建設業の受注実態を表す「建設工事受注動態統計」で、国土交通省が建設業者から提出された受注実績データを改竄していたことが発覚した。朝日新聞が12月15日、「国交省、基幹統計を無断書き換え 建設受注を二重計上、法違反の恐れ」と報じた。国家権力による露骨な「統計操作」であり、政府発表の基幹統計への信頼度を根底から崩壊させるものだ。
この統計は建設業者が公的機関や民間から受注した工事実績を集計したもので、国内総生産(GDP)の算出のほか、月例経済報告や中小企業支援などの基礎資料になる国の重要な基幹統計だ。全国の業者から約1万2千社を抽出調査。都道府県が回収して国交省に報告し、国交省が集計して毎月公表している。
記事によると、国交省は業者が提出期限に間に合わず数ヶ月分をまとめて提出した場合、この数ヶ月分の合計を最新の1ヶ月の受注実績として書き直すよう都道府県の担当者に指示。都道府県の職員らは建設業者が鉛筆で書いてきた受注実績を消しゴムで消して書き換えていた。
国交省による毎月の集計では、未提出業者の受注実績をゼロにせず、提出業者の平均を受注したと推定して計上しており、「二重計上」が生じて数字が過大になっていたことになる。統計法違反に当たる恐れが濃厚だ。
朝日新聞は国交省が都道府県の担当者向けに配布した資料を入手。そこには「すべての数字を消す」「全ての調査票の受注高を足しあげる」などと露骨な指示が記されていた。
国の基幹統計をめぐっては、2018年末に厚生労働省所管の「毎月勤労統計」が、決められた調査手法で集計されていなかったことが発覚。この問題を受けて全ての基幹統計を対象とした一斉点検が行われたが、今回の改竄は明らかになっていなかった。今回は生データに手を加えていた点で、より悪質といえる。
森友学園事件で安倍晋三首相夫妻の関与を隠すために財務省が組織ぐるみで公文書を改竄した事件に続いて、中央省庁の信じがたいモラル崩壊が明らかになったといえるだろう。
さらに続報の「国交省職員、検査院の指摘後は自ら統計書き換え 自治体には中止指示」によると、会計検査院が2020年1月までに改竄に気づいて調査を開始。それを受けて国交省は都道府県に書き換え作業をやめるよう指示する一方、国交省職員が書き換え作業を行なっていたというのだから、あいた口が塞がらない。
記事はもちろん取材源を明らかにしていないが、国交省のあまりにも悪質な改竄行為に怒りを抱いた会計検査院や都道府県らの関係者らが内部資料を持ち込んだとみられる。見事なスクープ記事である。
ただし、このスクープ記事にはふたつ残念な点があった。現在の朝日新聞をはじめとするマスコミの萎縮ぶりを映し出すものなので、ここに記したい。
ひとつ目は、国交省職員が都道府県の担当者に対し、業者提出資料の数字を消して書き直すという露骨な指示をする内部文書まで入手しながら、一連の行為を記事のタイトルや本文で「書き換え」と表記し、「改竄」という言葉を使わなかったことだ。
もちろん「書き換え」と「改竄」は、言葉の辞書的な意味として大きな違いはない。しかし言葉の持つ響きや社会的意味合いは明らかに違う。「改竄」のほうが「不正」の印象が極めて強い。国家権力による露骨な「統計操作」の実態を暴くスクープとしては、どう考えても「改竄」という言葉がピッタリあてはまる。
その「改竄」をあえて使わず、わざわざ「書き換え」という表現にとどめたのは、国家権力の監視・追及に対して及び腰な印象をどうしても与えてしまう。
実は朝日新聞が森友学園事件を巡る財務省の公文書改竄をスクープした時も、第一報では「改竄」ではなく「書き換え」と表記していた。財務省が「書き換え」を認め、マスコミ各社が朝日報道に追従し、世論の批判が高まった時点で「改竄」という表記に置き換えていった経緯がある。
国家権力に対する調査報道は、国家権力が報道の些細な部分の間違いを指摘して記事全体を否定してくる「逆襲」を受ける恐れがあり、脇を固めて慎重に進めなければならない。まずは事実関係をガチガチに固め、表現の細部にまで神経を尖らせて、権力側が「降参」して不正を認めた時点で強い表現におそるおそる変更していくという姿勢は理解できなくはない。
私が朝日新聞特別報道部で調査報道に携わった時も、社会部を中心に「記事のわかりやすさや追及姿勢」よりも「権力側の逆襲に備えて慎重な表現に徹すること」を重視する調査報道姿勢にしばしば接した。このような「守り重視」は現場記者よりデスク、部長、編集局長とポストが上になるほど強まる。今回のスクープも財務省の公文書改竄報道の前例に従って第一報では「改竄」ではなく「書き換え」という表記にとどめて慎重を期すことにしたのは編集幹部と協議した上の判断であろう。
