朝日新聞が5月1日から購読料を引き上げると社告で発表した。朝夕刊セットは月額4400円→4900円の大幅な値上げだ。朝刊のみも3500円→4000円へ500円アップ。朝刊1部売りは160円→180円。いずれも10%を超える値上げ幅である。
朝日新聞は2021年7月に値上げしたばかり。新聞用紙などの原材料や配送経費の高騰を理由としているが、異例のハイペース値上げが読者離れを加速させるのは間違いない。
読売新聞は朝日新聞を横目に「少なくとも1年間は値上げしないと発表(朝夕刊セットで月額4400円)。新聞業界の縮小するパイを奪い合う構図が浮かび上がる。業界の横並びを続ける余裕も失い、双方なりふり構わぬ競争に突入したということだ。
私が朝日新聞に入社した1994年当時の発行部数は800万部を超えていたが、昨年にはついに400万部を下回った。近年は3年で100万部を失うペースである。発行部数の減少に歯止めがかからない。
企業が新聞広告に見切りをつける中、新聞経営は政府広告への依存を深め、朝日新聞も読売新聞と一緒に広告目当てに東京五輪スポンサーになる始末。東京五輪でもコロナ対策でも政府批判どころではなく、政府と共に国策の旗を振る紙面を展開しているのが実情だ。いまや政府広報紙のようで実につまらなく、読者離れが加速するのは当然である。
かつての同僚に聞くと、もはや「読者拡大」で経営を再建することや「政権を揺るがす大スクープ」を狙って報道機関の使命を果たすことよりも、公的機関や富裕な高齢層など上級国民の一部読者を囲い込みつつ、とにかくリストラを進めて会社を少しでも長く延命させることを志向しているという。
さらなる発行部数の減少はすでに織り込み済みなのだ。会社上層部の世代が逃げ切るための「緩やかに衰退していくソフトランディング路線」である。典型的な縮小再生産といっていい。
今回の大幅値上げも「目先の利益確保」を追うもので「一人でも多くの読者に記事を読んでもらいたい(=読者拡大)」という記者の思いを放棄してしまっている。もはやジャーナリスト集団というよりも会社の延命(正社員としての地位保全)に懸命なサラリーマン集団と呼ぶほうが実態に即している。
ジャーナリズムを志す若者から進路相談を受けることが時折あるが、いまの朝日新聞社はとてもオススメできない。社員たちの話をきいてもみんな暗く内向きだ。そのような組織に身を置いてもジャーナリストとしての成長は期待できない。
ジャーナリストであることと会社員であることは両立しがたい。そんな現実を映し出す朝日新聞の惨状である。
私は2021年5月に朝日新聞を退社した際、新聞購読をやめた。
社員時代は朝日新聞をタダで配達してもらっていたが、独立すると自腹で購入しなければならない。毎月数千円を払う価値があるやいなやを吟味して「価値なし」と判断した。この時、私は読者の購読料負担への認識を欠いたダメダメ新聞記者だったと深く反省した。
SAMEJIMA TIMESを創刊して最初に手がけた連載『新聞記者やめます』でもその思いを吐露した。朝日新聞を反面教師にして小さなメディアSAMEJIMA TIMESを運営しているつもりである(当サイトはすべて無料公開である!)。
新聞記者やめます。あと80日!【私は27年間、新聞をタダで読んできました】
退社以来、朝日をはじめ新聞はほとんど読まず(ネットサイトに無料配信された記事には目を通している)政治ジャーナリストとして執筆・講演活動をしているが、困ったと感じたことは一度もない。マスコミに限らず様々なネットメディア、個人のジャーナリストが発信する動画や記事を効率よく検索すれば、新聞より早く広く深く安く国内外の情報を収集し、レベルの高い分析・解説に触れることのできる時代になった。
時折、出張先のホテルのロビーで新聞を見つけたら久しぶりに広げてくまなく読むことにしているが、新鮮な情報や斬新な解説、心揺さぶられる文章に出会った試しがなく「時間の無駄だった」と思うことばかりである。どこかで読んだことのある差し障りのない情報や解説で紙面は溢れている。お金と時間をかけて読む価値はない。
良質な記事も時に存在するのだろうが、オリジナリティを欠く記事で埋め尽くされた紙面の中から稀少な記事を見つけ出すために新聞を定期購読するのは時間的にも経費的にもあまりに効率が悪い。
朝日新聞の値上げ社告にも気づかなかった。神戸市で一人暮らししている母(77)にたまたま電話した際に「朝日が値上げする」と知らされたのだった。母はスマホを持っていない(SAMEJIMA TIMESも読めない!)。新聞を情報源にしている。だから購読を続けるという。だが、近くで暮らす私の姉は朝日新聞に社告が出た日、ついに販売店に電話して購読を打ち切ったということだった。
会社の延命を最優先に縮小再生産に入った朝日新聞の経営者たちには、私の母や姉のように生活費を切り詰めて購読料を払ってきた読者のことはもはや眼中にないのだろう。暮らし向きに余裕がなく、500円の値上げが重くのしかかる読者は離れていっても仕方がないと思っているに違いない。
彼らの視線の先にあるのは、発行部数が激減してもなお数千万円の「昔の定価」で新聞広告を出してくれる政府や自治体だ。だから財務省の言うままに増税の旗を振るのである。上級国民による上級国民のための新聞に成り果てたのだ。