朝日新聞が3月5日朝刊に、福島第一原発事故で発生した汚染水を「ALPS」と呼ばれる装置で処理した後に海洋放出することへの理解を求める経済産業省の全面広告を掲載した。「福島の復興へ みんなで考えようALPS処理水のこと」と題する全面広告はこんな書き出しだ。
東日本大震災の発災、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故から12年。今年は原発廃炉作業の一環として、ALPS処理水の海洋放出が始まる見通しです。経済産業省は処理水への理解を深めてもらうため、全国の高校生を対象とした出張授業を開催。生徒たちは処理水や海洋放出の安全性、風評への対応などについて考え、意見を交わしました。授業の様子を紹介します。
ALPSによる処理では放射性物質トリチウムは除去できない。このため廃炉作業で日々大量に発生する処理水をこれまでタンクに貯蔵してきたが、経済産業省は貯蔵コストを抑えるため、処理水を国の放出基準を下回るように海水で希釈し、全長1キロの海底トンネルを通して沖合に放出する方針だ。
けれども「海水で希釈して海洋放出するから安全」という理屈はナンセンスだ。大海原に放出することによる環境への悪影響を判断する際に重要なのは、放射性物質の「濃度」ではなく「量」である。どんなに海水で薄めたところで放出される放射性物質の「量」に変わりはないことは、小学生にも理解できる理屈だ。
この海洋放出には地元漁業関係者だけでなく、国内外から厳しい視線が注がれている。そこで経済産業省は朝日新聞をはじめマスコミに広告を掲載して「海洋放出の安全性」について理解を求めたうえで、今年中に海洋放出に踏み切るつもりなのだ。
この広告内容の分析については、朝日新聞0Bのジャーナリストである烏賀陽弘道さんがツイートで解説しているので参考にしてほしい。
きょうは国内外で環境破壊や安全性への懸念が根強いなかで「海洋放出」に踏み切ろうとする経済産業省の広告を朝日新聞が掲載した問題について改めて指摘しておきたい。
朝日新聞の発行部数はついに400万部を下回り(私が入社した1994年の半分の水準である)、経営悪化にともなう大リストラが進んでいることは鮫島タイムスでも繰り返し指摘してきた(『自民党と統一教会の歪んだ関係を報じない朝日新聞の闇〜追い出し部屋行き人事に怯える朝日記者たち』など参照)。
発行部数の激減と並んで深刻なのは広告単価の暴落だ。
朝日新聞関係者によると、全面広告の相場はかつて3000万円だったが、近年は数百万円にまで値引きしても顧客がなかなか見つからないのが実情だという。そのなかで往年の「定価」で新聞広告を掲載してくれるのは、私たちの税金から広告料を気前よく支払う政府や自治体くらいである。
このため、広告部門は政府や自治体への営業活動を強めている。政府や自治体が出す新聞広告には批判記事を封じる狙いが込められていることは百も承知である。
新聞社経営は政府広告や自治体広告への依存度を高めている(もちろん広告だけではなく、政府や自治体は新聞購入の大口顧客でもある)。それほど新聞社経営は背に腹は変えられない状況なのだ。
読売新聞が大阪府と包括連携協定を結んだのもそのような背景がある。
朝日、読売、日経、毎日、産経の全国紙5紙が東京五輪のスポンサーになったのも、東京五輪関連の政府広告を大量受注することを狙ったからにほかならない。朝日新聞が経済産業省の全面広告を掲載したのも「政府広告依存」の流れに沿ったものである。
この広告が東京五輪広告と同様に深刻なのは、報道・言論機関である新聞社が多額の税金が投入される国家プロジェクトに国内の賛否が割れていることを承知の上で、国家権力のプロパガンダを丸ごと掲載している点だ。
いくら「記事と広告は別」と抗弁したところで、政府広告への経営依存を強めていることが明らかな今、これでは日々の紙面で「五輪」や「原発」を批判しにくくなるという懸念は、誰にでも浮かんでくるだろう。政府からの広告収入に目がくらんで読者からの信用を失う自殺行為としかいいようがない。
経産省もこの広告で国内外の世論の理解が進むとは思っていないだろう。朝日新聞の海洋放出に対する批判報道を牽制するとともに「新聞広告を掲載することで国内世論の理解を得る努力を尽くした」というアリバイを作ることに主眼があるとみられる。
朝日新聞が全面広告を掲載すること自体が、近く海洋放出を強行する経済産業省のシナリオに全面加担する行為であるという批判は免れない。
政府は新聞社の経営難につけ込んで大量の政府広告を投入することで報道支配を強めようとしている。それにのっかっている新聞社にもはや権力監視の役割を期待するのは無理だ。
東京五輪もワクチン接種もマイナンバーカードも増税も原発も、いまの新聞社には国家権力の意向に異議を唱える大キャンペーンを展開する意思も体力もない。せいぜいできるのは「両論併記」くらいだ。いまの新聞記事に迫力がない大きな原因がここにある。
朝日新聞がジャーナリズム精神を失うに至った経緯は、実名報道を原則とする拙著『朝日新聞政治部』で克明に描いたが、状況はますます悪化する一方だ。もはや新聞社がジャーナリズム再建に全力を尽くす可能性は極めて低く、ネットメディアの成長に期待をつなぐほかないことを再認識させられる全面広告であった。