そのような事情を考慮した上でも、今回の記事では最初から「改竄」と表記してほしかった。国交省の露骨な統計操作はどうみても「改竄」という表現がふさわしい。
まして財務省の「公文書改竄」事件で、「改竄」という言葉が国民に広く周知された経緯を踏まえると、今回のスクープは「中央省庁がまた改竄か」「公文書改竄事件の反省がまったく行われていない」という官僚機構のモラル崩壊を示す事実として、実に大きな意味を持つ。「書き換え」と表記することで、スクープのインパクトが減じるばかりでなく、厚労省の統計不正や財務省の公文書改竄に続く「不正の連続性」の印象が薄れてしまうことがとても残念だ。
さらに国家権力側の逆襲をおそれるあまり、「改竄」を「書き換え」と表記したことは、権力側への忖度や配慮があったのではないか、権力追及に及び腰なのではないかという疑念を惹起させる。
今回の調査報道に直接かかわった記者たちはともかく、最終的に記事のタイトルや扱いを決める編集幹部たちは権力追及に怯んでいるのではないか、これから厳しい権力批判報道は行われるのだろうか、仮に安倍政権時代のように権力側が不正を認めず開き直った場合(あるいはトカゲの尻尾切りで済ませた場合)、朝日新聞は断固として不正追及を続けることができるのだろうか、権力側が不正を認めた範囲内での批判にとどまるのではないかという疑念も抱かせる。
日々の紙面で権力側への忖度や配慮がにじむ記事が目に付くことが、そのような疑念をさらに深める要因になっている。だからこそ今回のスクープでは堂々と「改竄」と表記してほしかった。権力側が不正を認めない場合も断固として不正の本丸に切り込むという新聞社としての強固な意思と覚悟を示すためにも、権力側の出方を見極めるのではなく第一報から「改竄」と表記してほしかった。
朝日新聞が第一報で「書き換え」と表記したことで、他のマスコミも「書き換え」という表現で追従しているようである。ここはいちはやく「改竄」に改め、「財務省の公文書改竄に続く重大な不正」というキャンペーンを展開し、大々的な権力監視・権力批判報道を展開してほしい。
残念な点のふたつ目は、この不正行為が始まったのは「2013年度から」と明記しながら、この「2013年度」が安倍政権が発足し、経済成長率の上昇をめざすアベノミクスが本格スタートした年であることを第一報で触れていないことである。
これは国交省が不正に手を染める動機に直結する重大な点である。安倍官邸がアベノミクスの成果を強調するなかで、中央省庁がその成果を裏付ける「統計」を強引に作り上げたという「不正の構図」が透けて見える。厚労省の統計不正も同様の構造であったし、財務省の公文書改竄も安倍官邸に従順なあまりの不正行為だった。「安倍官邸にすり寄って統計や公文書をねじ曲げる」という官僚機構としてあってはならない行為こそ、この不正行為の核心部分である。
調査報道である以上、第一報時点で不正の動機を断定することは難しい。しかし「不正の動機」は今回のニュースが持つ社会的・政治的意味の核心部分だけに、少なくとも「2013年度」は「アベノミクスが本格開始した年」であり、「アベノミクスの成果を強調したい安倍官邸の意向を受けて、国交省が統計数字を上乗せする狙いがあった可能性がある。不正の動機解明が今後の焦点だ」というような解説記事を第一報時点で掲載し、世論の議論の方向を「安倍官邸による霞が関支配」の実態解明に振り向ける「問題提起」が、スクープ記事を報じる側に求められる重要な責務だったのではないか。
これに対し、朝日新聞社内からは「事実だけ報じればいい。解説はあとでいい」という反論が聞こえてきそうである。しかし、果たしてそうだろうか。
これは「何のために不正を報じるのか」というジャーナリズムの本質的な問題である。国家権力側の反撃に備えて徹底的に慎重を期すという「報道技術」ばかりが先行し、「不正を許さない」という報道の理念や意思がぼやけていることが、いまの「新聞離れ」を助長していると私は思う。新聞社や記者が当事者として権力を監視し批判する「戦う姿勢」を読者は期待しているのではないか。
そのような「戦う姿勢」を堂々と掲げることができる機会はあまり多くはない。今回のようなスクープは絶好の機会である。そこを「守りの姿勢」で固めるのは実に惜しい。
国家権力の不正行為の「事実」にとどまらず、不正行為の持つ「政治的・社会的意味」を鮮明に解説することまで含めて、はじめて調査報道は完成するのだ。