記事参照)。会社の悪口を言いたいのであれば、その前に辞表を提出してから言えーーということだろう。
自民党と統一教会の歪んだ関係を報じない朝日新聞の闇〜追い出し部屋行き人事に怯える朝日記者たち
かつての同僚からは私の元へ個別に『朝日新聞政治部』の感想が寄せられているが、その多くは会社のメールではなく、個人的なSNSなどだ。その多くは「会社のメールは会社に監視されている」「鮫島と連絡をとっているのがバレると会社に睨まれる」などと、震えながら感想を送ってくる。だから私からはなるべく現役社員には接触しないようにしている。
朝日新聞社は「ジャーナリスト集団」というよりは「朝日新聞社員としての地位を守りたいサラリーマン集団」と化してしまった。彼らの縮こまりぶりをみて、会社を辞めてほんとうによかったと思う。
そのなかで『朝日新聞政治部』に重要人物として登場する先輩から長文の手紙が届いた。
この内容は決して公表しないでほしいと強く釘を刺したうえ、2014年当時、自分がどのような考えに基づいて行動したのかということを詳細に綴りつつ、私の本に対する見解を縷々述べたものである。全般としては「俺は間違っていなかった」という思いを私個人に伝えておきたい内容であったと受け止めた。
私が知らなかった会社中枢の新事実がある一方、私から見ればこの重要人物にも正確な情報が上がっておらず、誤った認識をもとに様々な決定が下されていたことを再認識させられる内容であったが、私とは別の視点から当時を振り返る内容として興味深く拝読した。
本書に実名で登場した当時の朝日新聞幹部たちは私と同様、自らの名を明かして当時の言動を自己検証し、日本のジャーナリズム史に残る重大事件の真相を検証するための材料を公に残してほしいと私は願っている。やましいところがなければ、できるはずだ。いや、やましいところがあっても、ジャーナリストの責務として、それを果たしてほしい。
とりわけその責任が重たいのは、当時の木村社長その人である。原発事故をめぐる「吉田調書」問題に加え、彼が主導した慰安婦報道をめぐる「吉田証言」問題について、特に真相を公にする責務がある。
なぜ、あのタイミングで過去の慰安婦記事の取り消しに手をつけたのか、当時の安倍晋三首相とは水面化でどのようなやりとりがあったのか、すべてを吐き出し、歴史的審判を受けるべきだ。
そのことを「9・11」を機に改めて求めたい。